第2話 嫌な予感(確信)
大学生活が始まって、まだ一週間。
桜はすでに半分ほど散り、歩道の端に吹き溜まりを作っている。
初めてのキャンパスは広くてきれいだが、講義の半分は眠気との戦いだ。
この日も俺は、巨大な教室の後方席で、机に頬杖をついていた。
スクリーンには数式だか理論だかわからない図が映っているが、俺の脳には一切入ってこない。
――エンディング後の世界って、もっとキラキラしてるもんだと思ってたな。
高校時代はイベントだらけだった。バレンタインだの文化祭だの、原作のシナリオ通りにドタバタして、気がつけば一年が終わっていた。
それが今は、講義を受けて、昼飯を食って、家に帰るだけ。
……悪役の俺にとっては、平和すぎる毎日だ。
「なあ、篠宮って同じ高校だったよな?」
不意に前の席の男子が振り返ってきた。名前は確か、田代。入学式の日に軽く挨拶しただけのやつだ。
「何?どうかした?」
「いや、この前駅前で見かけたんだけどさ……佐伯って覚えてる?」
佐伯――悠真の苗字が出た瞬間、少しだけ背筋が伸びた。
「もちろん。どうした?」
「浪人してるらしいぞ、あいつ」
田代は声をひそめ、面白そうに続けた。
「高校の頃モテてたじゃん。けど今年、大学受験で全部落ちたって。今は予備校通ってるらしい」
「へえ」
俺はできるだけ興味なさそうに返した。
でも内心では、昨日駅前で見た猫背の姿と、この話がぴたりと重なっていた。
◇
講義後、特に用事もなかったはずなのに、気づけば足は駅前へ向かっていた。
夕暮れの通りを歩いていると、カフェの窓際に見覚えのある横顔があった。
淡いベージュのコートを着こなす女性――水瀬 梨花。
高校時代、正統派ヒロインとして誰もが憧れたお淑やかな少女だ。
あの卒業式の日、夕暮れの校庭で佐伯の告白を受け、微笑んでうなずいた彼女の姿が、今も鮮明に蘇る。
しかし、その表情はどこか曇っていた。
「……篠宮くん?」
目が合うと、梨花は一瞬だけ硬直し、それから控えめな笑みを浮かべた。
その笑顔には、わずかに警戒の色が混じっている。
「久しぶりだな」
「……ええ。ここで何を?」
「通りがかっただけだよ」
俺の答えに、梨花は小さくうなずいたが、視線は探るように揺れている。
テーブルには参考書と色ペンでびっしり書き込みのあるノート。
ページの端には数学の公式や赤い丸印。
俺は軽く肩をすくめ、かまをかけてみた。
「佐伯に教えてたんだろ?」
梨花の指先がぴたりと止まる。
「……どうしてそれを」
低い声。目がわずかに見開かれている。
図星か。けれど俺は適当に笑ってみせた。
「勘だよ。お前、昔から面倒見いいしな」
「……別に、そんなこと」
梨花は視線を逸らし、急に立ち上がった。
「もういいです。それじゃあ」
すれ違いざま、ふいに「ガタン」と音が響いた。
梨花の手から分厚い参考書が滑り落ち、床に付箋が散らばる。
周囲の客は足早に避けて通るだけだ。
俺は無言でしゃがみ、参考書と付箋を拾い集めた。
「ほら」
「……そ、そうですか」
その声はさっきよりわずかに柔らかい。
「別に助けたわけじゃない。踏まれそうだったから拾っただけだ」
軽く肩をすくめて背を向ける。
後ろからの視線を感じたが、振り返らなかった。
かすかに届いた声だけが耳に残る。
「……ありがとう」
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