第4章(4)「呪い、そして最期の希望」


 満身創痍のミナを庇ったのは、突然戦場へと現れたナヒロだった。

 フォグシーの攻撃を受けて、体が繋がっているのが不思議なほど大きな傷を作り、血を噴き出しながら倒れる。

 ミナは倒れるミナを、体に走る痛みさえも無視して、ほぼ無意識的に抱きしめていた。


「ナヒロ、どうして……」


 ミナの前に現れたナヒロは、見た目でも助からないほどの致命傷を負っていた。

 しかしまだ意識はあるようで、徐々に光を失っていく瞳は未だ、ミナの方を見つめている。


「……え、へへ、僕も、あなた、の力に、なれまし、た……?」


 血を流しながら、それでも自らが行ったことに満足しているのか、ナヒロは微笑みながらそう尋ねる。


「喋らないで! 今、助けるから……」


 対してミナは、仮面の奥で涙を流しながら、ナヒロをぎゅっと抱きしめる。

 もはやこの傷で助からない事は、ミナにもわかっていた。

 それでもどうにか、何か奇跡のような事が起こってナヒロを助けられる希望を捨てられなくて、無責任な言葉が口をついて出てしまう。

 体を震わせながらこちらをじっと見つめるミナに対して、ナヒロは一度微笑みを捨てて、真剣な表情を浮かべる。その瞳にはもう彩度がほとんど失われてしまっていた。


「ミ、ナさん」


「なに……?」


 ナヒロは生気のどんどん失っていく顔に、精一杯の笑顔を浮かべた。

 彼が感じていたのは、ミナを守ることが出来たという安心感と、ほんのちょっとの使命感だ。


 ナヒロは今まで、可哀想な被害者でしかなかった。

 怪物が襲ってきたときミナに助けてもらい、それからずっとミナの傍にいる。

 しかし自分の出来ていたことは、ミナの気が休まるように、彼女の好きな食べ物を作ったり、話し相手になることだけだ。戦場で隣に立って、彼女を支えるということが出来ていない……いわば被害者として誰かに守ってもらうことしか出来ていなかった。


 だが今は違う。ミナの窮地に対して、自分は行動を起こすことが出来た。褒められたものではないとは思うが、自分がミナという魔法少女の役に゙立てたことが、何よりも嬉しい。

 そしてもう一つ感じていた使命感――それは自分がいなくなった後のミナのことだ。

 ナヒロは、自分が助からないことを重々承知していた。既にもう視界には何も映らなくなっている。流れ出る血液とともに、自らに灯った温もりが霧散していく感覚を得ていた。

 そしてナヒロにとってミナは理想的な魔法少女である。だからこそ自分を失ったミナは、きっと大きな悲しみにくれることだろう。

 だからこそナヒロは、最後にこの言葉を伝えなければいけないのだ。間違った魔法少女が闊歩する世界ではなく、ミナのような正しい魔法少女が活躍できる世界を作り出せるように。


「僕を、助けた責任を、ちゃんと、取って、ください、ね?」


 それはナヒロがミナに託した呪いであり、最後の希望。

 彼は言葉を最後まで言い終えると、満足げに精一杯の笑顔のまま、体を力なくうなだれさせてしまった。


「ナヒロっ!!」


 ミナは涙を流しながら、ナヒロの体を強く抱きしめる。自らの衣装が、手が血塗れになることも厭わず。

 ナヒロの魂がどこかへいってしまわないように、強く。強く。

 そんな彼女の想いも虚しく、ナヒロの体が徐々にその熱を失っていくことが、強く抱きしめていたミナにはよく分かった。


「いやぁ、これは劇的なシーンだ」


 そしてその様子をずっと見ていたフォグシーは、巨大な胎児の姿のまま、口角を上げていた。


「魔法少女ドキュメンタルの本編でオンエアできたら、本当に良かったのにね」


 フォグシーのそんな言葉にも、何も反応を示さないミナ。もはやフォグシーがどうとか、魔法少女ドキュメンタルをぶっ壊すとか、そういったものに意識を向けられていなかった。

 フォグシーはつまらなさそうにため息を吐いて、後ろ腕の剣を上げる。


「……正しい魔法少女か。まるで君が正しいかのように言うけれど、それは本当かな? 君は光の魔法少女にただ憧れていて、それでも自分に光の魔法少女のようなカリスマはないことが分かっている。そして、それを認めたくないから、僕たちの魔法少女を否定しようとする」


 ミナはフォグシーの言葉へよやく反応するように、ゆっくりと顔を上げる。

 フォグシーは後ろ腕の剣をあっさりと振り下ろす。

 その斬撃はミナの仮面を抉り、両断された仮面が乾いた音を立てて地面に転がった。

 ミナの顔がフォグシーへ露わになる。彼女の左目は仮面への攻撃と共に抉れて開くことが出来ず、ただ頬に血を流すことしか出来ていなかった。

 そして右目は目の前で起きた悲劇に対して、充血し、濡れそぼった瞳から涙が溢れ出ている。

 襲撃者の顔をようやく確認できたフォグシーは、口角を一度下げて冷静そうな表情になった。 


「どこかで見た顔だ。誰だったか、後で調べてみようか。――まあその前に殺すけどね」


 フォグシーは力なくその場にうなだれているミナの胸元に、剣を突きつけた。

 抵抗しようとしないミナに対して、フォグシーは優越感を感じながら再び口角を上げる。


「ともかく君の考えはエゴだよ。――君こそ、正しくない魔法少女だ」


 ミナは何かに気付いたように、右目を見開く。

 自分は、本当に正しい魔法少女だったのだろうか。フォグシーの言うように、沢山の人々に希望を与えるのが魔法少女の役割だ。

 確かに光の魔法少女の言っていることは正しい。でも自分は、光の魔法少女にはなれていないのだ。信者として勝手に意志を継いだような真似をしているが、実際は現実に目を向けられず、痛々しく反抗しているだけなのではないだろうか。

 ミナの心に、暗いもやがかかっていく。それは自分が魔法少女として相応しくないという諦め、そして今まで行ってきたことに対する後悔だ。


「……あはは」


 ミナは口角を上げて、乾いた笑いを発する。怪我をしていないはずの右目さえも、瞳が火傷するように熱くなり、大粒の涙を流した。

 フォグシーの剣が突きつけられている。これは断罪の剣だ。自分が犯してきた愚かな過ちを贖うための。

 どちらにせよ目の前でナヒロが殺されたという事実に、ミナにはもう抵抗する気力は起きなかった。


「……さようなら、悪の組織さん」


 フォグシーの剣がミナの胸を貫く勢いを作ろうと、少しだけ後退する。


 ――しかしその瞬間、どこからともなく現れた火炎が、フォグシーの剣を襲った。

 もちろん障壁があるフォグシーには傷一つ与えられず、火炎は無常にも跳ね返される。

 しかしフォグシーの意識は窮地のミナから逸れて、魔法の使い手へと向けられていた。


「もう一人いたね、数では不利だけど、降参するかい?」


 魔法の使い手――ランプは息を切らせて肩を大きく上下させながら、フォグシーへと自らの手のひらを向けていた。

 ランプの後ろにはティアラビイが、いつでも氷の魔法を撃てるように準備をしている。

 グランダーの時と形勢が完全に逆転していた。ミナの戦闘不能により、こちらが数で不利になっている。

 だがランプは仮面の下の笑いを絶やさない。


「数では不利だって? ちゃんと見たほうが良いんじゃないか?」


 ランプがそう呟くと、突如辺りが白い煙に包まれた。


「――っ、なに!?」


 白煙に襲われたティアラビイが驚嘆の声を上げて、辺りの状況を素早く確認する。

 白い煙が広がっていく先をじっと見ると、そこには何かプロペラのついた飛行物体――ティアラビイもよく見たことがある、放送局でも遣われているドローンが一台飛んでいた。


「ごめん、遅くなった」


 白煙の中で聞こえた男性の小さな声。

 それはランプがよく知っている声――リョウの声だった。


「十分さ。ナヒロを頼む」


「ああ、言われなくても」


 ドローンから発されるスモークで身を隠しながら、リョウはナヒロを抱えて走る。

 一般人であるリョウが魔法少女や怪物の攻撃を受けようものなら、ひとたまりもない。

 だからこそ素早い戦線離脱が求められた。そのための動き方は、即興ではあるがしっかりと考えている。


「くそっ!」


 ティアラビイがドローンの方へと手を伸ばし、魔法陣を創り出して魔法を放つ。

 魔法陣から放たれた氷の飛礫はドローンをあっけなく撃墜し、やがて白煙が晴れていく。

 そこにはフォグシーの姿のみで、襲撃者二人と庇った少年、そしてドローンの操縦者の姿はどこにもなかった。


「……逃げられた!」


 ティアラビイは眉頭でしわを作りながら、悔しさを顔に浮かべる。

 フォグシーは既に戦闘が終わっていることを悟り、怪物のように大きくなった胎児のような体を、徐々にしぼませていく。


「……まあ、彼女を殺すタイミングはいつでもあるよ」


 フォグシーはようやく最初のぬいぐるみのような愛らしい姿に戻る。

 その熊のぬいぐるみのような体には、襲撃者たちをあざ笑うような様子が含まれていた。

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