第1章 なにかのはじまり

第1話 はじまりのとき

「あんなに娘を可愛がっていたのに。ふたりはいったい何処へ行ってしまったんだ」

「まるで消えてしまったみたいだ…」

「か、神隠しなの?」

「そんな、そんなこと言うもんじゃないだろ」

「でも、そうじゃなきゃ説明できないじゃない!!」


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奈良時代、いやそれよりも少し前の時代、小川のほとりの小さな村で、ひとりの赤ん坊が精一杯の産声をあげた。

まるで玉のような美しい女の子だ。

両親はもとより、村の誰もが喜びを隠せなかった。


沙穂サホ・・・赤子はそう名付けられ、たくさんの人に見守られながら、すくすくと育っていった。


そして彼女が三歳になるとき、運命は静かに揺らぎはじめる。

彼女は突然、見昌寺に預けられた。

両親は忽然と姿を消した。

まるで最初からそこにいなかったかのように。


村人たちは首をひねった。

心当たりを手当たり次第探した。

しかし手がかりは何一つ残されていない。


まるで神隠しのようだった。


その少し前

雨の降りしきるなか、本堂にはふたつの影があった。

一人は見昌寺の和尚、そしてもう一人は蜻蛉カゲロウのような「何か」


「そ、それは・・・」和尚の声は震えている。

「すまない。無理を承知でお願いしている」影は静かに、諭すように言う。

「わかりました。お力になれるかどうかわかりませんが、できる限りの手は尽くしてみましょう」

「時間はかかるかもしれないが、決して無理はなさらぬよう」


和尚の顔は、困惑と苦悩の表情で歪んでいる。

蜻蛉のようなものは、いつしかその場から消えていた。

怪しく揺れる蝋燭ロウソクの光だけが、その場に残されていた。


それから…


和尚は沙穂を我が子のように守り育てた。

生きていくために必要なあらゆることを教えた。

彼女も、その思いをしっかりと受け止めていく。


やがて…


沙穂は素朴で頼りなさげな雰囲気を纏いながらも、どこか人を惹きつける、不思議な魅力を持つ少女に成長した。

しかし年を重ねるごとに、彼女の心には小さな棘のような違和感が芽生えていく。


「わたし、ひとり、なんだ」


幼い頃からの思い出。

数え切れないほどの楽しい出来事。

どれもが大切な、大切な宝物。

それでも…

何かがぽっかりと抜け落ちているような、満たされない気持ちがゆっくりと大きくなっていく。


ある晩、沙穂は和尚と向き合った。


「和尚さま…」


「沙穂殿、どうなされましたか」

和尚には、沙穂の言いたいことが手に取るようにわかった。

そして静かに待った。

やがて彼女は震えながら唇を開く。


「わたしは…わたしはなぜ此処にいるのでしょうか」


和尚はしばらく彼女の瞳を見つめた。

それは少しずつ大きくなる疑問と、さらに大きな不安で所在なさげに彷徨うような瞳。


和尚は、何かを悟ったように言った。

「沙穂殿、落ち着いて聞いてくだされ」


和尚は目を閉じ深く息を吐き出すと、彼女の生い立ちを静かに語りはじめた。


彼女がこの集落で、人々から愛されながら生まれ育ったこと。

三歳のころ、両親が忽然と姿を消し、この寺に預けられたこと。

その後は誰も行方を知らぬこと。


両親のことは、あまり記憶にない。ただ母が歌ってくれたのか、子守唄のようなものが、時々浮かんでくることがある。それは泡沫のように儚く、そして春の日差しのように優しい歌。


泣かないと誓ったその瞳が少し潤んでいるのを彼女は感じていた。

たとえどう思われようとも両親のことは、どんな些細なことでも知りたいと思った。いや、本当はまわりにいる大人たちを問い詰めて聞き出したいくらいだ。


気持ちが高ぶる沙穂をみて、和尚は優しく続ける。

「沙穂殿、明日、白石神社に参拝なさるとよいでしょう」


その夜、沙穂はほとんど眠る事ができなかった。

翌日、和尚に言われたように、白石神社に参拝する。

そこは彼女が幼い頃から、よくおとづれた場所。


静かに目を閉じ、遠い記憶に手を伸ばす。

大好きな白い椿の花が、彼女を手招きするように揺れている。

鵜の瀬のせせらぎだけが、気持ちを落ち着けるように彼女に届く。


ふと、抗えない睡魔が訪れる。

そして、どこからか現れた蜻蛉のような何かが、ゆっくりと語りかける。


「沙穂よ・・・・・・」


朦朧とした意識の中、沙穂の頬を一筋の涙が流れ落ちた。

夢から覚めたばかりの、おぼろげな、しかし確かな記憶をたどり、彼女の中に何かが芽生えたような気がした。


「帰ろう・・・帰らなきゃ」


震えるようにそう呟き、彼女は寺へ戻った。

そして、ふたたび和尚と向き合う。


和尚は何も言わず、そっと優しい眼差しで沙穂を見つめている。


「和尚さま、わたしは、、、私は・・・」


「沙穂殿、真実はあなたの中にだけあるものですよ。そしてその道筋も、あなただけに示されるもの。どうか、ご自分を信じてくだされ」


その夜、ふたたび蜻蛉のような何かと向き合う和尚の姿があった。


「本当に、これでよろしかったのでしょうか?」

「ありがとう。多くの苦労をかけて申し訳なかった。これまでのこと、感謝している」

「そうですか。それでは沙穂殿のこと、くれぐれも、よろしくお願い致します」


そうして、八百比丘尼となる沙穂の人生が、ゆっくりと動き出した。

しかし彼女はまだ知らない。

自分がこれから歩む道がどれほど長く、どれほど孤独で、そしてどれほど美しいものなのかを・・・


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ストーリーとボイスドラマ・音楽が一体となって紡がれていく、和風ファンタジー「八百比丘尼〜僕がまだ若かった頃の話をしよう」


自らが受け継いでしまった運命をまだ知らない、一人の少女「沙穂(八百比丘尼)」


彼女がこの先、何に気付き、何を背負いながら、その長い人生を歩んでいくのか、それは誰にも分からない。


決してもののけや妖怪などではない、一人の普通の少女の、それは長い人生の物語。


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