第十話 客室「葵」side:鈴木朔太郎
「ここだな」
物部が手に持った鍵を差し込み、扉を開ける。
表札には『葵』と記されている。ここが、この合宿で僕らが泊まる部屋だ。
大野旅館は全部で十二室あり、そのうちの三室を天文サークルで借りている。
客室の名前は多分、源氏物語から採られているのだろう。他にも『玉鬘』や『朝顔』、『藤壺』などの名前がついている。
和室の中央には机があり、机の上には花瓶に活けられたスイレンが飾られていた。
僕らは靴を脱ぎ、和室に入る。
「花瓶が邪魔だから、どかしてもいいか」
物部は、僕と飯田君に声をかける。
「別にいいよ。机広いほうが便利だし」
僕はそう答え、飯田君も無言でうなずく。
物部は花瓶を床の間によけ、机は広々となった。コンセント周りを物部は確認した。
「あとはテレビに刺さるかどうかだな」
そう言って、物部はテレビのところに行くと、後ろの端子接続部分を確認した。
「よし。大丈夫だ。鈴木に、飯田。今から夕飯までの間、ゲームやらないか」
と物部は誘ってきた。
「いや。僕はやめておくよ」
手元には、柳井先生から借りた『ソモフの妖怪物語』がある。今日の民話の集いや明日の資料館での散策までに読んでおきたい。
「飯田はどうする」
物部が飯田君に尋ねる。
「えっと、それじゃお言葉に甘えさせてもらいましょうかね」
飯田君は物部に気を遣ったのか、少し声が小さかった。
「うし。それじゃ、二人プレイできるこれなんかどうだ」
そう言って、携帯ゲームの画面を見せる。
「僕は初心者ですけど、大丈夫でしょうか」
飯田君の不安そうな声が聞こえる。
「大丈夫。二人協力プレーだから。俺がフォローするし、ミスっても怒らないから」
物部はそう言って、携帯ゲーム機からコントローラーをはずして、手荷物に入れていたゲーム機の
ゲームの起動音と共に、おどろおどろしい音楽の後、タイトルコールが英語で聞こえてくる。
『ゾンビ・ハザード リベンジ2』
これは、二年位前にテレビで散々CMが流れていたゲームだ。僕にも名前くらいは分かる。
「それじゃ、飯田は先行して敵をどんどん撃ってくれ。俺は後ろから援護していくから」
物部は慣れた様子で作戦を伝える。こうして見ると物部は物部なりに飯田君と仲良くやっているようだ。何となく、いつも髪の毛にワックスをつけて制服を着崩して、放課後にはゲームセンターに入りびたるような不良という勝手なイメージを抱いていたが、このやり取りからは、弟とゲームを楽しむ、いい兄貴という印象を受ける。それでも、あいつはゲーマーなので、ゲームにはあまり興味のない僕とは、あまり話が合わないことには変わりないが。
僕は彼らがゲームに興じている後ろで本の世界に入る。
ソモフ。オスト・ミハイロヴィッチ・ソモフとは、十八世紀から十九世紀のウクライナの作家で三十九歳で亡くなったそうだ。没落しかけた貴族という家柄で、文芸批評や雑誌編集、翻訳などをして生計を立てており、その中でこの妖怪物語を執筆したらしい。生前も没後も彼の書いた小説は日の目を見なかったようだが、二十世紀になってようやく再評価され、人の目に触れるようになったとのことだ。
でも、なぜ日本から遠いウクライナの小説家の作品集を柳井先生が貸してくれたのだろう。
作品集の最初のページを繰ると、手がかりがあった。
ウクライナはロシアといわば兄弟の関係であり、肥沃な大地と温暖な気候から九世紀ごろから後のロシアの元となる国家が誕生して栄えていたという。しかしながら、何度も他国の侵略を受けて、国家の中心地がウクライナから今のロシアの都市に変遷して、ウクライナはウクライナとして独立したという経緯があったようだ。ウクライナの妖怪話は、ロシアの妖怪話と通じているということだ。
なるほど。柳井先生が、「広い世界を見ておく必要がある」と言ったのは、そういうことだったのか。伝承が語られ、広がっていくためには何かしらの背景が必要だ。そのためにはその土地の歴史というものを紐解く必要がある。大城大学の総合歴史学科に民俗学研究室があることにも納得した。
ソモフの小説を読み進める。キキモラやドモヴォイなど日本には馴染みのない妖怪が出てくるが、中でも『ルサールカ』が不気味に感じられた。
ルサールカは身投げした女性や洗礼を受けずに死んだ子供の死霊で、普段は水の中で暮らし、初夏の緑の週(ルサールカ週)にのみ地上に出て、森や畑を歩き回るという。また、ルサールカに魅入られた生者はくすぐり殺されるようだ。
小説の中では、隣国の貴公子に恋した美しい娘が、恋慕を募らせて森の妖術使いの所に行くが行方不明となる。娘を探す母親が妖術使いの所で娘を見つける儀式と蘇生方法を教わる。母親が儀式を実行すると、ルサールカの一団の中に娘を見つけ、自宅に連れて帰り、蘇生を試みるというストーリーだ。
ルサールカは水底と森を行き来して、二本足で歩き回る。日本の河童と似ているが、こちらは人の姿をしている。さらに、霊というには、しっかりとした実体がある。むしろ、ゾンビのような不気味さがあった。
僕は本を閉じて、飯田君と物部のゲームを観戦する。
「いいぞ、そこを左。そうじゃなくて。そうそう」
物部が飯田君にアドバイスする。飯田君は無言で真剣にプレーしている。
ゲームの画面ではひときわ大きな敵がゆっくりとプレーヤーを追い詰めていて、飯田君は銃を撃っては逃げるという、ヒットアンドアウェイを繰り返し、徐々に後退していった。
物部の操作画面は建物の上だろうか、十字路に焦点を定めている。
飯田君の使うキャラクターが物部の画面に映る。そして、十字路の奥に逃げ込み、ボスらしき敵が標準の中に収まった瞬間、物部はライフルを一発放つ。
大きな敵の急所に当たったのか、敵は倒れ込み、画面には『GAME CLEAR』の文字が表示される。
「や、やりました。先輩」
「あぁ、飯田が上手く引きつけてくれたお陰だよ」
二人とも満面の笑みでハイタッチした。
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