第2章(3)「怪物との初めての対峙」


 魔法少女ドキュメンタルの新シーズンがスタートするこの日、ミナは魔法少女服である襟のついた服装を、入念にチェックしていた。

 何人かの魔法少女がミナと同じくサポートとして参加しているが、彼女たちはどこかそわそわしており緊張した面持ちだ。

 ミナも例に漏れず緊張していた。憧れの舞台をサポートとして間近で見ることができるワクワク感はもちろんある。ただ自分の持ち場にもし怪物が来たら、という緊張感もミナの心には潜んでいた。


 ミナはもし怪物が目の前に現れたら、どうしたら良いだろう……脳内で入念にシミュレーションを行う。

 魔法少女には一つ、テーマとなる魔法が与えられる。例えば炎、氷、植物、ビームなど、創作物でもよくありがちなものだ。

 色々と細かく条件が設定されており、同じ魔法を使う魔法少女はほとんどいない。


 そしてミナの魔法は決して戦闘向きかと言われると微妙なところだった。

 ミナが使える魔法は、怪物が放つ魔力を吸収して自分の力に変えることだった。

 ゆえに積極的に相手へ攻撃するのではなく、相手の攻撃や特性を上手く利用するタイプの魔法で、魔法少女ドキュメンタルの今シーズンの主役に選ばれている少女たちのように、直接的な攻撃をするわけではなかった。


 あまり魔法少女らしくない、ミナはこの能力だけはやや不満が残っている。

 光の魔法少女が使っていた魔法は、怪物を倒すための浄化の力を操作するものだ。簡単に言えば光の剣や弓矢を創ったり、ビームを発射したりする。ミナと違い完全に戦闘向きである。

 ただミナの役割は別に怪物を倒すのではなく、怪物の出現場所の報告や周辺被害の報告など、主役を引き立てるための影のサポート役だ。実際に怪物を相手にした時は、最終的には主役魔法少女たちが戦って倒すことになる。


 ミナは平手で自分の頬をぱんぱんとたたき、自らの心から溢れそうになる不安をかき消す。

 そもそも自分のところに怪物が来るかどうかも分からないため、杞憂で終わる可能性もあるのだ。


 ……しかしミナの希望は一瞬で打ち砕かれる。

 ミナが持ち場の住宅街東部に着いてしばらく経った頃、突如大きな揺れが生じた。

 続けてミナの視界に映ったのは現れたのは、空に浮かんだ大きな魔法陣、そしてそこからから出現するカマキリのような生物……しかも大きさはミナの身長の十数倍にあたる。


「……こちらはミナです! 怪物出ました!」


 ミナは声が震えるのをなんとか抑えながら、スマートフォンに向けて、叫ぶように報告する。


『了解しました。主役魔法少女たちを向かわせます。それまでは怪物を刺激せず、できる限り民間人への被害を小さくするように』


「……わかりました!」


 オペレーターである放送局の人の指示を頼りに、ミナは怪物の進行方向へ向けて走り出す。

 カマキリのような怪物は自らの鎌を振り回しながら、建物をどんどん切り裂いていく。一薙ぎされたマンションの三階から上が、滑るように落ちて、大きな音を立てて地面に落ちて崩れた。一軒家に至っては切り裂かれるというよりも、鎌の重量で潰されている、という表現の方が適切かもしれない。


 ミナはどうか犠牲者が少なくありますようにと、怪物を追いかけながら心の中でそう願う。

 怪物が現れる日時が分かっている以上、もちろん民間人はある程度の避難の準備は出来ているはずだが、それでも出現位置に関してはランダムだ。

 怪物の種類や進行方向によっては逃げ場所が変わってくるため、突如現れた怪物に民間人は成すすべがない。

 あの切り裂かれたビルに誰もいない事を祈りつつ、ミナは建物の間を走り、時に飛び越えながら怪物の挙動を追っていく。


 怪物が次に切り落としたのは四階建ての団地の一棟だった。三階の真ん中を切り落とされ、それ以上の階は崩れ落ちてしまう。

 ミナはまだ攻撃されていない棟の屋上に立って、マンションの状態を観察する。

 そこでミナは、頭から血を流している男性と、その近くで怪物に恐怖している母子らしき人たちが見えた。


「いけない……!」


 ミナは高く跳躍し、マンションの母子のもとへと向かう。他の棟から跳び移れるのも、多少高低差があっても着地出来るのも、魔法少女の身体能力ならではだ。


「大丈夫ですか!? 早く避難しましょう!」


 突然の来訪者に一瞬驚いた女性だが、ミナの動き方で魔法少女だと悟ったのか、その驚きは少しだけ収まった。しかしそれでも、不安は拭えていない。


「でも、旦那が……」


 母親と思われる女性が指さしたのは、ミナも見ていた頭から流血している男性だ。

 やはり彼はこの人の夫だった。ただこうした状況に疎いミナの見立てでも、彼は助からないほどの出血量をしている。

 もちろんミナだって三人とも助けてあげたかった。たとえこの男性が死ぬしかないとしても、このまま死体を野ざらしにするのは、生命の尊厳を無視する行為だと直感的に感じている。

 ただ近くには小学校高学年くらいの、栗色の髪をした小さい男の子、そしてその母親は脚に怪我をしており、上手く歩くことが出来ないだろう。そしてミナがこの三人を全員救うためには、何往復かする必要がある。

 ……果たしてそんな時間はあるだろうか。ミナは彼らを助けるための最善策を、頭の中で試行錯誤していた。


 刹那、マンションが揺れる。倒壊が始まっているのかと思いきや、そうではなかった。

 先程まで破壊活動に勤しんでいたカマキリのような怪物が、ミナたちを見下ろしている。生きている獲物を見つけた怪物の瞳は輝いているように見えて、ミナには確実にこちらを殺そうとしているのが分かった。


(この家族を守るためには、私が食い止めなきゃいけない……!)


 ミナは覚悟を決めて、怪物の瞳をきっと睨む。

 もちろんミナに勝機などあるはずがなかった。

 ただでさえ怪物慣れしていないことに加え、自分の能力は決して積極的に戦闘をする方ではない。しかも観察している中で薄々理解したことだが、相手は魔力を使った攻撃ではなく、巨大な鎌を使った物理攻撃を主体としている。

 ミナの魔法は怪物の魔力を奪い取るものだ。相手が魔法的な力を使っているのであれば、そこから直接吸収はできなくとも、残り香を吸収して攻撃を行なう事ができる。

 しかし相手は物理攻撃が主体だ。魔法が封じられている状態で、ミナも肉弾戦を強いられることになる。


 そんなミナの事情はおかまいなしに、怪物はその大きな鎌を振り下ろした。

 狙いはミナ自身――これは戦略だ。怪物の攻撃を自分に向けさせることで、目の前の親子からは外れさせる。


 ミナも魔法少女として身体能力は高くなっているため、大振りの怪物の攻撃くらいであれば見て避ける事はできた。

 ミナを狙う鎌はマンションの角を切り取るように入り、ミナはそのマンションの破片から怪物の体へと飛び移る。

 視界から消えたミナに対し、怪物は次の攻撃を目の前の親子へと狙っていた。怪物は目の前の親子の命を刈り取ろうと、その大きな左腕を振り上げる。

 しかしその攻撃は明後日の方向へとずれてしまう。攻撃の瞬間、怪物の体に移っていたミナが飛び蹴りで攻撃の方向を逸らしたのだ。


(……なんとか、なってる!)


 相手を倒すことは出来なくても、攻撃を逸らせること自体はミナにも出来た。ミナは少しだけ微笑みを浮かべるが、それは一瞬だ。向こうは巨大な怪物で、一撃でも食らってしまえば瀕死は免れないだろう。

 ミナは明後日の方向へと振り下ろされた腕に捕まり、怪物の体を木々を渡るターザンのように回転しながら渡っていく。

 狙いは、次の攻撃を仕掛けようとしていた右腕だ。ミナがぶら下がりぐっと体重をかけると、怪物の鎌が地面に突き刺さり、怪物は行動不能になった。


(倒すことは出来ないけど、きっともうすぐ応援が来てくれる……!)


 ミナの心には希望が少しずつ芽生えていた。最初に自分の目の前で怪物が現れた時はどうしようと思ったが、ここまで持ちこたえていれば、そろそろ応援か、主役魔法少女たちが来てくれるはずだ。

 ミナは左腕から体を離し、次の手を止めようと胴体へと体を空中に投げ出す。基本的にこの怪物は交互に腕を振り下ろして、破壊活動を繰り返している。その行動パターンさえ読むことができれば、攻撃を凌ぐことが出来ていた。


 しかしその時、ミナの予想とは全く異なった行動を怪物が起こす。

 怪物は全身でマンションの方へと体当たりをして、自らの体にまとわりつくミナを暴力的に引き剥がそうとしたのだ。

 ミナは突然の怪物の体当たりに巻き込まれ、大きく体を吹き飛ばされる。ちょうど親子のいる床へ打ち付けられて、ミナの肺から空気が一気に漏れた。

 怪物は鎌をあっという間に地面から引き抜き、再び怪物はミナと親子の方へと向き直る。攻撃を防がれただけで、怪物は依然元気だ。

 ミナはようやく呼吸が整い、立ち上がろうとしたが、その瞬間視界が揺れた。先程の体当たりを食らって頭がくらくらしている。

 魔法少女だからこそこの程度で済んでいるが、トラックよりも何倍も巨大な怪物と衝突して、壁に打ち付けられれば、普通人は死ぬものだ。


(……応援は、まだ、なの?)


 ミナはぼんやりした視界で怪物の方を見ながら、内心ではこの厳しい事態にどう対処すればよいか迷っていた。

 先ほどより興奮した様子の怪物を倒すことや、家族を連れて逃げ出すことはもちろん不可。

 怪物の攻撃を逸らして時間を稼ぐという同じ芸当は、今の自分の体ではできない。

 応援は既に呼んでいるし、緊急事態を伝えても他の応援が来るにはタイムラグがある。

 自分だけ逃げ出すことなどもってのほか。

 怪物は鎌を振り上げている。怪物はミナと家族もろもろ倒すつもりで、もはや万事休すという状態だった。


「……ったく、怪物は主役が倒す流れだろうが」


 突如、ミナの後方で声が聞こえた。

 ミナがくらくらとした頭だったが気合で振り向くと、そこにいたのは、三人の魔法少女……魔法少女ドキュメンタルの今シーズン主役、ブルーム・ジェンハリー、ブルーム・グランダー、ブルーム・ティアラビイだった。


「なーに手出ししてんの? もしそれで倒しちゃったら、放送事故になっちゃうよ?」


 可愛らしい声色で伝える黄色の魔法少女グランダー。人差し指をこちらに突き立てながらオーバーアクションの彼女は、視聴者が好きそうなアニメめいた可愛らしい存在だ。

 やや言い方は気になったが、それよりもミナは助かったと思った。

 主役三人が来てくれたら、もう大丈夫だ。自分がここまで粘った事が、ちゃんと成功したのだ。


「助けてください! この子の両親が怪我をしていて!」


 ミナは必死ながらも端的に状況を伝える。自分ではこの人たちを救うことは出来ない、悔しいがそれは事実だ。


「……どうするの?」


 青の魔法少女、ティアラビイは隣の二人の魔法少女に尋ねる。その瞳は憂いを帯びているようで、薄幸な美少女を思わせた。

 早く助けてほしいと願うミナは、必死に目で訴えかける。

 赤の魔法少女ジェンハリーはそんなミナの様子を見て、何か悩んでいるのか腕を組む。ようやく何か思い至ったのか、彼女は重い口を開いた。


「……まだいい」


 冷たい眼が、ミナの視線から逸れた。

 瞬間、怪物が鎌が振り下ろす。ミナにその攻撃が直撃することはなく……そしてそれが意味するところは、ミナの隣にいた親子が攻撃に巻き込まれた、ということだった。

 ミナは何が起こったか分からず、建物が崩れて体がよろけ、その場にへたりこんでしまう。


「……どう、して」


 その様子を見ていたグランダーはにやりと笑いながら答える。赤の魔法少女は少し荒っぽい性格で有名で、その口角の上げ方も彼女のものだと分かった。

 だが、その表情には魔法少女として人を救おうという、希望の光は全く見えない。


「何を勘違いしてるのか分からないけど、必要なのはリスナーを惹きつけるドラマなんだよねぇ。何も犠牲を生んでいない時に助けてもドラマがないんだよ!」


 笑いながら答えるジェンハリー。彼女の言葉を一切理解出来ず唖然としている様子のミナに、ジェンハリーは言葉を続けていく。


「私たちは魔法少女ドキュメンタルの主役なんだよ、みんなの希望にならなきゃいけない。だったら希望を際立たせる絶望が必要だろ。そんなことも分からないのか?」


「……違う、私たち魔法少女はそうあるべきじゃない!」


 ようやくミナが口を開く。その声色は、彼女が作っている握りこぶしと同じように、怒りがこもって爆発しそうなくらい震えていた。

 ほう、と余裕そうに腕を組んでにやりと笑うジェンハリー。そんな姿にさえ、ミナの苛立ちは加速していく。


「あの光の魔法少女のように、困っている人を誰でも助けるのが本当の魔法少女のはず!」


 ミナは珍しく激昂していた。彼女は普段、落ち込むことはあっても、怒りを顕わにすることはめったにない。

 その怒りは、彼女がずっと憧れてきた、尊敬していた光の魔法少女の姿が、この主役の魔法少女たちからは感じられなかったからだ。

 しかしそんなミナの様子を気にすることもなく、ジェンハリーはミナの言葉を鼻で笑った。


「何年前の話をしてるんだよ。時代は変わった、今の魔法少女ドキュメンタルは、魔法少女が人気を得て、効率よく希望を振りまく事が大事なんだよ」


「本当にそんな事を思ってるの!?」


「当たり前だろ。そもそも放送局が強制しているのは配信活動だろ。お前のチャンネルの登録者数は何人だ? 私たちより多いのか? お前が主役となって希望を振りまくためには、力不足にも程があるんだよ!」


 強い口調で言い放つジェンハリーに対して、ミナはもはや何を言っているのか分からなかった。

 何がチャンネル登録者数だ。何が希望には絶望が必要だ。

 そんなもの、自分が憧れていた光の魔法少女が考えていたとでも思うのか。

 話にならなかった。


 あいつらと話してもらちがあかない、ミナは彼女たちから視線を逸らす。

 まだ怪物はミナを見つめて、次の攻撃を伺っている。

 怪物は元来、目の前の魔法少女たちの標的で、この際どうでも良い。

 だがミナが助けたいと思った親子は大丈夫だろうか。先程攻撃を受けて、少なくとも直撃であれば命は助かっていない。それでももしまだ命があれば……

 ミナは家族が怪物に怯えていた場所に視点を向ける。攻撃を受けた場所は既に倒壊をしてしまっていたが、その前方に倒れてはいるものの意識があり、大した怪我もしていない一人の少年がいた。

 栗色のふわふわとした髪の彼は、あの母親がずっと守っていた子供だった。


(この子だけは守らないと……!)


 使命感に駆られたミナはその子のもとへと駆け寄る。


「大丈夫!?」


「お母さんが……」


 少年が指差した方向は、先程まで親子がいた場所。そこはもう崩れて落ちてしまっている。

 母親は脚を怪我していて、もう動けなかったはずだ。この子だけでもと最後の力を振り絞って、少年を突き飛ばしたのだろう。


「逃げよう、ここから」


 まっすぐに少年を見つめるミナ。少年はどうして良いか分からず泣き出してしまう。

 ミナは少年を両手で抱きかかえ、再び怪物と対峙する。既に先程のダメージはある程度回復しており、この子一人だけであれば逃げることが出来るだろう。

 ミナは鎌の横薙ぎを跳躍でかわし、隣の住宅の屋根へ着地、とんとんと屋根を伝っていき、怪物が見えないところまで一心不乱に逃げた。


 過剰すぎるほど逃げ、ようやくミナは少年を降ろす。

 少年は泣き止んでいた。ミナの顔をじっと、その大きな瞳で見つめている。

 ミナは疲れ果てた汗だくの体で、少年の事をぎゅっと抱きしめた。

 彼にかける言葉が見当たらない。いつもは「もう大丈夫だよ」「お母さんの事を助けられなくてごめんね」という言葉が出てくるのに、この日だけは何も言葉が出てこずに、ただ震えながら少年を抱きしめることしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る