第2話湖より来た少女
関ヶ原の戦いから4年後の慶長9年(1604年)7月の京都。
桂川沿いにある長屋の一角に身を寄せていた
主を失ったことで、生きる意味も見いだせない状態となっていたが、主の後を追うこともできなかったため、こうして京の町にて有り余った余生を過ごしていた。
このような者たちは、この頃の京には多く住んでおり、勘平の住む長屋にも
秀範は、近くにある寺院で寺子屋の師範として手習いや算術を教えていたが、勘平もその寺子屋の指導に協力していた。
この日も、勘平たちが生徒たちを教えた後に、軽く食事をとるために、寺の坊主たちが持ってくる膳を待っていた。
「いやはや、渡辺殿。今日もお疲れ様でしたな」
「いえいえ。仙石殿のおかげでこうやって生活費を稼ぐことができております。本当にありがたいです」
勘平は、秀範の持ってきた湯呑を受け取って一服することにした。
「しかし、関ヶ原の戦いが終わって5年。今の太平は
秀範が、勘平の横に腰を下ろしながら世間の話題を話し始める。
昨年の初めに家康は
関ヶ原に勝利したことで、関西近郊の旧西軍所領は、家康に長年仕えていた譜代の家臣や一門の者たちに当てがい、数少ない豊臣派の大名を抑え込むべく配置付けていた。
大坂の「
京の町では、大坂などの話がよく飛び交っており、公家から庶民までが噂があれば不安がって過ごしていたが、日々の太平が続いていることに安堵をしていた。
「仙石殿は、今後どこかに仕官を考えておられるのですか?」
関ヶ原から4年が経過して、改易を受けて浪人となった者たちを、各地の大名が登用するべく動き出し始めていた。
「渡辺殿は知らんだろうが、儂が西軍についたことで父上から勘当されてしまってな、そのため他の大名から仕官の申し出もないのだよ」
秀範は、関ヶ原の戦いの時に父や弟である仙石忠政に反対して西軍に組したが、本戦が敗北したことで改易され、しかも父である秀久に勘当されたことで、一門からも外されることになった。
「渡辺殿こそ、どこかに仕官しないのか?お主は、石田治部(三成)の家臣であったのであろう。一門でもないのだから問題なく仕官できるのではないか?」
秀範が勘平に仕官しないのかと問うと、勘平は暗い顔で首を横に振った。
「儂は、主を救うことができなかったのだ。そんな男が、他家に仕えていけるのか不安になってな」
「左様か。しかし、三成殿が亡くなって4年近く経つのだ。無理強いはしないが、家の者たちの為にもどこかに仕官したほうがいい」
「今はまだ考えておりませんよ」
そのような会話をしていると、外の方から何か騒がしい声が聞こえてきた。
「どうなされた?」
勘平は、声のする方へ足を運ぶと、一人の少女が菩提樹にもたれ掛かっていた。
「ひどくボロボロじゃないか。どうしたのだ」
勘平は、近くの僧侶に問うも、彼も何も知らないらしく首を横に振った。
「とりあえず、介抱をしましょう。中に入れますので、すいませんがお手を貸していただけませんか」
「わかった。急いで入れよう」
勘平が少女を奥に入れると、秀範も顔を出してきた。
「仙石殿。どうやら行き倒れのようだ」
勘平は、覗き込んでいた秀範に説明していると、横にいた僧侶がしばらく介抱した後に奥から膳を取りに行った。
「だいぶ遠くから逃げてきたようだな。足の裏や腕周りに傷が目立っているな」
秀範は、長年の戦経験から、少女がかなり長い間逃げていたのであろうと判断した。
「疲れ切った顔をしていますな。こんな少女が、どれほどの環境にいたのか」
二人がボロボロになった彼女を気にしていると、少女がうっすらと瞼を開いた。
「うっ……」
「おや、目が覚めたみたいだな。お嬢さん。大丈夫か?」
目が覚めたのに気付いた勘平は、彼女の側に近づいて状態を確認した。
「ひっ!近づかないで!」
怯え切った少女は、勘平たちから離れていくと、近くにあった木の棒を持って暴れだした。
「落ち着きなさい。ここは、京の寺だよ」
勘平がそう言って少女を落ち着かせると、後ろにいた僧侶がゆっくりと座って彼女をなだめた。
「落ち着きなさい。この者たちは、この寺で子供らの指南をしておる者たちです。君は一体誰でどこから来たのかな」
僧侶が落ち着かせるように少女をなだめていると、横にいた秀範が彼女の腰につく布を見つけて引き抜いた。
「おい。こいつの持っている布切れを見てみろよ」
秀範が引き抜いた布を勘平に見せる。
赤い布地に丸橘の家紋が描かれた、旗の切れ端を見た勘平が少し険しい顔をした。
「井伊家の家紋。この子は、彦根藩領内から来たという事か」
「そのようですね。しかし、こんな所まで逃げてくるとは」
彦根藩とは、旧石田領である北近江一帯を治めており、関ヶ原の戦いにて功のあった井伊家がそこを受け持つこととなった。
井伊家は、徳川四天王に数えられ、武田より受け継いだ「赤備え」を率いる勇将であったが、先の関ヶ原の戦いにおいて先代である
「おい、娘!佐和山にて何があったのだ?」
意識が戻ったばかりの少女に勘平が食い入るように問うてきた。
「え?……ああ……」
「落ち着け。彼女が怯えているだろう」
秀範がそう言って勘平を落ち着かせると、彼女が小さく答え始めた。
「……助けて……です。私たちを助けてほしいんです」
かすれ切った少女の声を聞いた二人は、その場で言い争いをやめて理由を聞くことになった。
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