第三話 裸足のシンデレラ
「嫌です。」
私の大きな声が、世界に木霊する。自分でも驚くぐらいの大きな声が出ていた。坂本さんも、他のみんなも、唖然として、私の方を見ている。
心臓の鼓動が早くなる。テオが私を心配そうに私を見ている。
なんだよ、その表情は、あんたは人間じゃないのに。人間よりも、人間らしい表情をするなよ。どうせプログラミングされた処理に過ぎないのに。
「恵、頼む。」
坂本さんが私に頭を下げる。
やめてください。あなたは、そんな誰にでも頭を下げる人じゃない。強くて、かっこよくて、誰よりも演劇が好きで、みんなのことを誰よりも考えてくれている頼もしいリーダーじゃないんですか?
「私は、あなたに出会えるのを楽しみにしていました。演劇の事、教えてくれませんか?」
テオが、笑顔でこちらに歩み寄ってくる。
「私はあんたなんて大嫌いよ。」
普段しっかりと発声練習をしていることが仇となっている。楽屋をつんざく大きな声。
坂本さんが、驚きと困惑と、そして、どこか汚い物を見るような目つきで私を見ている。冴、いつもみたいに冷静に対応してよ。この状況を好転させてよ。杏はずるいなぁ、ご自慢の愛らしさで、みんなを和ませてよ。私を助けてよ。
頭がぼーっとしている。怒りと悲しみによって、私の前頭前野が焼け野原になり、正常な思考が出来なくなる。こんな姿、みんなに見られたくないよ。きっと今の私は、普段の私よりも、醜い存在としてこの世界に存在している。
視界の端にちらつく、自分の顔に目を覆いたくなる。
「恵は、ユリイカを守りたくないの?」
冷たい声が、私の耳小骨を揺らす。次の瞬間、月城冴が、私の肩を掴み、力を入れる。
さっきまで床を見ていた私の視線は、気が付けば天井の薄汚れた蛍光灯を捉えていた。
ごん、と後頭部を打った鈍い衝撃。肺から空気が全部搾り出されて、息ができない。カビと埃の混じった、楽屋の床の匂いが、いやでも鼻をついた。
「やりなさい。」
月城冴の髪の毛先が、私の頬を撫でる。ようやく状況を理解することができた。
私にテオの相手役を強要している彼女の眼は、まるで血の気の通っていないロボットみたいに冷たかった。
これが、彼女が選んだ、状況を好転させる手段だった。
身体を起こそうと抵抗するが、高身長の彼女の前ではなすすべが無かった。
坂本さんが、慌てて冴と私を引き離す。
「恵、大丈夫?」
倒れてる私に手を差し伸べてくれたのは、テオだった。私は、その手を振り払い、自ら立ち上がり、
今使えるエネルギーの全てを解き放つ。
「あんたと一緒に舞台に立つぐらいなら、私はこの劇団をやめる。」
もうどうにでもなれ。
私は、みんなの視線を振り切り、いつもより、大きな音で床を足裏で叩きながら、楽屋から出ようとする。
劇団に入ってからもそうだ。色んなオーディションを受けてきたけれど、「演技力はあるけどビジュアルがなぁ」って言われてきた。
容姿なんて、生まれつきの物で、それをどうにかするすべなんて無かった。
先天的なものじゃなくて、後天的な努力を認めてくれる社会に、なんでならないの。
頑張っても、努力しても、意味がない。結局は「見た目」だ。
「悪かった。この話、断るよ。」
いつもの坂本さんの落ち着いた声が揺れている。
私のわがままで、憧れている人に迷惑をかけてしまっている現実を思い知らされる。
ドアノブを触る手が、いつもより湿り気を帯びていた。
「じゃあ、劇団は無くなるって事ですか?」
相沢杏の言葉に、みんなが下を向く。みんなにとって、この劇団は「生きる意味」に等しい場所なのかもしれない。大切な場所が無くなる、その現実を受け入れたくない気持ちはわかる。
「あんたが我慢すればいいじゃない?たった1回じゃない。ふざけないで。」
月城冴の怒号を上げている。今にも私に掴みかかって来そうな彼女を、坂本さんが必死に止めている。
「ペルソナ・シンセに交渉してみるよ。相手役を変えられないかって。」
坂本さんが、月城冴を落ち着かせるように、優しい声で宥めている。
そのプランがあるなら、最初からそうしてほしかった。そうすれば、私は、こんな醜態をみんなに見せる事もなかったし、劇団を辞める宣言もしなくてよかった。
いつも通り、公演後の高揚感に包まれて、朝までお酒を飲んで、また、次の作品に向かって進むことが出来た。
例え、ペルソナ・シンセが、その条件を飲んだとしても、私が劇団を辞めることは変わらない。だってそうでしょ?私は、劇団を見捨てて、自分の意志を貫こうとしたわけで、そんな俳優と誰が共演したいって思うの?
劇団ユリイカに入団したのは16歳の高校生の時、初めてお母さんの反対を押し切って、自分が心の底からやりたいと思えた事を始められた瞬間だった。
あれから5年、ここにいる。
それが、こんな形で辞める事になるなんて、思いもしなかった。
結局はお母さんの思惑通りって事?
「良かったね、恵」
相沢杏が、私に優しく声をかける。
何が良かったよ。何もよくないよ。全部が終わった。あんたに私の気持ちの何がわかるの?黙っていても、周りに「可愛い」って言われて、必要とされてきて、大切にされたあんたに私の気持ちなんてわからない。私は、ずっと「可愛くない」って言われ続けてきて、好きな男の子と付き合っても、他の可愛い女の子に奪われてきた。
だったら、整形すればいいじゃない?私だって整形を考えたことは一度や二度じゃない。その為にお金だって貯めてる。
稽古の合間で、死に物狂いで稼いだ私の命、魂を削って稼いだ大切なお金だ。
それなのに、目の前には、例え整形に一億円かけたって、叶わない、まるで、画面の中から飛び出てきたような、2次元からやってきた、完全無欠の女が立っている。
この世界に、神様も、仏様もいない。もし、神様がいるなら、私を助けてよ。救ってよ。もっと可愛くて性格も良くて、みんなに必要とされて、愛される存在にしてよ。
坂本さんが、世界から隔離されたこの楽屋の空気を変えるかのように、明るくみんなに声をかける。
「突然の報告で、驚かせたね。また、みんなで最高の作品を作ろう。テオ、悪いけど、ペルソナ・シンセに相手役変更のお願いをしてくれないかな?」
坂本さんの言葉に、テオは完璧な微笑みを崩さないまま、こくりと頷いた。彼女の瞳の奥で、淡い青色の光が一瞬だけ点滅したのを、私は見逃さなかった。通信しているんだ。私たちが感情をぶつけ合っている間も、彼女は常に、本社のサーバーと繋がっている。
楽屋にいた、全員が、どこか安堵した表情を見せる。さっきまで、お腹を空かせた狼みたいに、唸っていた月城冴も、ようやく落ち着きを取り戻している。
「ごめんなさい。怪我してない?」
月城冴が、私を心配している。劇団が無くなることが、あそこまで彼女を変貌させるなんて、思わなかった。
怪我はしていない。でも、私はあんたを許さない。勘違いすんなよ?美人だからって何をしても、許されると思うなよ。
頭が感情の支配されている。明日から、稽古の時間、何をして過ごそう。そうだ、もう、ここは、この劇団にいたことは、過去の事なんだ。大切なのは、未来。もう、全部終わったんだ。
心と身体が、うまく一致しない私の事なんて、素知らぬ顔で、彼女は私を追い詰める一言を発する。
「ペルソナ・シンセより、返答です。相手役の変更は、契約上、許可できません、とのことです。」
安堵に包まれていた楽屋の雰囲気が凍る。それまで優しく微笑んでいたテオだったが、今では、私に死刑宣告をする冷徹な裁判官に見えた。
私は、震える唇を出来るだけ、ゆっくりと動かし、テオに向けて言葉をぶつける。
「どうして?」
怒りなのか、悲しみなのかはわからない私の震えに気が付いたのか、彼女はまた、完璧な笑顔で、私の問いに対して答える。
「佐藤社長、直々の命令ですので。」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがぷつんと切れた音がした。
それからの事はあまり覚えていない。
私を制止したテオを押し倒し、頑張って買った大切なヴィトンの鞄を楽屋に置いたまま、勢いよくドアを開けて、私は、走りだしていた。
佐藤社長、ペルソナ・シンセの生みの親であり、私をこの世界に産んだ母の事だった。
どこにいけばいい?何をすればいい?わからない、わからない。
行く当てなんて、どこにもなかった。私はただ、この場から逃げたかった。
裸足のままでかけていく私を見た人たちは、私の事を陽気な人だと思うのだろうか?
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