第4章 隠そうとした命
第9話 温泉と親切な宿の主人
—-前エピソードのあらすじ—-
自分の運命を感じ、付喪神の波限と旅に出た沙穂。
大切な宝物も無事に戻り、気持ちも落ち着いた彼女は
山奥のとある村を目指し、再び旅に出ることに
—-
幾重にも連なる
「山の向こうにある村に行ってみたいんだ」
「あの村か…」
「ほら、途中にお湯が湧き出てる場所があるんでしょ。一度行ってみたくて」
「それ、温泉のことか?」
「そう。それ!!」
珍しく瞳を輝かせる彼女に、波限の気持ちが少し和らぐ。
「山は結界も多く張られていて危ないけど。まあ沙穂も最近ずっと気が張ってたみたいだし、温泉も悪くないか」
「じゃあ、それで決まりだね」弾むような声で沙穂は答えた。
翌日、村人たちに別れを告げて歩き始めた二人。
すれ違う旅人たちには沙穂の姿しか見えないので、ひとりで嬉しそうにしている彼女の表情に、不思議そうな眼差しを向ける者もいた。
けれど、その無垢な笑顔は多くの旅人の疲れを癒し、束の間の安らぎを与えていた。
「早く温泉で一休みしたいな」
沙穂の足取りは軽快だ。
三日が過ぎた頃、小川の上流からほんの少し、硫黄の香りが漂ってきた。
「もうすぐだな」波限がいう。
森を抜けた先に、少し開けた場所があった。
そこには粗末な小屋、というより目隠し程度の板で囲われた場所がある。
「これが…温泉?」
小川のほとりに作られた、少し大きな湯溜まり。大小さまざまな岩で囲われたその場所から、ほんのり湯けむりが立ち昇っている。
「ちょっと勇気がいるけど・・・でも他に誰もいないよね」
不老不死とはいえ、心はまだ十六、七歳くらいの少女だ。人目の多いところで湯浴みするなど、とても恥ずかしくてできない。
波限には本来の居場所に戻ってもらい、沙穂はひとりで湯に浸る。
疲れ切った身体を思いきり伸ばし、あたりの景色を眺める。
湯けむりの合間から眺める山肌は、どことなく妖麗で謎めいているが、全てを包みこんでくれるような優しさに満ちていた。
沙穂は身体の奥底から、いろんなものがスッと抜けていくような心地よさを感じていた。
「もう、ずっとこのまま入っていたいな・・・」
「おーい、もうそろそろ出ないと湯当たりするぞ」
遠くから波限の声が聞こえてきた。
「はーい」
もう少しだけ、と思いながらも、お湯から上がり着替える沙穂。
「よかった、誰もこなくって」
まるで彼女の入浴を待っていたかのように、その直後に何人かの旅人が湯を求めてやってきた。
慌てて荷物をまとめ、出発の準備をする。
次の集落までは、まだ少し距離がある。
「この先は結界も多いから、気をつけていこう」波限がいう。
結界・・・
沙穂は以前聞かされた、とある悲しい物語を思い出していた。
ひとりの女が、今は修行中の
それを知った男もまた嘆き悲しみ、生涯その庵を離れることはなかった。
ふたりの悲しみは癒えることなく、今ではその場所に、大小2つの岩が寄り添うようにして佇んでいるという。
「あんなふうにはなりたくないな。まあ許嫁なんていないから心配しなくていいんだけど」沙穂は、少しだけ拗ねたような表情を浮かべた。
「そのふたり、いま幸せになってたらいいな」
陽が西に傾く頃、山の合間に小さな集落が見えてきた。
一軒ずつ、一晩の宿をお願いする。
快く引き受けてくれたその家は、聞けば以前から旅人に部屋を貸しているという。
その家の主人あるじは名を
沙穂も、これまでの道中にあったことを、たくさん話した。
最初はボソボソと小声でしか喋れなかった彼女も、しばらくすると緊張が解け、自然に言葉を交わせるようになった。
この集落では数日後に鎮守の祭りが行われるそうだ。せっかくなので祭りが終わるまで泊まっていってはどうかという春部の申し出に、沙穂は目を輝かせて快諾した。
「よかった、春部さんが親切な人で」
その夜、沙穂は久しぶりに心安らかに眠りについた。
そして明け方、彼女は、どこからか聞こえてくる人の声で目を覚ます。
「あと、一日・・・」
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