序 章

第2話 風のはじまり(1)🍃

 ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……。

 列車れっしゃ車輪しゃりんがレールをたたく音が、耳に静かにひびく。


 私は、車窓しゃそうの外をぼんやり見ながら、心の中で同じ言葉をくり返していた。


「ほんとうに、行くんだ……私」


 窓の外には、夏の北海道らしい景色。

 青い空に、もこもこした白い雲。

 風にゆれる緑の木々のすきまから、遠くの山がぼんやり見えていた。


 少しだけ窓を開けると、ひんやりした空気がすっと入ってくる。

 草のにおいがふわっと鼻をくすぐって、ちょっとだけ気持ちがほどけた。


 私が乗っているのは――スクールトレイン。

 「ネイチャートレイン」って呼ばれる、自然の中で学ぶための特別な列車。

 北海道をぐるっと回って、いろんな場所で体験学習ができるんだって。

 全国から子どもたちが集まって、数日間を一緒に過ごす。

 ふだんは会えないような子と出会えるって、ちょっと不思議で、ちょっとわくわくする。


 座席ざせきの布は緑色で、ほんのり木の香りがする。

 前の席では、誰かが小さな声で話していて、車内は静かだけど、どこかあたたかい。

 私のリュックの中には、まだ白いスケッチブックが入っている。

 ページはまっさらで、何もかれていない。


 旅の終点には、おじいちゃんとおばあちゃんが待っている。

 室蘭に住んでいるふたりが、「きっと気持ちがラクになるよ」ってすすめてくれた。

 おじいちゃんは鉄道が好きで、昔は駅で働いていたこともある。

 おばあちゃんは畑をしていて、季節ごとに野菜を育てている。

 ふたりの家には、風のにおいと土のあたたかさがある。


 でも、私はまだ「行きたい」とは思えていなかった。


 ――学校に行けなくなったのは、小学五年生になった春の終わりごろ。

 グループ活動で仲間はずれにされたり、発表のときに笑われたり。

 先生に相談しようとしても、タイミングがつかめなかった。


 気がつくと、学校に行けなくなっていた。


 ママは「無理しなくていいよ」と言ってくれた。

 その声はやさしかったけど、どこか不安そうで……

 どう接していいか、分からないみたいだった。


 パパは「そろそろ戻らないと」と言いながら、スマホを見ていた。

 画面の光だけが、私の方を向いていた。


 そんなとき、電話が鳴った。

 おじいちゃんだった。


「ひより、自然の中で学ぶっていうのは、教室とはちがうんだよ。

 きっと、心がすこし軽くなる。スクールトレインに乗ってみないか?」


 私は、すぐには答えられなかった。

 でも、電話を切ったあと、少しだけ考えた。


 自然の中なら、誰にも笑われないかもしれない。

 木も、風も、空も……私を責めたりしない。


 そう思ったら、ほんの少しだけ、「行ってみようかな」って気持ちになった。


 ママが申し込んでくれて、私は「うん」とだけ言った。

 それが、私の小さな一歩だった。


 そして今日。

 私は、新札幌にある【未来学舎ステーション】から列車に乗った。


 出発のとき、ママがホームで静かに手を振っていた。

 パパはスマホを見たまま、こっちには気づいていないみたい。


 私の手は動かなくて、心の中がくしゃっとしぼんだ。

 うまく笑えない。それが、今の私だった。

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