第3話

 鏡に興奮する女の子を抱き上げ、ソファーに座らせる。 

 ぷにぷにした感触がたまらない――その時。


 ぐぅ~~~~っ……。


 俺の腹が、間の抜けた音を立てた。


「……あ」


 ちょうどその時、洗濯機も俺を呼ぶ。

 ひとり暮らしの夜は意外と忙しい。


「お前は、さっきミルク飲んだからいいよな?」


「にゃ?」


 女の子は首をかしげる。


「よし、じゃあここで大人しくしてろよ。危ないからこっちには来んなよ」


 俺は部屋とキッチンを隔てるドアを閉めた。


 俺は冷蔵庫の中身をあさって、簡単に野菜炒めを作ることにした。


「腹減ったし、もうこれでいいや……」


 キャベツと豚肉を切り、もやしと合わせてサッと炒める。

 味付けは塩とコショウに醤油を少々。

 家の中にはあっという間に香ばしい匂いに包まれた。


 ぐぅ~~~~っ……。


 腹の虫が鳴いている。


「さて、冷めないうちに食うか……」


 ドアを開けた瞬間――


「うわあああああああああっ!?」


 俺は絶叫した。


 俺の声に女の子はビクッと肩を震わせる。


 女の子が、ソファーの前のラグの上で……やらかしていた。


 俺は慌てて皿をテーブルに置き、タオルを取りに走った。


 女の子は野菜炒めの匂いにつられて、テーブルに近づこうとする。


「あーー! ダメダメダメッ!!」


 俺はタオルを持って駆け戻ると、少女をテーブルから引き離す。


「ってか、お前マジか!? なんで今!?」


 少女は怒鳴られている意味がわからない様子で、ラグの端っこに座って、うつむいている。


「……にゃ……」


 小さな手でTシャツのすそをぎゅっと握りしめて、しょんぼりと耳(っぽい髪)を伏せる。


 その姿に、俺は言葉を失った。


「……あ……いや、違う、ごめん。怒ってるわけじゃなくて……」


 慌てて頭を撫でてやる。

 ぴくっと震えて、女の子は顔を上げた。

 涙が今にもこぼれそうな瞳で、俺をじっと見つめている。


 うっ……!


 さっきまで猫っぽいと思っていたのに、その反応は人間の子どもだった。


「……そっか、トイレってわかんないよな。猫トイレすらまだ用意してねぇもんな……ごめんな、俺が悪かった」


 俺の言葉に、少女は小さく「……んにゃ」と鳴き、俺の腕にしがみつく。

 小さな手が俺の袖をぎゅっと握る。


 俺は、ラグの掃除を始めながらも、なんだか胸が痛い……。


 人間としてもまだオムツしてそうな年頃だし、まして中身猫(だと思う)だし。そりゃわかんないよな……。


「……ごめんごめん。今日は、もういいよ」


 俺は少女の頭をポンポンと撫でる。


 とはいえ、ラグには目に見えるくらい、しっかりと濡れた痕ができていた。


 汚れたラグは一旦どけて壁に立てかけた。


「猫のトイレってどうすりゃいいんだ?」


 俺は急いで猫のトイレ問題を調べてみる。

 そして知る、衝撃的な事実。

 一度ラグでトイレを失敗すると、そこが「トイレ」認定されてしまい、繰り返すらしい。


「まじか……」


 とはいえ落ち込んでもいられない。

 これ以上被害を拡大させないために、俺はスマホの情報を元に簡易トイレを作った。


 女の子が入れそうな大きさの段ボールに、やらかされたラグをダンボールの大きさに切って敷く。


 もう、このラグは諦めよう。


「とりあえず、新しいトイレができるまではこれな!」


 俺の言葉に、女の子は首を傾げる。

 そして小さくくしゃみをした。


「お前も服変えような」


 その言葉に女の子は嫌がるそぶりをする。


「 Tシャツじゃなくて、次は前開きシャツを探すな。そしたら、あんな大変じゃないぞ。――きっと」


 だが、俺が持っている前開きシャツはほとんど会社に着て行くワイシャツだ。


 ――仕方ないか。


 ホットタオルで少女の体を丁寧に拭く。


「ほら、今度はこれだ。ここに手を通して、ボタンで留めるだけだ。な、怖くないだろ?」


 床に膝をつき、なだめるように少女の前でシャツを広げる。


「にゃ……」


 渋々近づいてくる少女。


「まずは手、こっち」


 小さな腕をそっと袖に通す。

 彼女はおずおずと指先を動かしながらも、素直に従ってくれた。


「もう一個、反対の手ね。そうそう、上手い上手い」


 ふわりとシャツを体にかぶせて、前を合わせる。

 ボタンを一つずつ留めていく。


「ちょっと長いな……」


 足に引っかからないように裾を結んだ。

 なんかちょっとギャルっぽい。

 女の子はちらりと自分の胸元を見て、それから俺の顔を見上げた。


「……にゃ」


 小さな声と一緒に、ちょこんと頭をすり寄せてくる。


「うんうん……偉かったな」


 俺はその頭をそっと撫でてやった。


 こうしてようやく俺は、完全に冷め切った夕飯にありつける。

 ……と思ったが女の子はじっと俺のそばから離れない。

 その目は俺の手にある野菜炒めに釘付けだった。

 お尻が上がり、若干臨戦態勢にも見える。


 ――こいつ、まさか野菜炒めにダイブする気か?


「これはお前はダメ」


 俺は慌てて立ち上がり、野菜炒めを避難させる。

 女の子は「にゃーにゃー」と野菜炒めに手を伸ばす。


「ダメだって言ってるだろ」


 俺は仕方なく立ちながら食べる羽目になった。

 足元では「ニャーニャー」と鳴いている。


 手を伸ばし、必死に食べたがる様子に、俺は思わず笑ってしまった。


「しょーがねぇな」


 俺は彼女をあぐらの上ちょこんと座らせる。


「お前は俺の指でも食ってろ」


 口元に指を差し出すと、本当にはむはむし始めた。


 ……こいつ、ぜってぇ食い意地張ってる……


 小さな歯でガジガジしてくるが、まだそんなに力は強くないため痛くはない。

 むしろ吸い付くように舐める舌がくすぐったい。


 こんな賑やかな夕食はいつ振りだ?

 たまにはこんな夕食も悪くないな――と思っている自分がいた。

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