四月二十日 県予選まであと五十四日(南雲空)

 入部して一週間すると大分その生活にも慣れた。家から近い学校にしたからか、意外にも、手伝い、部活、勉強以外にも自由な時間が取れる。むしろ、生活の質が上がった気がする。何かに追われることで、だらだらと三十秒ばかりの意味のない娯楽を無限に繰り返すことが少なくなった気がする。

そして、この忙しさは誰かに求められているかもしれないという錯覚にもつながる。

その意識高い忙しさに酔っている自分がいる。そりゃ常連さんみんな、金払ってまで、酔いたがるな。

 朝。七時。学校へ行く途中自転車に乗りながらそんなことを考える。

 風が涼しい。この時間帯の日差しは昼間とは違い、道を照らして導いてくれているような気がする。だけどこの、明るく、献身的な感じがウザったいっていうのもわかる。疲れたり、気分が落ち込んでいるときこそ、そういう優しさが欲しいのに、そういう寄り添っていくれる人がなんだか疎ましくなってしまうことがある。

その明るさと正しさが、執拗に自分の暗さと間違いを照らし出してしまうような気がするからだ。と思う。

 でも、やっぱりこの日差しが気持ちいい。

 朝、この時間帯はすごく頑張っている人が多い気がする。

僕をはじめ、朝練へ向かう人、コンビニの店員さん、ジョギング、ウォーキング、ペットの散歩、会社へ向かう人…。キリがない。

そして、たまにそんな知らない人に挨拶すると心地よく返してくれるのが面白い。

 出した制服の裾が風にたなびく。

いちいち練習着に着替えるのは面倒くさいが、学校の校則がそうなっているならしょうがない。

大欠伸をすると視界が狭くなるからちょっと怖い。

あ。やべ。

ぐるっとタイヤが逸れ、側溝に突っ込みそうになる。

ブレーキの甲高い音が朝の平和な静寂をビリビリに破く。

うおおおお、あぶねぇぇぇ!

死を感じた。

人といると笑い事だけど一人だとただただ恐怖だ。

椅子の前足を浮かせて喋っている時と同じような、日常に潜む死の恐怖が産毛の先まで迫っていた。

冷や汗が朝の冷風に冷やされて寒い。


 

 管理室だ。

たぶんもう顔を覚えられた。

ガラッと窓が開く。朝早くからお疲れ様です。と心の中で唱える。

「ラグビー部の鍵ならもう白石君が持ってったよ。」

白石先輩が。

正直意外だった。


 パーンと銃声のようなものが聞こえる。

ゴールHポールのちょうどど真ん中をボールが通り過ぎる。

まただ。また通り過ぎる。

正面から撃っているのもあるだろうけど、精度が高過ぎる。

ただ冷静に構える。

時が経つほど、集中が研ぎ澄まされる。

砂埃さえも演出になる。

スナイパーが獲物仕留めるときのように鋭く。

怒りや憎しみさえこもっていそうな目でただ一点を見つめる。

ボールがバウンドする———蹴る。

回転がかかったそのボールは最初から決められていたように、Hポールのど真ん中を射止める。

 ——すごい。

静寂が張り詰め、聞こえないはずの喋り声まで聞こえてしまいそうだった。


 見入ったままじゃダメだ。練習しなきゃ。

制服の下の練習着が露わになる。

Tシャツ、ハーフパンツ、スパッツ、長い靴下、スパイク。

もうそれっぽくなってきた。

部室から、米俵を担ぐように円柱状のタックルバックを運び出す。


 集中を高める。

こんくらいの距離から、姿勢を低く。

一歩。

金属の爪で大地を掴む。

噛み付く。

離さずに、足を前に前に前に‼︎

ボスン。

ふぅ。

ふとHポールの方を見る。

確かにさっきと同じように、ボールが飛んでいる。

しかし同じなのは、ボールが飛んでいることくらいだ。

明確に違う。

このボールは、そう。なんと言うか。

利き手じゃない方で書いた字みたいだった。

なんで。

また。また、Hポールの横を通り過ぎる。

そもそも、届かないボールもいくつかある。

「あぁッ‼︎クソっ‼︎」

さっきと同じようにボールがバウンドする。

でも、蹴られないボールは二回バウンドして止まった。

涼しいと思ったら、校舎の影が僕らを包み込んでいた。

空は相変わらず、青く輝いて、目の中に入る。

宇宙はあんなにも暗いのに。

「先輩、どうしたんですか?」

我に返ったように、本性をサッと隠したように、いつもの先輩に戻った。

「おはよう。ごめん。なんでもないよ。自主練、えらいね。」

「もしかして、僕が練習の邪魔しちゃいましたか?」

「ううん。別に。」弱い方が悪いから。確かにそう聞こえた。気がした。


 少し気まずくなって、練習に戻る。

ボスン。

外れた。

ボスン。

また外れた。

あ、あの。と発音したつもりがチャイムにかき消された。

先輩も片付け始めている。

最近、こんなようなことが多い。


そんなモヤモヤもミントの香りがする汗拭きシートが全て落としてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る