第29話 逃亡

(セイラ視点)

 

「本当に行くのかよ」

事情を知ってる、バンドメンバーの子が私を心配する。


「うん。行くよ」

「何か、あったら頼っていいんだからな」

オドオドしながら彼女はそう答える。


まただ。また、私の心を揺さぶるような発言が飛んでくる。

私は、もう決断したのに。






「よろしくお願いします」

お見合いは、高級料亭で執り行われた。


「よろしく頼むよ。がはは」

黒田社長は、下品な笑みを浮かべ私をジロジロ見つめる。


「お、お手柔らかに」

「もちろんさ。」


運ばれてくる料理は、見たこともないような一級品のものばかりだった。

私は、緊張で殆ど味を感じなかった。勿体無い。




「……美しいな、君は」

黒田社長の濁った声が、料亭の静寂にいやに響いた。

その目が、料理ではなく私の身体を舐め回すように見つめているのを感じ、背筋に冷たいものが走った。


「は、はぁ……ありがとうございます」

声が震える。盃を持つ手の指先まで力が入らない。


「緊張することはない。オレは君を気に入った。『直感』的にね。……だから、安心して身を預ければいい」

黒田は下卑た笑みを浮かべ、盃を干す。酒の匂いとともに吐き出される息がやけに生臭く感じられた。


「そ、そんな急に……」

私が言葉を探す間もなく、黒田は唐突に立ち上がった。


「セイラさん。ここじゃ落ち着かないだろう。もっと君と語れる場所があるんだ。……行こう」


「い、いえ……でも、私はまだ――」

言葉を挟む隙を与えず、黒田は当然のように私の腕を取った。

「遠慮はいらん。君は夢を追い、、そう。歌に生きてきたのだろう? これからは、オレのもとで思う存分生きればいい」


私は抗議の声を飲み込み、ただ曖昧に頷くしかなかった。

料亭の廊下を歩く間、仲居たちの小さな驚きの視線が刺さる。

その視線に助けを求めたい衝動が喉までこみ上げたが、声に出すことはできなかった。





玄関の外には黒塗りの車が待っていた。

運転手が無言でドアを開ける。

私は流されるように、その後部座席へ押し込まれた。


――先ほどの料亭が遠ざかっていく。

胸の奥にざわめきが広がる。

どこに連れて行かれるのか分からない。けれど、本能が告げていた。

「ここから先は戻れない」と。


「ねえ、黒田さん……これって、お見合いの後にしては……」

勇気を振り絞って声を出した。


「ははは、細かいことを気にするな」

黒田は笑った。その笑顔には、心からの温かさなど一欠けらもない。

「君は今日から特別なんだ。オレが選んだ。それだけで十分だろう?」


十分なんだろう。『彼が私を選んだ。』そしてウチの会社は救われる。私が選んだ道でもある。





たどり着いたのは、郊外にある黒田の別邸だった。

無機質に広い玄関、重く閉ざされる扉。

空気が淀んでいて、ただ居るだけで呼吸が浅くなる。


「安心しろ、セイラさん」

黒田の声が背後から迫る。

「ここがお前の新しい居場所だ。君の歌も、夢も、全ては昇華され、新たに。ここから始まるんだ」


『ここから、始まる』黒田社長は私にそう嘯く。

そして、私の肩に触れる。社長の鼻息が荒くなる。その時、私はこれから何が行われるかを理解した。

『私は、初めてを彼に捧げることになる』と言うことを。


「いやだ」自分の感情を痛嘆する。


『そうですね。もし、夢咲先輩が困っていることがあったら言ってくださいね。僕も出来るだけ力になります。』佐伯くんの声が蘇る。私の初恋の人。


『何か、あったら頼っていいんだからな』そう発言した子は、私の初めてできたバンド仲間の子だった。dodgy butterfly怪しい蝶をメジャーバンドにする。そんな夢を二人で共有したことを思い出す。


そして、

『勇気持てました?』と言ったときの少年が想起される。

いま、彼の言葉をちゃんと理解した。私が選んだ選択は、勇気を持った選択ではなかった。親から言われたことに対して反抗出来なかった、臆病な選択だったんだ。


親から言われた婚約相手と結婚し、体を好き勝手される。


「……そんなの、私、望んでない」

思わず絞り出した声はかすれていた。


「望む必要はない。オレが決めたことが、君の運命になるんだ」


その言葉で、私の中の糸がぷつりと切れた。

――逃げなければ。


踵を返して走り出す。

夜気が冷たい。庭の塀を越え、舗装の悪い道を駆け抜ける。


必死で走り抜けた先、ふと開けた路地で足が止まった。

そこに二つの影が待ち構えていた。



一人は、病的な迄に肌の色が白かった。髪の毛も蒼白色の人物。

対して、もう一人の男は褐色の肌に漆黒の髪を持つ巨漢だった。



「貴方は、逃げられませんよ。おそらく。運命は社長を支持してますから。ね!烈火さん?」

白い男が目を閉じそう発言する。彼の首元のペンダントが揺れる。


「天命よぉ。おれぁ、運命だかなんだか知らねぇ。仕事をこなす。それだけだ。悪く思うな嬢ちゃん」

烈火と呼ばれる男は、そう発言した後、地面を蹴りあり得ない速度で私に近づく。


先ほど、烈火がいた場所のコンクリートはひび割れ、窪んでいる。


ここまでか。

そう、私が観念しようとした時だった。


――チャリンチャリン

ベルを鳴る。


自転車は、私に近づいてきた男を跳ね飛ばす。

その自転車の運転手は、、

「少、年?」


私のよく知る人物だった。

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