EP 9
赤き騎士と森の守り
フィーリアの里での穏やかな日々が続く中、ライザは一人、日課のように里の周囲を巡っていた。それは騎士団長として、そしてS級冒険者として、彼女の体に染み付いた習性だった。彼女の目は、ただ美しい森の景色を眺めているのではない。地形、見通し、敵の侵入経路、防御可能な地点――そのすべてを、無意識のうちに分析していた。
数日間の偵察を終えたある日、ライザはタロウ、ヒブネ、そして長老バウサを前に、厳しい表情で口を開いた。
「長老、そして皆さん。僭越ながら、申し上げたいことがあります」
そのただならぬ雰囲気に、全員がライザへと注目する。
「このフィーリアの里の警備は、あまりにも甘すぎます」
その単刀直入な指摘に、ヒブネが少しムッとした表情を見せた。
「甘い、とはどういう意味ですか、ライザさん。私たちの里は、この古き森と、幻術の滝によって何千年もの間、守られてきました。里の戦士たちも、個々の技量では決して人間に遅れはとりません」
「ええ、あなたの言う通りよ、ヒブネ」
ライザは静かに頷いた。
「個々の技量は素晴らしい。森を利用したゲリラ戦術も有効でしょう。ですが、それは敵が少数で、愚かだった場合の話。もし、組織化された軍隊が、魔法や攻城兵器を用いて本気でこの里を落としに来たら、どうなりますか?」
ライザの視線が、地図を描いた羊皮紙の上を滑る。
「里の入り口は、あの滝一つ。見つかれば、そこが全ての攻防の起点になります。敵の接近を遠方から監視する哨戒網も、組織的な迎撃態勢も存在しない。これでは、敵に侵入を許した時点で、里は一瞬で戦場と化し、多大な犠牲者が出るでしょう」
彼女の言葉は、平和に慣れたエルフたちにとっては耳の痛い、しかし紛れもない事実だった。マンルシア大陸で数多の死線と、国家間の戦争すら経験してきたライザの目には、この美しい里が、あまりにも無防備な楽園にしか見えなかったのだ。
長老バウサは、ライザの指摘を黙って聞いていたが、やがて重々しく口を開いた。
「赤き騎士よ、あなたの言う通りかもしれん。我らエルフは、調和を愛するあまり、争いの技術を忘れて久しい。この平和が永遠ではないことを、我々はあなた方から学ばねばならんようじゃ」
その言葉は、フィーリアの変革を決定づけた。
「そういうことなら、僕に任せてください」
タロウがすっと立ち上がった。
「防御を固めるための知識も、材料も、僕が用意します!」
タロウは早速、スキルを発動させた。彼の目の前に、次々と本が積み上がっていく。
『図解・城郭防衛論』『罠とトラップの心理学』『実践・集団戦術マニュアル』『効果的な哨戒網の構築法』――。
さらには、頑丈な鉄の蝶番、高強度のワイヤー、遠くを見るためのレンズや鏡といった、具体的な資材も取り出していく。
「すごい……こんな知識まで……」
ヒブネが、本のタイトルを見て息を呑んだ。
こうして、ライザを総監督、タロウを技術・物資担当とした、フィーリアの里の一大防衛計画が始動した。
計画は、エルフの生き方を尊重したものだった。醜い石の城壁を築くのではない。森と調和した、より堅固な守りを築くのだ。
哨戒網の構築:大樹の最上部に、巧みに偽装された監視所を複数設置。レンズと鏡を使った光学的な通信網で、里に居ながらにして森の遥か遠方まで監視できる体制を整えた。
迎撃罠(トラップ)の設置:里に通じる全ての獣道に、ライザが考案し、タロウが提供した資材で作られた巧妙な罠を設置。敵の足止めと、戦力の分断を目的とした、非殺傷ながらも効果的な仕掛けだ。
防衛戦の組織化:ライザ自らが教官となり、エルフの戦士たちに集団での戦闘訓練を開始した。個々の技量に、組織的な連携が加わり、彼らの戦闘力は飛躍的に向上していく。
滝の門の強化:幻術で隠された滝の入り口に、内側からのみ操作可能な、鉄と古木を組み合わせた頑丈な防護ゲートを設置した。
農業に加え、今度は土木作業と軍事教練。
静かだったエルフの里は、日に日に活気を増していく。ライザの厳しいが的確な号令が森に響き、エルフたちが汗を流す。
それは、ただの防衛強化ではない。自分たちの手で、自分たちの平和を守る。そのための、誇り高き挑戦だった。タロウとライザがもたらした新たな風は、エルフたちをより強く、たくましく変えていこうとしていた。
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