第19話 追憶 その2

 僕が10歳になる頃の記憶だ。


「おい奴隷。良いことを教えてやる」

「はい、なんでしょうかご主人様」


 虚ろな瞳で聞く。

 この頃の僕は一番精神的に病んでいた時期だ。度重たびかさなる処刑、革命戦争の余熱が最も熱かった時期。毎日のように処刑を繰り返し、心も肉体も限界を迎えていた。


 そこへ、追い打ちをかけるように、ご主人様は言う。


「お前の両親、死んだらしいぞ」

「え……?」

「お前を売って得た金も賭け事に使い果たして、2人仲良く自殺したらしい。はっはっは! 残念だったなぁ。お前の帰る場所は、もう無い。お前は一生、私の飼い犬だ」


 高笑いしながらご主人様は小屋から出て行った。

 心のどこかで、僕は両親に期待していたのだと思う。いつか僕を買い戻してくれるのだと。


 前にご主人様が5000万オーロという大金を払えば、僕を売ってもいいと友人か誰かに言っていたのを覚えている。ご主人様は金さえ積めば、僕を解放してくれるのだ。処刑の仕事をやらなくてもいいぐらいの金さえあれば……でも、もうその希望はついえた。僕の親だった人たちはあっさりと命を絶ったのだ。僕を買う可能性のあった人間は、あっさりと死んだのだ。なんて、無責任な人たちなのだろう。


「シャルル! あそぼっ!」

「……っ!?」


 アンリが小屋に入ってきたから、咄嗟に涙を拭いた。

 でも彼女は僕の涙を見逃さなかった。


「……シャルル。悲しいの?」


 アンリが駆け寄ってくる。

 鬱陶しいと思った。だから僕は、彼女を突き飛ばした。


「いたっ!」

「あっちに行っていろ! 今はお前と遊んでやる気はない!!」

「シャルル……」

「目障りなんだよ! うざいんだよお前!! なにもしなくても食事を与えられ、寝床を与えられ! 服も髪も綺麗にして貰えて……!」


 両親の記憶が蘇った。

 まだ優しかった頃の両親の記憶だ。

 僕の髪が綺麗だからと、丁寧に髪を洗ってくれた母親の記憶。

 僕のことを自慢の息子だと、撫でてくれた父親の記憶。

 気が付いたら、瞳からポタポタと涙が流れていた。


「……どうせ、どうせ死ぬのなら……! 僕も一緒に連れて行けばよかっただろうに……!」

「シャルル」


 僕は、小さな体に、抱き寄せられた。


「よしよし……」

「――ッ!?」


 小さくて、柔らかい手が頭を撫でてくる。

 僕よりも、小さい体のはずなのに、僕の心は温かく包み込まれていた。


「だいじょうぶですよ~。さびしくないですよ~。アンリが一緒にいますよ~」

「あん、り……」


 赤ん坊をあやすように、アンリは背中をさすってくる。

 涙が、止まらなくなっていた。

 すがるように、彼女の背中を掴む。


「……大好きだったんだ……殴られても、売られても、大好きだったんだ……!」

「うん」

「また、一緒に暮らせるって、思ってたから、頑張れたんだ……!」

「うん……」


 泣いた。大声で泣いた。彼女は僕が泣き止むまで、一緒に居てくれた。

 この日から、僕にとって彼女は心の支えになっていた。――



 ◆



「くえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっっ!!!!!!!!!」

「うわっ!!?」


 アホみたいに高く、アホみたいに大きな鳥の鳴き声に鼓膜を叩かれ、僕は目を覚ました。


「こ、これがチャイムバードの鳴き声か!? たしかに、この鳴き声があれば目覚ましはいらないな……!」


 それにしても、また夢を見たな。

 最近はよく、彼女の夢を見る……。


 部屋にあるシャワー室に行く。

 シャワーは当然、魔導式。壁に括り付けれたシャワーヘッドには魔法陣が刻まれており、指で触れると、温かい水が噴射される。もう一度触れると止まる。


「ん」


 水が止まった。壁に付いている魔導タンクを見ると、青エーテル(わかりやすく言えば液体化した魔力。機器の性能によって色が変わる)が無くなっている。洗面所に予備として置いてあったエーテル瓶を取り、中身をタンクに詰め込むとまた水が出だした。


 頭を丁寧に拭き、長い髪を束ねる。


 髪が乾ききったところでドアを開け、部屋を出る。冷たく、新鮮な空気が鼻孔をくすぐる。新生活が始まったんだな、と、ここで改めて実感した。


 寮の1階、談話室に行く。


「お腹空いたな……」


 朝食、どうしようか。

 昨日買い物する時間なかったから朝食を用意できなかった。


 ……空腹のせいか、なんだか良い匂いがする。


 いや、空腹のせいじゃない。本当に良い匂いがする。

 匂いに釣られ、キッチンに入る。キッチンに置いてある縦長の鍋の中身が匂いのもとみたいだ。

 鍋を上からのぞき込む。

 なんだろうコレ。

 鍋の中は黒く濃そうなスープで満たされており、スープから多種多様な具材が浮かんでいる。中が空洞な細長の物、ぷよぷよした三角形の物、白くてまん丸の物、知ってる具材はゆで卵ぐらいだ。


 くそ、気になる。けど、勝手に食べたら怒られるよな。


「そいつは“おでん”って言うんだ」


 背後から声を掛けられ、ビクッと体を揺らしてしまった。

 声を掛けてきたのは寮長だ。


「腹減ってんのか?」

「は、はい。まぁ、減ってます」

「うし! ちょっと待ってな」


 寮長は鍋の中身をかき混ぜ、棚から皿を出し、そこにおでんとやらの具材を乗っけた。


「食ってけよ」

「けど、僕、お金は……」

「おいおい、俺がそんなせこい奴に見えるか? お兄さんからのおごりだよ」


 授業開始まではまだ時間がある。

 寮長のご厚意に甘え、“おでん”とやらを食うことにした。

 テーブルにつき、安定のゆで卵から食らう。――うまい。今まで食べたゆで卵で最強の美味さだ。卵の白身部分から黄身の部分まで余すことなく旨味が通っている。


 ゆで卵で舌の緊張がほぐれた僕は、次へ次へと具を口に運んだ。


「その中身が空洞な奴はちくわな。その白いのはハンペン。その三角形のはこんにゃくだ」


 ちくわ、ハンペン、こんにゃく。

 どれも新食感。似た食感の食材が頭に浮かばない。


「うめーだろ?」

「はい!」


 なるほど。この“おでん”という料理は、独特な食感の具材を集めて飽きさせないようにしているのか。フォークが止まらない。


 どの具材にも味が染みている。この濃いスープがバラバラな個性の具材をまとめ上げている。まるでコンサート。スープが指揮者となり、ちくわ、ピアノ、フルートの音色をまとめ上げている。


「学園島には世界中の食べ物、料理がある。寿司! 肉まん! ラーメン! 珍しい料理が山ほどあるぜ。暇があったら商業エリアにでも行ってみな、きっとお前が見たことない食べ物がいっぱいあるぞ」


 さすがは超名門校。食材にも手を抜かない。


「ごちそうさまです」

「お粗末さま。皿は俺が洗っとくから、もう出とけ。時間、余裕ないぞ~」


 部屋の時計を確認すると、針は8時15分をしていた。

 朝礼が8時30分から。ここから“白虎ビャッコ組”クラス校舎まで15分はかかる。時間が無い。おでんとやらに夢中になりすぎた。


「すみません、よろしくお願いします! 礼はいずれ絶対にします」

「いいからいいから。行ってらっしゃい。遅れそうなら右手を天にかざして見ろ。“ドラタク”が来るぜ」


 ドラタク? 初耳の単語だ。

 問い返す暇もないので、僕は頭を下げて外に出た。

 坂を下って、大橋を渡り、レンガ街を走り抜けていく。

 クラス校舎へ向かう傍ら、金髪の知った顔が目に入った。


「ラント!」

「ひぃ~! 遅刻するぅ! おはようシャルル! どうするよこの危機!」

「えっとね、寮の先輩が天に手をかざすと良いって……」

「手をかざす? こんな感じか?」


 ラントが右手を上げると、ずわぁー、っと風切り音が響き、突風が頭上から吹き荒れた。大きな影が、足元に映る。

 後ろを見て、顔を上げると、そこには飛竜が居た。背中にはゴーグルを付けたチャラそうな大人が乗ってる。


「YO! 乗ってくかい学生クン?」


「飛竜!?」

「えっと乗せてくれるんですか?」


 チャラ男はVサインを作る。


「オレたちゃドラゴンタクシー、略して“ドラタク”だ! 学生は朝と夕方は無料で乗せるZE」

「じゃあ、一学年白虎校舎までお願いします!」

「了解だZE! 吊革につかまりな」


 飛竜は小さく飛び上がる。

 飛竜の鞍からは吊革、輪っかの支持具がぶら下がっている。


「え、ちょい待ち! 背中に乗せてくれるんじゃねぇのか?」

「飛竜は背中に2人以上乗せちゃいかんのだZE!」

「ま、マジか……腕、死ぬだろ……」

「でももう時間がない。頼るしかないよ」


 僕とラントは吊革につかまり、空の道からクラス校舎を目指す。


「うおおおおおおおおっっ! 腕が千切れる!!?」

「ドンドンバシバシ飛ばしていくZE!!」


 僕は余裕だ。

 けどラントは死にそうな顔をしていた。

 案の定、白虎校舎に着く直前で、


「あ」


 ラントの腕は限界を迎え、吊革から手が離れた。


「おわあああああああああああああっっ!!?」


 ラントは上空から木の密集地に落下した。

 僕は白虎校舎まで着いたあと、ラントの落下地点まで戻った。


「大丈夫? ラント」


 制服をボロボロにしたラントに声を掛ける。

 ラントは涙目で「二度と使わねぇ」と誓っていた。

 なにはともあれ、ドラタクのおかげで無事(僕は)余裕をもって登校することができたのだった。

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