第1楽章「波乱のマードック」 3-3
「今日はお忙しいところ、お時間割いていただきありがとうございました。皆さんのご協力が何よりです。それに、僕も皆さんと上手くなっていきたいと願っています。どうぞ、これからよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げ、広史が礼を述べた。ちょうど小ホールの練習もひと段落ついたようだ。相変わらず下手くそで、苦しそうな高音と締まりの悪いハーモニーを残して終わったが。会議の面々もガタガタと席を立ち、部屋を後にしていく。去り際に、小ホールの方を親指でくいくい指しながら、光博は「これが全国行けるようになったら見ものだな」という視線を関ヶ原に投げかけていたが、関ヶ原は動じず、静かに目を伏せていた。
夏子たちさんに見つかったら面倒なことになる!桂菜たちは頭を机に突っ伏してやり過ごそうとしたが、もう何をしても意味はない。なんとなくいろんな視線を感じる。一瞬、夏子と光博の気配を感じたが、突っ伏しを決めて去るのを待った。
「かーれーんー??」
パートリーダー全員が部屋を出た後、桂菜は「ちょっと話を聞くだけだから」と誘ってきた親友を恨み顔で睨んだ。かれんは頬を赤く膨らませながらプイッとそっぽを向くが、桂菜は視線を外さない。
なんだあの話し合いは。なんて面倒なことに巻き込んでくれたんだ!絶対逃げなきゃ!憎まれ役はもうごめんだ。変な役割を与えられる前に、この場を去ろう。
「おお!来てくれたか、小田牧さん!ちゃんと桂菜も連れてきてくれて!これで色々始められそうですよ、関ヶ原さん!」
しまった、開ちゃんに見つかった。かれんの顔を見留め、開理がこちらに駆け寄ってくる。関ヶ原はその場で全く表情を変えず「そうか」の一言を返すだけだ。桂菜はのっそりと頭を起こし、なんとかこの場を去る言い訳を考えながら意を唱える。
「いや、あの…私はただ巻き込まれただけなので…」
事が進む前に拒絶の意を示しておかないと。おずおずと手を挙げながらそう進言する桂菜だったが、開理は全く話を聞いておらず、唐突にも関ヶ原の紹介を始める。
「あぁ!桂菜は先週会えなかったからな!挨拶しろ!こちらは関ヶ原剛志さん!ユーフォ担当だ!関ヶ原さん、こちら従妹の桂菜です!トランペット、やらせてもらってます!」
『やらせてもらってます』って、そんな謙遜いる…?相変わらず人の話を聞かずにずんずん進めてしまう従兄に辟易しつつ、関ヶ原にまで認知されてしまえば退路はないと覚悟を決め、こちらに体を向けた関ヶ原に「佐々木桂菜です…、大学2年生です…」とおずおず自己紹介する。関ヶ原はピクッと桂菜の自己紹介に反応した。
「大学2年生……20歳の年か」
「えっ、あっ、はい」
「そうか……小町の1つ上か……」
急に質問してきてぼそっと独り言をこぼす関ヶ原に恐怖を抱きつつ、なんとか話を戻そうとする。
「あの…今日はただかれんに言われて話聞きにきただけなんですけど……」
「ん?あぁ、君のことは宮本くんから聞いている。頼りにしている」
え、あ、いや。何も協力するとは言ってないんですが……。喉元まで出かかっていた言葉は、虚しくも唾と共に落とされた。なんとか、なんとか逃げないと……!
「桂菜ちゃんも来てくれたんだ!小田牧さんからはお手伝いしたいって聞いてたけど、まさか桂菜ちゃんもなんて!2人なら負担も半分に抑えられそうだね!」
とうとう広史も加わってしまった。もはや仕事を任される話になっている。逃げたい、逃げたい。
「桂菜ちゃんたちには、広報と庶務の仕事をお願いしたいんだ。資金調達には、なにぶん方吹(うち)の宣伝が必要だからね。地域のイベントだけでなく、地元施設や店舗に、相手方の宣伝も含めた演奏イベントを片っ端から提案していって、スポンサーを募っていきたいんだ。それと一番メインの仕事は、うちのSNSアカウントを作って運営してほしいんだ!これで全国の人にうちを知ってもらえるし、クラウドファンディングでの調達効率も図れる。桂菜ちゃんたち若いからさ、こういったこと得意かなって思って!ぜひ、うちの宣伝部長、いや、看板娘として方吹を広めていってほしいん!これからよろしくね!」
あぁ……、はい。としか返せず、桂菜は天を仰ぎたい気分だった。結局引き受けてしまう性質なんだ。面倒だ、実に面倒だ。楽団の運営に携わるなんて、行政や地元民からのクレームの矢面に立たされる役割じゃないか。そうやって責任を背負わされて、役に立たなければ見捨てられるんだろう。昔の嫌な気持ちを思い出し、桂菜の目は少し潤んでしまった。そんな桂菜に気づいたのか否か、かれんはおもむろに桂菜の肩を抱き、広史に堂々と宣言した。
「はい!私たちでよければ、お手伝いさせていただきます!まだまだ未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします!」
肩ごと押されペコっとお辞儀をしたところで、かれんはこそっと囁いた。
「巻き込んじゃってごめん。桂菜が全部背負い込む必要ないから」
親友の一言に、桂菜はさらに目が潤みそうになるのを耐えながら、広史からは見えないところでかれんを小突く。
「ほんと迷惑してんだからね。……ありがとう、私も頑張る」
生き抜くために沈没する船から降りるべきか、諦めて留まって沈むのを待つか。頼れる友人がいるなら、しばらく船の様子を見るのもいいかもしれない。桂菜は楽団の行く道を見据えながら、自身の思いに向き直っていた。
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