第4章 【海】

第13話 父親が誰か次第では

 浜に数人の男が立っていた。円を描く形に並んで輪になっている。何かを取り囲んでいるようだ。


 男たちの険しい表情が気になった。


 ノジカは彼らの視線が集中する真ん中を覗き込んだ。


 ククイだ。男たちはククイを囲んでいる。


 山から浜へ吹き下ろす風は肌を裂くような鋭さだ。産み月の大きなお腹を抱えたククイをこの寒さの中に置いておきたくなかった。それに、男たちは不穏な雰囲気だ。ここからではククイの表情までは見えなかったが、とにかく、ククイを威圧することを言っているのなら止めなければならない。


 ノジカは、砂を踏み締め、彼らに歩み寄った。真ん中に分け入ってククイの斜め前に立ち、腕を伸ばして、ククイの腹の辺りに手をかざす。


「何の話をしている?」


 ククイが「大丈夫ですよ」といつもの穏やかな声で言った。


 少しだけ振り向く。ククイは普段と変わらぬ微苦笑を浮かべている。


「そんな、恐ろしいことを言われているわけではありませんから。姫様が――」

「ノジカだ。そう呼んでほしいと言ってあるだろう」

「ノジカが気にすることは何もありません」


 ノジカは前を向いた。男たちが今度ノジカに語り掛けた。


「そうだ、俺たちは敵じゃあない。ただ腹の子の父親を知りたいだけだ」


 ノジカは唇を引き結んだ。


 この村に来てからすでにひと月が経過した。カンダチ族での暮らしに慣れ始め、面々の顔と名前を覚えつつある。大雑把な人間関係も見え始めた。


 だが、ククイの周辺だけは分からないことだらけだ。


 ククイは一人で暮らしている。妊娠しているククイが誰とも生活をともにしていないのは奇妙だ。その上誰も家事や出産準備を手伝おうとしない。


 カンダチ族の全体がククイを避けている。


 ノジカには理由が分からなかった。皆口を揃えてククイは特別な存在だから関わらない方がいいと言うが、なぜ特別なのか、どう特別なのか、誰も具体的には説明してくれない。


 いずれにせよ、妊婦を一人で苦労させるわけにはいかない。


 ノジカは時間が空けばククイの手伝いに行くようにしていた。マオキの村では母親や姑がやることをできる限り代行した。ククイはいつもやんわりと拒むが、激しく嫌がるわけでもなく、むしろノジカをなだめるように受け入れていた。


 彼女は基本的には穏やかな女性だ。怒るということはめったにしない。いつも笑顔を絶やさず、何に、誰に対しても丁寧な物腰で応対する。自分を無視する村のひとびとに負の感情を見せることもない。時々これはこれで満足して暮らしているのではと思うほど平静だ。本当はノジカの助けなど必要ないのではないかと思ってしまう。面倒見が良く、ノジカは彼女からカンダチ族の料理や裁縫を教わることもあった。彼女を世話しているようでいて、ノジカの方が姉をもった気分にさせられていた。


 何もかも受け身で承知してくれるわけでもない。お腹の子の父親の話は絶対に語らない。カンダチ族の来歴や伝統については何でも教えてくれるが、子供のことだけは何度訊いても言葉を濁した。また、アラクマとの面会は嫌がる。ノジカは何度か彼女が彼女らしからぬきつい言葉をアラクマに投げかけているところを見掛けていた。この二点に関してだけ彼女は頑固だ。


 ここまでこじれていると余計に何があったのか気になる。


 お腹の子はアラクマの子ではないのか。


 穏やかなククイがアラクマに対してだけは感情的になるのを見ていると、逆にククイにとってアラクマが特別であることを突きつけられている気分になるのだ。


 ククイはなぜ認めないのだろう。カンダチ族の娘たちは皆アラクマの子種を欲しがっている。ククイはその栄誉を勝ち取ったカンダチ族でもっとも高貴な女なのではないか。それとも、アラクマが気に掛けているのをノジカが拡大解釈しているだけで、彼のこどもではないのか。何か不幸な事件があって身ごもったのか。そうであるならこれ以上根掘り葉掘り訊いてはいけない気もする。ノジカはあれこれ想像しつつもいつしか何も言わないようになっていた。


 それをこうして男たちが無遠慮に掘り返している。


「何度も言っているでしょう。お話しできません」


 ククイが、落ち着いた、毅然とした態度でそう言った。本人がそのつもりならとノジカも援護した。


「話したくないと言っている。そっとしておいたらどうだ」


 男たちは「勘弁してくれ」と懇願するような声を上げた。


「俺たちにとっても大事な子かもしれねえ」

「いや、カンダチ族に生まれた子供は誰が父親だってみんな大事にする」

「でも、子供の最終的な責任は男親にあるべきだからな」

「今のままだと苦労するのはククイだ」


 ノジカは黙った。男たちの言うとおりだと思ったからだ。


「お姫さんにはいつか説明しなきゃならねえとは思っていたが」


 別の男が言う。


「ククイの子の父親が誰か次第では戦になるかもしれねえ」

「そこまでおおごとなのか」


 驚いたノジカがそう問うと、誰もが真面目な顔で頷いた。


「今ククイの腹に詰まっているのはもしかしたら俺たちの夢と誇りかもしれねえんだ」

「それならなおのこと私は死ぬまで黙っていた方がよさそうですね」


 ククイの方を見た。


「この子が火種になるようなら、私はこの子を連れて出ていきます」


 彼女はいつもと変わらぬ澄ました顔をしている。


「そこまで言っちゃあいねえだろ」

「無理はすんな、俺たちはお前を心配して言ってやっているんだ」

「どっちにしてもカンダチの子だ、ここでみんなで養うもんだ」


 ククイは絶対に頷かない。


「カンダチ族にとって災いとなる子をここで育てるわけにはまいりませんから」


 押し問答が際限なく続きそうな気がしてきた。そんな長時間ククイをここで立ちっぱなしにしておくわけにはいかない。ノジカもすべて承服しているわけではないが、最優先はククイの体調だ。半ば強引にふたたび前へ出た。


「とにかく、今はいいだろう。お腹の大きなククイを立たせておくのは違うはずだ、特に今日の浜は風が強い」


 男たちが顔を見合わせる。


「生まれてからでも遅くはない。子の顔を見たら誰に似ているかで分かるかもしれないし、お産が済んだらククイの気持ちも変わるかもしれない。無事に生まれるまで待ってくれないか」


 男たちはノジカの言葉に頷いた。話の分かる男ばかりでノジカは安心した。


「生まれるまでだからな」

「あまり長くは待てねえぞ。カンダチ族の未来が変わるかもしれねえんだからな」

「いつか絶対に話してくれると信じているから今日のところはやめにするんだぞ、いつかは絶対教えてもらうからな」


 次々とそう言っては草地の方へ向かって歩き出した。


 浜にノジカとククイの二人が残った。二人はどちらからというでもなく自然と互いに向かい合った。


「――ククイ」


 何と言葉をかけようか悩んだ。言いたくないなら言わなくてもいい、と言ってやりたかったが、苦労するのはククイなのも確かで、言ってしまってすっきりしたらどうだ、とも言いたい。どちらが正解なのだろう。ノジカも自分で言ったとおりに待つしかないのかもしれない。


 ククイが口を開いた。


「助かりました。ありがとうございます」


 言いながら顔をしかめ、自らの腰をさすった。


「このまま捕まって寄り合い所にでも連れていかれたらどうしましょうかと」

「そうだ、どこかに移動して腰を落ち着けた方が――」


 彼女が「うっ」と低く呻いて腰を押さえる。


「すみません、彼らの前ではずっと耐えていたのですが、もう、そろそろ――」

「そろそろ? 何が」


 突然ククイがその場にしゃがみ込んだ。


 次の時だ。


 ククイの着物の下半身が濡れて色が変わった。


 ノジカは目を丸くした。


 破水した。


「ああ」


 普段では見られない、焦燥とも不安ともつかない表情でククイが声を漏らす。


「う……生まれる……」


 ノジカも「わーっ」と普段は出さない大声を出してしまった。


「移動しよう、こんなところで産んではだめだ」

「すみません」


 ククイの手がノジカの手首をつかんだ。強い力で握り締めた。


「すみません……」


 その懇願するような声は聞いていて切なくなるほど切羽詰まっていた。


「大丈夫だ、私が傍にいるからな」


 ノジカはその手をもう片方の手で包んだ。




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