きっと僕らの青い鳥は迷子になっている。

音央とお

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青い鳥といえば幸福を運んでくれることで有名だ。


「床に落としてましたよ」


電車の中で本を読んでいたら、見慣れない制服の女子が栞を差し出してきた。

書店で購入時に渡された物で、確かその店のオリジナルのものだ。そこに印刷された動物はパンダやペリカンなどの種類があって、僕のもとにやってきたのは青い鳥だった。水彩絵具特有の柔らかいイラストが印象的であるそれを挟まずに鞄の中に入れていたので、おそらくは本を出す時に落としてしまったのだろう。


「ありがとうございます」


最初に白くて細い指だなと思ったけれど、よく見ればその印象は全体的なものだった。手足が細くて長い。

セーラー服も白を基調としたものなので、本人の雰囲気も相まって透けてしまうんじゃないかってくらい透明感がある。

焦げ茶色の髪は姫カットと呼ばれるヘアスタイルをしており、切れ長の大きな目に似合っていた。


今日は土曜日なので部活帰りなのかもしれない。それを本人に確かめるなんてことはもちろんしないので、憶測のまま終わってしまうけれど。


正面の空席に座った女子は大きなリュックサックの中から文庫本を取り出した。

図書館で借りたものらしく、カバーなどは付けられておらず表紙が丸見えになっている。それが先週読んだばかりのタイトルだったので手元に釘付けになってしまう。

10年以上前に発刊された推理小説で、叙述トリックが巧みで唸った作品だ。


周りに読書好きがいないので誰とも感想を共有出来ないのがもどかしくなっていたので、こうやって作品に触れている人間を見かけるのは嬉しい。最後のどんでん返しは切ないながらも幸福で余韻に暫く浸ってしまった。


僕の視線に気付いたように顔を上げたので、慌てて中吊り広告のほうへ顔を背ける。

じろじろと見られたら気分が悪いだろう。本人ではなく本に釘付けだったとはいえ、それは相手には伝わらないのだから。


もう彼女のほうを見るのはやめておこうと手元の本に集中する。

だから、今度は彼女が僕を見つめていたなんてちっとも気付いていなかった。



*   *   *



「おかえり」


アパートの扉を開けると、珍しく母が出迎えてくれた。夜勤に備えてこの時間帯は仮眠を取っていることが多いし、神妙な顔をしていたのでこれはただ事ではないと察する。


「どうしたの?」


何が飛び出してくるのか不安になるが、明るい声を作り、話しやすい空気を作る。母は落ち着かないようで胸元まで伸ばしている髪を指で弄っている。これは昔からの癖だ。


「あのね……いや、中に入って話しましょう」


これは長い話になる予感がする。

靴を脱ぎ、数歩でたどり着く食卓の椅子に腰掛ける。向かいの椅子に座った母は僕と目を合わせ、口を開いた。


直幸なおゆきには軽く話していたと思うけど、1年前から交際している人がいます」

「うん」


職場の同僚に紹介された人と付き合っていることは知っている。写真などは見たことがないけれど、お土産にくれたと言ってケーキやフルーツを持ち帰ってきたことは何度かある。

僕に気を遣う必要などないのに、一度会ってみたいとも言っていたらしい。


「実はプロポーズをされて、お母さんはそれを受けようと思っているんだけど……。直幸の気持ちを聞きたいの。嫌なら嫌と言ってくれていいから」


ああ、なるほど。それで緊張していたのか。


「僕のことなら気にしなくていいよ。もう高校生だし、進学する時に家を出ると思うから」


生前の父の記憶も少ないし、数年後には巣立つ息子のことなど気にせず好きにしたら良いのに。

母が一番喜ぶ言葉を考えて口にする。


「結婚おめでとう」

「……ありがとう」


感極まったのか目尻を押さえているけど、そんなに不安だったのか。僕はくすりと笑う。


「全然問題ないのに心配しすぎだよ」

「だって、家族の形も変わってしまうのよ」

「母さんが信頼してる人なら大丈夫だと思ってる」

「そこは問題ないと思うわ。お母さんには勿体ないくらい素敵で、早く直幸に紹介したいくらい。……それで急なんだけど、明日一緒に食事に行けないかしら?」

「明日?」


予定は何もないけれど、本当に急すぎて目を丸くする。


「なかなかみんなの都合が合わなくて、明日を逃したら来月になりそうなの」

「母さんの仕事は休みが不規則だもんね。いいよ、明日で。先に延ばしても変に緊張しちゃうから」

「緊張なんてしなくても大丈夫よ。じゃあ、2人に返事をしておくから」

「時間分かったら教えて。……ん?」



「覚えていないかもしれないけど、直幸は兄弟が欲しいって言ってたのよ。この歳になって妹が増えるなんて不思議な気分ね。私も娘が出来るとは思わなかったから楽しみだわ」

「……母さん?」


もしかして僕は聞き逃していたことがあるんじゃないだろうか。しかも、重要なことを。


「あのう……、妹って……?」

「あら? 話していなかったかしら? 話していたつもりだったけど……」


口元に手を当て、目を丸くされても困る。

どうやら父親が増えるだけではないらしいことは察したけど……妹だって?


「直幸と同じ歳の女の子がいるのよ」


どこの創作物フィクションだと言いたくなる事実に僕は言葉を失った。


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