EP 8
大地を耕すエルフたち
フィーリアの里に和食ブームが到来して数日後。タロウは長老バウサの住居に招かれた。里で最も大きく、最も古くからある大樹に作られたその家は、生きた歴史そのもののような荘厳な空気に満ちていた。
「勇者様、よくぞ参られた」
バウサは、木の根が自然に形作った椅子をタロウに勧めながら、その深い瞳で穏やかに微笑んだ。
「して、本日は他でもない。あなた様がもたらしてくださった、あの素晴らしい食事のことじゃ」
長老はゆっくりと語り始めた。
「里の者たちが、米と味噌を大変気に入っていましてなぁ。子供たちは毎朝の味噌汁を心待ちにし、狩人たちは米から得られる力強さに驚いておる。里の食卓が、これほど活気に満ちたのは何百年ぶりのことか……」
その言葉に、タロウは嬉しそうに頷く。自分の故郷の味が、これほど異世界の人々に受け入れられるのは、素直に嬉しい。
しかし、バウサは僅かに表情を曇らせた。
「じゃが、勇者様。一つ、懸念も生まれておる。あなた様は、いつかはこの里を去り、また冒険の旅に戻られるお方。そうなれば、我々はもう二度と、あの味を口にすることはできなくなってしまう。束の間の喜びは、時に大きな喪失感を生むもの。里の者たちが、その悲しみを知ることを、長として儂は恐れておるのじゃ」
それは、賢明な長ならではの、深い思慮に満ちた悩みだった。刹那的な幸福ではなく、民の永続的な幸せを願う心からの言葉だった。
その懸念に対し、タロウはにっこりと笑って答えた。それは、バウサが予想もしなかった、希望に満ちた提案だった。
「でしたら、心配はご無用です、長老。無いなら、作りましょう。僕が材料を出すので、この里で、皆さんと一緒に米と味噌を作りましょう!」
「……作る、と申されるか?」
バウサが驚きに目を見開く。
「はい!」
タロウは自信満々に頷いた。
「米は、『稲』という植物からとれる実です。この里の豊かな水と太陽があれば、必ず育ちます。僕がスキルで『稲の苗』を出しますので、畑……いえ、『水田』を作って育てましょう」
「味噌は、『大豆』という豆と塩、そして『麹』という菌から作ります。これも材料は僕が用意します。発酵させるのに時間はかかりますが、一度覚えてしまえば、ずっと作り続けることができますよ!」
魚を与えるのではない。魚の釣り方を教える。
タロウの提案は、単なる食料の提供ではなく、文化と技術そのものを、この里に根付かせようという、壮大な計画だった。
バウサは、タロウの言葉に込められた真意を理解し、その深い叡智と優しさに、ただただ感嘆した。
「なんと……なんと素晴らしいお考えか。勇者様、あなた様は食文化だけでなく、我らの未来そのものを、この里にもたらそうとしてくださるのですね」
話は、すぐに里中に伝えられた。
自分たちの手で、あの美味しいご飯と味噌汁が作れる。そのニュースに、エルフたちは歓喜に沸いた。
その日から、フィーリアの里の風景は一変した。
タロウの指揮の元、エルフたちの「米・味噌作りプロジェクト」が始まったのだ。
まず、里の近くの開けた土地に、初めての「水田」が作られた。エルフたちは得意の土や水の魔法を使い、タロウが教える通りに土地をならし、水路を引いていく。その作業は驚くほど速く、正確だった。
そして、タロウがスキルで出した青々とした稲の苗を、エルフたちが恐る恐る、しかし丁寧に、泥の中へと植えていく。森と共に生きてきた彼らが、大地を耕し、作物を育てる。それは、里の歴史における革命的な瞬間だった。
同時進行で、別の場所には「味噌蔵」が建てられた。
タロウがスキルで出した巨大な木の桶に、蒸した大豆と塩、そして米から作った麹を混ぜ合わせ、仕込んでいく。初めて見る発酵という文化に、エルフたちは興味津々だ。
森の民であったエルフが、泥に足をつけて田を耕し、豆を潰して発酵を待つ。
フィーリアの里には、竪琴の音色だけでなく、農作業にいそしむエルフたちの活気ある声が響き渡るようになった。タロウがもたらしたささやかな「おせっかい」が、静かな里に新たな営みと、未来への大きな希望を生み出していた。
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