第37話 結局答えは分からず終いだよ

 ぱちくりと瞬きをする僕の頭は、小さな手によって撫でられていた。


「ほんとごめんね?まさか本当におっぱいで窒息するとは思わなくて……」

「べつに苦しかったけど苦しくなかったからいいよ。ただ、僕以外にするなよ」

「しないし」

「んならよかった」


 ふかふかのベッドに背中を預けるのは、果たして何日ぶりのことだろうか。

 そんな言葉を脳裏に浮かべながらも、横目に机の上に広がる……空になったお皿を睨んだ。


「……もしかして僕のご飯ない感じ……?」

「え、あ、まぁ……えーっと……私は止めたんだよ?でも、酔った凜音ちゃんと松寺くんがヤケ食い始めちゃって……」

「あーそういう……」


 遠い目をするのは僕だけではなく、石宮さんまでも。

 この反応を見るに、石宮さんも満足にご飯を食べることができなかったのだろう。


(まだ冷凍庫にうどんあったっけな)


 遠くに眠る記憶を呼び起こす僕とはべつに、ぐでーっと絨毯の上で横になる宏樹の独り言が部屋を覆う。


「凜音ちゃん。好きだよ」

「……お?なんだ?宏樹も酔ったか?」


 突然の告白に、先程まで重かったまぶたが釣り上がる。

 そして宏樹に向けて発した言葉だったのだが……反応が返ってくることはなかった。


 それどころか、公開告白に胸を高鳴らせていたのは僕だけだったらしい。

 温かい太ももの上で寝返りを打った僕は絨毯を見下ろして――


「寝てんのかい……」


 睡眠中でもなお姪由良さんを思ってしまうのは、それほどまでに好きだったと捉えれば早いのだろう。

 そして、この告白が姪由良さんの耳に届いていれば、もっと話の展開が早くなっていたのだろう。


 だが、現実はそう甘くない。

 酔い潰れた姪由良さんは寝袋に包まるわけでもなく、抱き枕代わりにして絨毯にひっくり返っていた。


「あいつも寝た?」

「たぶん?さっきまではピンピンに起きてたんだけどね」

「逆にさっきまで起きてたんか」


 すっかり静寂が取り戻された部屋の中で、僕は小さな息を漏らす。

 そして、もう一度寝返りを打った僕の顔はこちらを見下ろす石宮さんに向いた。


「楽しかったか?」

「陸斗くんが思う3倍楽しかったよ?」

「それなら良かった。新しいお友達もできたみたいだし」

「松寺くんは……まぁ、うん。お友達だね」


 光の失った瞳はなにかを言いたげだが、鼻を鳴らす僕は無視を決めるだけ。


「それともうひとつだけ質問」

「なにー?」


 頭を撫でる手を止めることもなく、神々しいLEDライトをバックに見下ろす石宮さんは、やはりいつ見ても可愛い。

 どことなく居た堪れなくなった僕の視線はそっぽを向き、小さくなった声が口から飛び出す。


「付き合ってからまだ短いけど、好きとか分かったか?」

「残念ながらわかんない」

「ま、そりゃそっか」


(僕だけじゃない)


 そんな安堵を胸の片隅に置く僕は、右足を振り子代わりにして上半身を持ち上げた。


「陸斗くんは分かった?」

「全く一緒」

「だよねぇ。陸斗くんが分かるわけ無いもんね」

「おーい?僕のこと何だと思ってる?」

「童貞チキン野郎?」

「なんだ?また喧嘩したいか?買ってやるぞ?」


 構えた拳を石宮さんに向ける僕は、誰から見てもわかりやすく顰めっ面をしていただろう。

 だが、石宮さんが浮かべるのは……不敵な笑み。それも、僕を嘲笑うかのように。


「買ってくれたら童貞卒業させてあげる」


 戦闘態勢に入るわけでもなく、嫌味を返してくれるわけでもなく、口にしたのは僕の家に泊まる初日に口にしたような、ハニートラップ。


 ピタリと動きを止めてしまうのは言わずもがな。

 次の言葉を考えていた脳みそまでもが思考を停止し、けれどチラッとはだける服に固唾を飲み込むのは本能というやつだろう。


「な、なんだよ。童貞をからかうつもりか?処女のくせに強がりやがって」

「処女なりに頑張ってんの」


 いつまでも強気な僕に、やっと眉間にシワを寄せた石宮さんだけど……刹那に赤らめた頬がそっぽを向いた。


「……陸斗くんは頑張んないの?」


 尖らせた唇から放たれる言葉はなんともまぁ……特大火力。

 一瞬にしてくり抜かれた心は、きっともうすでに石宮さん色をしているのだろう。


 静寂の部屋だからか、僕の喉仏がよく鳴る。


「いや……2人もいますし……」

「寝てるじゃん……?」

「初めての経験がこれは少々刺激が強くないっすか……?」

「…………逃げてんの?」

「は」


 僕を射抜く睨みに、ピシャリと固まる表情はスッと右手を石宮さんの頭に伸ばした。


「逃げるとかありえねぇから。舐めんな?」

「……チョロすぎてちょっと心配になる……」

「チョロくねぇわ」


 石宮さんの後頭部を抑えた僕の右手は、脳みその命令通りに顔を近づけさせる。


 どうせ、ここで逃げたら今後ずっと『チキン野郎』と罵られる。

 そんなあだ名が付くぐらいなら、僕がチキンじゃないことを見せつけるほうが良いだろう?

 てか、彼女が頑張ってるんだからその期待に沿うのが彼氏というものだろう?


(うんそうだ。これは不可抗力というやつだ)


 おもむろに閉じられた目の前のまぶたは、寸センチだけ唇を伸ばす。

 僕もまた、頭を上げてその唇に近づける。


「――ハッ!電話!!」


 突然の叫び声に、勢いよく顔を離したのはどちらからともなく。

 言わずもがな、声を上げたのは酔っぱらいの姪由良さん。


 僕達の行動に気づくわけでもなく、スマホを手に取るや否や、わけも分からずに操作を行い……ひとつのコール音を鳴らした。


「「…………」」


 きっと、僕達の鼓動はあのコール音よりも早いのだろう。

 静寂が消え去ったおかげで心音が聞こえることはなくなったが、湿僕たちの腕は、マグマに突っ込んでるように熱い。


『ん?どしたー?』


 ふと聞こえてくるのは、電子音が交じるスマホのスピーカーから。

 眠たいのか、低音ボイスが目立つその声の主は……きっと、未練タラタラの相手である例の元カレなのだろう。


「いまどこ〜!」

『いま?今は家に居るよ?』

「会いに行っていい!?」

『東京まで来れないだろ……?夏休みまたそっち戻るからちょっと待ってて』

「おそい!」

『そう言われてもねぇ……。てかだいぶ酔ってるな……?友達と飲んでた?』

「あ!そう聞いて!大学で友達できた!親友できた!!」

『お?まじで?良かったやんおめでとさん』


 果たして僕達は今なにを聞かされているのだろうか。

 仲睦まじくて何よりなのだが、僕の家でやることか?


 横目で睨むのは僕だけでなく、未だに頬を赤く染めた石宮さんまでも。


 せっかくの勇気が台無しにされたと言われればそれまでだが、蛇口が閉められて良かったのかもしれない。

 こう言っちゃなんだが、あのまま2人だけの空間を作り続ければ、きっと僕達は最後までしていたと思う。


「物足りなさそうだな?」


 気まずさを拭うためにも、口を開いた僕は石宮さんの目を見る……ことはなく、ボフッと太ももに頭を落とすだけ。


「べつに?私は満足ですけどね?」

「ほーん?羨ましそうに見てるくせにな?」

「どっちのセリフ。…………ほんと、一回のキスで満足だし」

「恋愛未経験丸出しだな?」

「なんで私だけ恥ずかしがってんのよ……!!」


 フグのように膨らませた頬が僕を睨みつける。

 だが残念なことに、僕には効果なし。


 フッと鼻を鳴らした僕は……いつの間にか寝息を立てていた姪由良さんにジト目を向けた。


『凜音?寝た?』


 寝息が立っているのだから、通話を切るほどの余力なんてなかったのだろう。

 スマホ越しに聞こえる低音ボイスは、小さく鼻を鳴らして紡いだ。


『ほんと、未練あるのになんで言えないんだろうな。また改めて言うつもりだけど、好きだぞ』


 そうして部屋いっぱいに鳴り響く、ポロロンッという通話が途切れる音。

 目を丸くする僕と石宮さんは、さっきまでのことなんて忘れてお互いの顔を見合わせる。


「……本人に伝える……?」

「『改めて言う』って言ってたから言わんでいいんじゃね……?」

「じゃあそうしよう。うん、その方が良い気がする!」

「恋愛弱者の僕達には分かんないな!」


「ガハハッ」と笑う僕達の心境は、一種の現実逃避とも言えよう。

 この一瞬でいろんなことが巻き起こった今、情緒が不安定なのはお互い様。


(ならば、なにも考えずに思考放棄したほうが良いだろう?)


 なんて言葉を頭に残した僕は、太ももから頭を上げて――勢いよく枕に顔面を埋める。


「あっ!ずるーい!」


 そんな僕に続くように、勢いよく体を倒した石宮さんの顔は、僕の真隣にある。

 グリグリと枕を奪うように寄せてくるぷにぷにの頬は僕の頬とくっつき、負けじと押し返してやる。


「今日は2人で寝る?」

「それもあり。と言いたいところだが、このベッド僕のなんだが?」

「私のほうが多く使ってるからもう私のもので〜す」

「んなわけねぇだろ」


 反抗的な言葉を返す僕は、不意をつくように頬の押し合いを辞退する。

 さすれば、飛んでくる顔は枕を奪っていった。


「……なんで離れたの」

「不満か?僕とくっつけなくて」

「べつにそんなんじゃないしー!私一人で寝るしー!!」

「すーぐ不貞腐れる。こちとら腹減ってんだ」

「……私を食べればいいじゃん」

「なんだ?欲求不満なんか?やめろやめろ童貞を弄ぶな」

「ねぇいいから!早く寝ようよ!!」

「だから腹減ってるんだって……」


 こいつはどんだけ僕と一緒に寝たいのやら。

 僕のシャツだからか、すぐにはだける体は心のなにかを刺激するけど……大きく首を振ってすぐに払いのける。


「わーったよ。寝るから今日は誘惑すんな。人前でするほど僕の性癖は歪んでない」

「今日”は”ってことは、明日なら良いの?」

「……毎日宏樹と姪由良さん泊めるから無理だな」

「なんでよ!?そんなに私としたくない!?」

「いやまぁそういうんじゃなくてだな……」


 半分開けられた枕におもむろに頭を倒した僕は、石宮さんに背中を向けながら言葉を続ける。


「なんというか、好きかどうか分かんない人とそういうことをして良いのか?って思ってんだよな……」

「キスしたのに?」

「キスはべつだ。うん。べつだ」

「うーわっ!そうやって逃げに走るんだ!」

「べつに逃げてねぇよ!ちゃんと好きになったらする!約束する!!」

「じゃあその時は三日三晩寝させないからね!大学も休むから!!」

「おう望むところだよかかってこいよ!!」


 一体何の言い合いをしてるのやら。

 ピッと電気を消した僕は、毛布を被って意図的に静寂を作り出す。


「こっち向いて寝て?」

「……あいよ」


 何度も言う。

 僕は、『好き』という感情がわからない。


「それじゃあ、おやすみね?」

「ん、おやすみ」


 そっと彼女に毛布をかけた僕は、その手を腰に回す。


「…………悶えるけど、いい?」

「暗闇だからどうぞお好きに」


 胸に押し付けられるおでこは、この上なく熱い。

 熱伝導を起こした僕の胸は、今すぐにでもキスをしたい気分だ。


 ――チュッ


 そんなリップ音が響いたのは刹那のこと。

 僕の予想外の方向からくっつけられたそれは、僕の彼女のもの。


「おやすみのチューね!今度こそおやすみ!」


 そうして、僕と同じように背中に手を回した石宮さんは、胸におでこを預けてわざとらしく寝息を立てた。


 感情に疎い僕が判断することなのかどうかは分からない。けど、もしかしたらの話だ。

 多分僕は、もうすぐにでも『好き』という感情が分かるような気がした。


「……おう……おやすみ」


 

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帰りの電車が無いから泊まらせたはいいものの、入り浸るのは話が違うくない? せにな @senina

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