最寄り駅にて
死にそうなほど、がそろそろ比喩じゃなくなりそうなほど暑い日だった。
駅を出て、エアコンと屋根の加護を失ったとたん、体にジリジリ火が通っていくのを感じるほどの日差しに襲われる。オーブンの中でぐるぐる回される鶏肉か何かになった気分だ。
こんな頭のおかしな天気の中で登校させるのだから、学校も頭がおかしいというわけだ。しかもそうやって登校させておいてホームルームしかやらない挙句、この一番暑い時間帯に帰されるのだから余計にたちが悪い。
カレンダーはもう八月。まだ八月が丸々残ってるし、とつい最近まで言っていたはずが、夏休みの大体真ん中あたりに設置された登校日が来たということは、いつの間にか休みは半分無くなっていたわけだ。
隣では、久々に着た制服を早速ぐしゃぐしゃに着崩して、夏帆がパックに入ったアイスを咥えたまま、おそらく「暑い~」か何かだろう呻き声を上げている。
「暑い!てか熱い!どっか涼しいとこ行きたい!また海行きたい!」
かと思ったら、早くも食べきってしまったらしい薄っぺらになったパックを掲げながらそんなことを叫ぶ。
「海は嫌だ。俺泳げないし」
「えぇ~?でも去年約束したじゃん!」
「泳がなくっていいなら良いぞ。あとクッソ暑いだろうけど」
「ぐぅ、暑いのは…困る」
最近ずっと暑いのを言い訳に家に籠っていたせいもあって、今日の暑さはおかしい。この数時間で夏帆も懲り懲りらしく、暑さを盾に取ると珍しくあっさり折れる。
「でもやっぱりどっか行きたいよ~、夏終わっちゃうよ~?暑いからって引き籠ってたらもったいないよ!」
しかしやっぱり、簡単に折れきる夏帆ではない。それに、今年はせっかく補習を回避したのに、何もしないのは確かにもったいない。何か思いつかないかと辺りを見回す。
「アレは?なんか載ってんじゃねぇの?」
見つけたのは、大きくこの市の地図が載った看板。地元の観光案内を探してみるのも、逆に面白いかもしれない。あと、日影にあるし。
おぉ!と奇声を上げてすっ飛んで行った夏帆を、そのマネする元気なんか無いのでのんびり追いかけると、早くも何か見つけたらしくぴょんぴょん飛び跳ねている。
「ここ!ここ行こうよ!涼しそうだし、上の方って行ったこと無いし!」
言いながら夏帆が指すのは、縦長の地図の上の方。小さく載った滝の写真。この市はなんというか縦長の形で、俺たちが住んでいるのはその下の方。確かに上の方はあまり行った覚えがない。当然、滝の存在すら知らなかった。
「良いかもな、泳がなくて済む水辺、最高」
「まーだ言ってるよ。でも良いじゃん。地元の知らない場所、良いじゃん良いじゃん。我ながら天才」
「地元を探す案は俺が言ったんだけどな」
「いーの!滝見つけたの私だし」
なにはともあれ、行き先は決まった。それで充分だ。あとは去年みたいに、行き当たりばったりがまた面白いモノを連れてくるに違いない。
「じゃあ決まりだな、天才。いつ行くよ?」
「今でしょ!」
「却下。せめて明日だ」
「え~ん!」
翌日、朝8時。電話での打ち合わせで決まった約束の時間の一時間前。どうせあっちこっち歩き回る羽目になるのだからと思って、ちょっと多めの朝食をのんびり食べていた。
だというのに、どこからともなく騒々しい音が現れて、家の間で止まった。
もう一度言う。一時間も早い。もし普段こっちが一時間前に行こうものなら下手するとまだ寝ているくせに、こういう時は話が違うらしい。
口に運びかけた食べかけのトーストを一回置いて、観念して玄関に向かう。
「やぁやぁおはよう!どーも早く目が覚めちゃってねー。三度寝くらいしたんだけど、もう待てなくなっちゃった」
朝っぱらだというのにすでに殺人的な日差しが差す中、玄関前にはその数倍は明るく元気なやつが立っていた。当然、夏帆である。
「待てなくなっちゃった。じゃねぇよ!一時間は早ぇだろ!」
「まぁまぁ良いじゃん。そっちも準備万端みたいだし」
「どこがだ。まだ飯の途中だ」
「うっそ!もう着替えてるし行けるもんかと」
どうやら夏帆は、先に飯を食べてから着替える派らしい。どっちでもよかろうが。ため息を吐きかけると、夏帆が大げさにリアクションを取った拍子にその背後にあった物が目に入った。
クロスバイク。何度か見たことがある、夏帆の自転車だ。この元気っ子にはピッタリの、頑丈で距離を漕いでもびくともしないスポーツタイプのやつ。
「なんだ?それ」
「ん?自転車」
「それは分かってんだよ。なんでここにあんのかって聞いてんだよ」
打ち合わせで決まった通りなら、目的地まではバスで向かうつもりで、そのバス停もわざわざ自転車を使うより歩いたほうが早い距離。夏帆の家からここまでもそれは同じだ。もう嫌な予感しかしてこない。
「もっちろん、この子で滝まで行くんだよ?」
案の定、嫌な予感をきっちりなぞった返事が返ってきた。
「バスって話はどうなったんだ」
「え~?やっぱもったいなくない?せっかく山だよ?滝だよ?風感じなきゃもったいないよ!」
風、ね。現在絶賛、熱風が頬を掠めて行っているのだけれども。
「というか、俺まともなチャリ無いけど」
「え?あるじゃん」
言いながら指したのは、玄関先に置きっぱなしの俺のチャリ。ちゃっちぃママチャリタイプのやつだ。チェーンも錆びている。
「俺は『まともな』って言ったぞ。これでお前に着いてけるわけがなかろう」
駅までとかならともかく、今回はいったい何キロ走ることになるかも分からない。それにただでさえ無尽蔵の体力を持った夏帆にさらにクロスバイクが付くのだ。このボロチャリでは話にならない。
「良いのがあるじゃない。借りちゃえば?」
え~、と夏帆がごね始めた時、後ろから声がした。
「母さん、良いのってどれだよ」
振り返ると、なぜかトースト片手に母さんが玄関まで出てきていた。
「あれよあれ、お父さんのやつ。結局ずっと使ってないんだから、せっかくだし借りちゃえば良いじゃない。置いとくだけじゃもったいないし」
そう言って母さんが指すのは家のガレージの方。
言われるがままガレージを開けると、車の横にひっそり置いてある一台のクロスバイク。父さんが「休みに体を動かすんだ!」と買って、結局二、三回乗ったか乗ってないか。しかし確かに結構良いやつのはずだ。
「良いの~⁈ホントにこれ使って!」
「良いのよ~。どうせ置きっぱなしなんだし」
「やったー!」
なぜか勝手に話を進め始めた二人に、「ちょっと待て」とブレーキを掛ける。
「これずっと置きっぱなしだろ?大丈夫か?」
「大丈夫よ。壊しちゃっても、私が言っとくから!使わないのが悪いんだし」
うんうんと頷きながら母さんが言うが、問題はそこじゃない。ホコリをかぶったこれがちゃんと動くのか。あとこのクソ暑い中ホントに自転車で行くのか。って話だ。
「じゃあ、私がホコリとか取っとくから、拓海はご飯食べてきちゃいなさい。夏帆ちゃんも、中で待ってて良いからね~」
「はーい、お邪魔しまーす!」
「ちょっと待て、ほんとに自転車で行くのか?この暑さで?」
「良いじゃない。普段動いてない分取り戻してきなさいよ」
「そうだそうだー!」
結局、反撃も空しく二人で決定されてしまったようで、夏帆はさっさと自分の家みたいに家に入っていくし、母さんも残りのトーストを放り込んで、箒を担いでやる気満々だ。
どうやら、本当に逃がしてはくれないらしい。
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