第11話 異界ーエンデー 看板娘の語り

湯気を上げる皿を受け取った修は、静かに礼を言い、机に置いた。

アルミラージのクリーム煮は香草の匂いとともに、ほのかに乳の甘みを漂わせている。

レイラが小さく息を漏らす。


ーいい匂い。美味しそう。

「狩りの成果ってやつだな」


修はスプーンを手に取り、一口すくう。

思った以上に柔らかく煮込まれていた。

長旅の疲れが、わずかに緩む。


看板娘はその様子を見て、ほっとしたように微笑む。

しかし、次の瞬間――修の隣に置かれた皮手帳に目を留めると、顔色が一変した。


「そ、その手帳……どこで……?」


「ああ、これか。」

修は警戒を解くように軽く手を上げる。

「森で拾った。持ち主は……残念だが、もう生きちゃいなかった。」


娘の唇が震えた。

蝋燭の灯が小さく揺れる。


「やっぱり……あの人、帰ってこなかったのね。」

「知ってたのか?」

娘は小さく頷いた。


「ええ……彼は、ひと月ほど前にこの宿に泊まっていました。

 泊まっている間、毎日夜遅くまで地図を描いて、難しい顔をしてました。

 “ここはもう終わりだ”って……でも、それでも“なんとかするさ”と言って旅に出て行ったんです。」


「終わり?この街の事か?」

娘はゆっくり頷く。


「もともと、この街はソルヴァ教が取りまとめていたんです。

 大きな川が流れていて、穀倉地帯として豊かで、

 皆が手を取り合って生きていました。」


「だが、今は違う。」と修。


「……はい。ルナディア教が広まってから、全てが変わりました。

 川は流れを変えられ、街の中心に巨大な教会が建てられて、

 商人たちが次々と押し寄せて……」


「急速な発展の弊害か…」

「そうです……繁栄は……一部の人たちだけのものでした。」

娘の声が静かに震える。


「農家の人たちは土地を奪われ、

 川べりに小さな畑を作るのがやっと。

 お金を持たない人は“神の恵みに値しない”と追い出されました。

 ソルヴァの長たちは抗議しましたが……」


「金に飲まれたんだな。」

修の低い声が被る。


「……ええ。裏取引と裏金で、信仰は汚されました。

 ソルヴァ教は次第に街から姿を消し、

 今では塀の外に追いやられているんです。」


「だが、あんたは、まだここにいる」

修の言葉に、娘は苦笑した。


「この宿は、もともと酒場でもありました。

 職を失った人たちや、信仰を失いたくない人たちは、

 今も時々ここに集まります。

 ……表ではルナディア教徒を装って。」


「つまり、隠れ信徒の拠点か。」

「そう言われても否定はできませんね。」


娘は小さく息をつく。

蝋燭の炎が影を揺らし、沈黙の間に遠くの鐘の音が響いた。


「でも、もう希望はありません。

 一月ほど前にふらりと戻ってきた旅人が、こう言ったんです。

 “太陽は、月に隠される”って。

 それを聞いた時、皆……悟ったんです。

 聖女様はもういないのだと。」


ー…っ!!

「ソルヴァ教の?」

「はい。ルナディアの勇者に対抗するため、

 ソルヴァ教は聖女を立てていました。

 でも、今は行方不明。

 勇者はルナディアの加護を受け、街は完全に掌握された。

 私たちはただ……見ているだけ。」


静かな部屋に、スプーンが皿に触れる音だけが響く。

修はスープを飲み干すと、静かに言った。


「太陽が隠れても、夜は終わらんさ。」

ー……それ、慰め?

「いや、予告だ。」


レイラがくすっと笑い、娘が一瞬きょとんとする。

修は立ち上がり、テーブルに硬貨を数枚置いた。


「うまかった。あとで少し話を聞かせてもらう。

 ……手帳の持ち主について、もう少し詳しくな。」


娘は戸惑いながらも、小さく頷いた。

「……わかりました。片付けが終わったら、下におります。」


扉が閉まる。

室内には、まだスパイスの香りと、微かな哀しみが残っていた。

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