名前も声も消えていくってわかってても、ボクは君を物語になんかしないと決めた 〜青蘭高校シリーズ〜
ヒトカケラ。
記録第1号「透ける少女との出会い」
雨が降っていた。
八月のくせに、冷たい。アスファルトを打つ粒が靴の先からじわじわと染み込んできて、歩くたびにぐしゅ、と音がする。傘の縁から流れる雨筋をただ見つめながら、ボク──朝倉ユイは、放課後の通学路をひとり歩いていた。
傘を忘れて昇降口まで走ったせいで、前髪がくっついてる。ワックスなんて使うほどの髪じゃないし、前髪を留めるピンも「女の子らしすぎる」と思ってやめたのに、結局、濡れたら意味がない。
──ボクってほんとに女子高生か?って、自分でもたまに思う。
いつもならこの道に、誰かがいるはずだった。
でも今日は、なぜか誰もいない。
……いや、違う。ひとりだけ、いる。
向こうの角。曲がり角のすぐ先で、細い体の女の子が傘も差さずに立っていた。
制服は、うちの学校のものだ。けれど、埼玉県立青蘭高校の制服。見覚えはない。少し首をかしげて、ボクのほうをまっすぐに見つめていた。
なのに──どうしてだろう。
目が合った瞬間、心臓がひゅっと縮むみたいに冷たくなった。
怖いわけじゃない。でも、涙が出そうになった。
「……やっと、気づいてくれた」
少女がつぶやく。声は、直接耳に届いたというより、雨音の隙間から心の奥に染み込んできたような感覚だった。
ボクは彼女の名前を思い出そうとして、できなかった。
いや──思い出そうとするその前に、「知らない」と確信してしまった。
「きみは……だれ?」
口に出した瞬間、ものすごく失礼なことを言った気がして、胸が苦しくなる。
少女は少しだけ笑った。
「名前、思い出せないんだよね。いいよ、覚えてないのは、おたがいさまだから」
おたがいさま?
なんでそんなことを言えるのか、わからなかった。けど、確かに、初めて会った気がしなかった。ボクは、彼女の表情を知っていた。笑ったとき、ちょっとだけ目尻が下がる癖。唇の左端だけが、ほんのわずかに上がること。
そのすべてを、ボクは知っていた。
でも、知らない。
記憶にない。
この違和感は、なんなんだ。
「きみ、どうして──そんなに……」
声が震えた。傘を持つ手がわずかに下がり、少女の肩に雨が落ちる。
その瞬間だった。
彼女の輪郭が、すうっと滲んだ。
まるで、そこに存在していないみたいに。背後の建物の輪郭が、彼女の肩越しに透けて見えた。
「ごめんね。まだ、全部じゃないから」
「……なにが?」
彼女は答えなかった。ただ、優しく笑った。
ボクはなぜか泣きそうになって、思わず彼女に駆け寄ろうとして──
足が止まった。
怖かったわけじゃない。ただ、“ここで触れたら、壊れる”って、どこかで確信していた。
だから、立ち尽くすしかなかった。
「また会える?」
問うと、彼女はほんの少しだけ首を傾げてから、うなずいた。
「うん。たぶん。あなたが、まだ覚えててくれたら」
そう言って彼女は、角の向こうにすうっと歩き出す。傘もなく、濡れた制服のまま、まるで足音ひとつ立てずに。
その背中を、ボクはただ見つめていた。
名前を呼びたい。でも、なにかがそれを許さなかった。
──彼女の名前を思い出してはいけない。
ボクは、なぜか、そう感じていた。
雨はまだ降り続いていた。
──
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