来訪者は異臭と共に
「有り難うございます! 肉マシマシラーメンの餃子セット二人分、合計2200円になります」
俺は鳴り響く腹の音に聞こえないふりをしながら2200円をレジの店員さんに支払う。
大好きなラーメンなのに、なんでこんな……
その隣ではなんちゃって魔王……ミヤが緊張しきった表情でしきりに周囲をキョロキョロ見回している。
そんなにビビるならやるなよ……
そうして会計を支払った俺とミヤは店を出た。
一口も手を着けていないラーメンに後ろ髪ひかれまくりながら。
「おお……我は、何という恐ろしいことを……父上、我は……頑張りました。漆黒の魔王に近づきました」
車に乗ってもなおブツブツ言っているミヤを俺はゲンナリしながら見た。
いや……むしろ遠ざかっていると思うが……
「ふ……ふふ……どうじゃマサト。注文しておきながら店のメニューに一切手を着けずに出て行く。これぞ許されざる大罪。お店の魂や店員さんの情熱、そしてお百姓さんや農家の方々の思いを瞬時にして踏みにじる。これぞ、魔王にふさわしき悪行」
「えっと……ミヤ様。お言葉ですが、魔王が店員や生産者の思いにまで目を向けることはそもそも無いんじゃないすか……ってか、メーターはどうなってます?」
そう言われてミヤは我に返ると、ワクワクした表情でペンダントを見て……がっくりと肩を落とした。
「へええ……全然色が変わっておらぬぞ。むしろ、青みがかっておる。なぜだ……」
おおっと。
これはヤバいぞ。
赤系がミヤの目指す「魔王の合格ライン」とするなら青系は「善なる存在」すなわち、ミヤにとっては落第の証拠。
試験が続くのは来年の七月まで。
ここでコイツのペンダントが最低でもオレンジになっていなければ落第。
ミヤが親父の後を継いで魔王になる芽は……潰える。
その時はどうやら二人いるミヤの弟のどっちかが継ぐらしい。
俺としてはそれだけは何としても避けなければならない。
なぜって?
決まっている。
ミヤが後継者としての資格を無くしたが最後、コイツはどうやら遠い辺境の地に花嫁修業に行かされるらしい。
一切の力と権力を無くして。
と、なると……ミヤの正体を知っている俺を守る物は居なくなる。
後に残るのは、魔族の存在と言う秘中の秘を知る俺という下等生物のみ。
その果ては、この前のマリとか言う少女に串刺しにされるか、ミヤの弟のどっちかに……と、ミヤに聞かされた俺は目の前が真っ暗になった。
うおお、考えたくないぞ。
「巻き添えにしたのはスマンと思う。だがな、それ故おぬしと我は一蓮托生。おぬし自身の身の安全のためにも、我と共に日々悪行に勤しむのだ。なに、おぬしは選ばれし悪。あの時、スーパー銭湯で見た悪行はいささかも錆びてはおらぬ」
いや……あれ、根本から間違ってるけどね。
日本の法律では100円以内のお金は盗難にならないらいしい。
あの後、趣味の小説投稿サイトの人から教えてもらった。
だが、これを言うに言えずにいる。
何というか……魔王に言うことでは無いが、ちょっと……気の毒かな、と。
俺は気分を変えようと明るい口調で言った。
「だったら、もっと悪らしいことした方が良いと思いますよ。あんな頼んだ料理を残す、なんてのじゃ数百年経っても赤くならないですって」
「ふむ、では聞こう。例えばどんな事だ? 言っとくが、人や動物や虫や公共の物を傷つけたり財産や夢、ましてや命を奪ったりするのは除くのだぞ」
「……逆にそれ以外の悪事って何があるんですか? そっちを教えてくださいよ……」
「だから悩んでおるのでは無いか! おぬしも眷族ならば知恵を出せ!」
もう無茶苦茶だよ。
そう。
コイツは魔族とは思えないくらいに……お人好しだ。
むしろ天国の側じゃね? と思うくらい。
神か悪魔のイタズラなのか知らんけど、どう見ても生まれる世界を間違っているとしか思えない。
なのに、よくもまああのマリとか言うのも忠実に仕えてるよな。
「じゃあ、迷惑系のユーチューバーとか……やりたくは無いけど」
「いかん! あんなのは下の下だ! 公共のルールというのは、不特定多数が互いに少しずつ我慢しながら、幸せを分かち合うためのもの。そうでないと、集団は成り立たぬ。その場を保つにも色々な人の苦労や我慢がある。経営するにはリスクも不安もあるだろう。あやつらは何の努力もせず、リスクも負わず自分の名声のために他人の努力や配慮に乗っかっているだけだ。人の世で心地よく過ごさせて頂いているという自覚に欠けておる!」
ふむ……いたって全うだ。
ぐうの音も出ない正論。
何の問題も無い。
しゃべってるのが悪の魔王の娘である以外は。
そう思いながら緑地公園の横を通っていると、突然ミヤが「止まれ!」と言って手を上げた。
「え! どうしたんですか、いきなり」
慌てて路肩に止めて、隣のミヤを見ると当の本人はニヤニヤしながらしきりに頷き、緑地公園を指さした。
「あそこに行くぞ」
なんのこっちゃ、と思いながら二人で緑地公園に行くとミヤは突然、広場にある水道の蛇口をひねった。
「よ、よし……これで……よい。さあ、マサト……帰るぞ」
「へ? これ……何の儀式なんです」
「たわけ! 儀式では無い、悪行ぞ! 蛇口の水を出しっぱなしにする。……ふふ……限りある水を灰燼に帰す行為。そしてこの街の財政に多大な損害を与える。これこそが……悪」
一仕事終えた表情で歩き出すミヤの後を、頭をクラクラさせながら歩いた。
これは……コイツの試験結果が分かる前に、楽に死ねる方法を探した方がいいかも。
そう思っていると突然ミヤは立ち止まり、両肩をプルプル震わせながら駆け戻り、開けっぱなしにしていた蛇口を半分ほど閉めた。
「ま……まあ、今回は初めてだから、この程度で許してやろう……」
ダメだ、こりゃ。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
「ただいま!」
ミヤがそう言いながら勢いよくドアを開けた。
30近くになるこの年まで独身で、趣味と言えば小説を書いてサイトに投稿する程度。
そのお陰でそこそこの格の防音機能付きマンションに住めるくらいの蓄えを持てたのだが、まさかこんな事に役立つとは……
これがボロアパートだったら、こいつと住んでたらそれこそ通報されかねない。
俺が毎日一時間かけて丹念に掃除している、取って置きの城。
一人で住むには広いかな、と思ったが結果的にコイツが居候する事になっても部屋は確保できるし。
さて、昼飯でも作るか。
さっき、ラーメン食べ損なったし……って……へ?
奥から何か……何故か分からないが、キッチンから異臭が流れてきている。
何というか……生ゴミを濃縮して、炭火であぶっているような……うええ。
ってか、俺とミヤ以外に誰もいないはず……
その直後、隣のミヤがブスッとした表情で言った。
「おい、ここは我とマサトの城ぞ。お前の滞在許可は出しておらぬがな……マリ」
……へ? マリ……
「申し訳ありません、ミヤ様。ですが、下等生物とだけでは栄養面や……その……他の面も不安故」
その言葉と共に奥からベチャベチャ、と言う音を立てながら出てきたのは……真っ赤なゴスロリドレスの上にエプロンを着けた、マリ……この前俺を串刺しにしようとしたミヤの配下の規格外の美少女だ。
「他の面とは何だ! 我に何の不安があるというのだ!」
「いえ……それは……やはり男と女故……その……皆まで言わせないで頂ければと」
「やかましい! 後、貴様……また料理を作っておったな! 被害を広げるでないと父上からも言われておったろうが!」
「ご心配なく。あれから上達したので、ミヤ様にもお喜び頂けるかと」
「じゃあこの異臭はなんぞ!」
「はて? そのような匂いなど……さては下等生物。貴様の匂いだな」
そう言ってマリがベチョ、と言う音を立てながら俺に歩み寄った。
ちょ……ハチャメチャな言いがかりだな。
……って……え。
俺はふとマリの足下を見ると……愕然とした。
黒のタイツで歩いているのだが、足が……何やら妙なドロドロの物体にまみれている。
これ……カ……レー……
「えっと……その足についてるのは? ……ちょっと……失礼」
「何だ無礼者。処刑するぞ」
「いや、それよりも……その足!」
思わず足下をのぞき込んだ俺は、目の前がクラクラしてきた。
それは……カレーのルーやハンバーグの破片だった。
それらが何故か異臭を放ちながら、マリの足中にくっついていた。
ってか、まさか……
俺は慌てて中に入ると、その場に膝から崩れ落ちた。
キッチンはまるで殺人現場かのように赤や茶色の液体……多分ケチャップやソースだろう……が壁や床に飛びちり、まな板には包丁が何本も無造作に突きたてられ、鍋の中には外国食材の業務スーパーで無いと見れないような肉の塊が押し込まれているなど、まさにホラー映画のごとき有様だった。
そしてテーブルと来たら……カレーやハンバーグが皿から飛び出すわあふれ出してるわ……
「どうだ、下等生物。旨そうだろ。自らとの差に絶望しろ。お前と住むようになったミヤ様の栄養状態が不安でな。何せ人型というのはなぜか人と同じ食材を要する。で、あれば私がお世話した方がミヤ様の体調面も万全だ」
言葉も無いほどの絶望、とはこの事だろうか。
これは即座に掃除……いや、もはやハウスクリーニングの領域だぞ。
……ん?
お世話……した方が?
「馬鹿者! お前の料理で魔界でも何人が犠牲になったと思っとる! そしてマリ! 貴様そのセリフ……まさか一緒に住む気か」
「さすがミヤ様。察しがよろしい。お父上からはご許可頂いておりますゆえ、何も心配はございません」
「い……いかんいかん! 絶対に反対だ! やっと自由気ままな生活……おっと」
「ぬ? ミヤ様、今聞き捨てならぬお言葉を。もしや……お父上や私の目から解放されて、気楽に楽しく過ごそう……などと思ってはおりませぬよね」
「い、いや……それは……ぬ? おおっ、なんと! メーターが……薄桃色になっておる!」
「本当ですね。しかしなぜ」
「何でも良い! きゃあ! やったあ」
喜んでピョンピョン跳びはねているミヤの姿を横目に見ながら、俺は絶望の底にいた。
こんな……家事の下手なのと一緒に……いや、下手どころかもはや生物兵器だぞ。
ああ……日々、掃除に命をかけている俺の……城が……汚される。
そう思いながら何度もマリの方を見る俺に、やがてミヤはハッとした表情になり俺を見ながら目を細めたマリと顔を見合わせた。
「……これは……マサトによるもの」
「ですね。下等生物のこの絶望した様子。まさにミヤ様の起こした悪行のたまもの」
いや、お前だよ。
そう言いたいのをグッとこらえていると、ミヤがニヤリといつものあくどい笑みを浮かべた。
「ほうほうほう……なるほどな。そう言えばおぬしはマリを苦手としておったな」
「私は苦手ではありませぬが」
「お前の意見はよい。ふむ……マリ! おぬしが共に住む事、認めよう!」
「え!? ちょ……ミヤ様!」
「黙れマサト。マリと一緒に住んでいれば、おぬしが絶望する機会も多かろう。で、あればそれを命じた我の悪行も貯まりに貯まる……ぷぷぷ。我、天才!」
「御意。では祝いとして用意した食事をみなで……」
「マサト! ピザとコーラを頼むのだ! さあ、飲んで食おうでは無いか!」
いや……その前に……この、地獄のような汚れを……どうにか。
やばい、これではミヤの試験結果どうこうじゃ無く俺が……死ぬ。
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