第14話 打算と本音と、秘密の約束

 ルビアが俺を連れてきたのは、またしても一年自習訓練室だった。


 昨日の放課後に来た場所と同じ。ここをすっかり自分の特訓場にするつもりらしい。まだ新しい靴の音が、木床の上にカツカツと響く。ルビアの足取りは、どこか緊張を含んでいた。


「今日も私たち以外、誰もいないみたいね。せっかく使えるのに、もったいないわ」


 そう言いながら、ルビアは木剣を無造作に放り投げてきた。俺は反射的にそれをキャッチする。見れば、ルビアはすでに構えていた。


「また模擬戦するのか? 授業でもやったし、もう戦わなくても良くないか?」


「戦わなくていいわけないでしょ。私は一歩でも強くなりたいの」


 その瞳は真剣そのものだった。遊びでも、気まぐれでもない。彼女にとって戦いは、日常そのものなのだろう。


「でも、相手が俺じゃ意味ないだろ。昨日の模擬戦で分かったはずだ。ルビアと俺じゃ、力の差がありすぎる。練習相手にはならないよ。ガイルとか、エリーナとか、もっと手応えのある相手のほうが――」


「私はアレンがいいの」


 言い切ったルビアに、思わず言葉を詰まらせた。


「……なんでだ?」


 俺の問いに、ルビアは少し俯いた。そして、小さく息を吐いてから、ぽつりと答えた。


「アレンが……勇者の末裔だからよ」


「それが理由か? 俺が勇者の末裔ってだけで?」


「そう。だけど、正直に言うとね……」


 ルビアは視線を落とし、どこか罪悪感を滲ませた声で続ける。


「貴方は、弱いわ。でも、それでも勇者の末裔であることには変わりない。私の狙いは……アレン、貴方の家族よ」


「……俺の、家族?」


「そう。剣聖ライオル様。賢者セレナ様。……彼らのような存在に、私は近づきたいの。弟と仲良くしていれば、いつか目をかけてもらえるかもしれない。気に入られれば、師事してくれるかもしれない。そう思って……そんな打算で、私はアレンに近づいたの。幻滅した?」


 言葉を言い終えると同時に、ルビアはぎゅっと唇を噛んだ。

 その肩がわずかに震えている。プライドが高い彼女が、ここまで晒け出すとは思わなかった。


「幻滅なんてしてないよ」


 俺は率直に答えた。


「ちゃんと理由を話してくれた。それに、俺が勇者の末裔だと知る前から、ルビアはずっと普通に接してくれていた。それだけで、十分だよ」


 そう言うと、ルビアは少しだけ顔を上げて、微笑んだ。


「ありがとう。……優しいのね、アレンは」


「慣れてるだけさ。言い訳されたり、利用されたりするのは、昔からのことだし」


「ごめんなさい」


「気にしなくていい。……それに、ルビアには強くならなきゃいけない理由があるんだろ?」


「あるわ。どうしても強くならなきゃいけない。だから私は、どんな手だって使う。アレンのことも、例外じゃない」


 その目は真剣だった。誇りではなく、覚悟を燃やしている瞳だった。


 俺は少しだけ笑って、肩の力を抜いた。


「すぐには無理だけど、長期休暇になったら一度実家に帰る予定なんだ。その時でよければ、一緒に来るか?」


 俺がそう言うと、ルビアの顔がパッと明るくなった。さっきまでの緊張が嘘のように、少女らしい無垢な表情が浮かぶ。


「いいの? 本当に? 私、何を着ていけばいいかしら……いや、それより挨拶の言葉……お土産も……」


 急に慌ただしくなったルビアに、思わず笑ってしまいそうになる。


「気を張らなくていい。うちの家族、そんなに堅苦しい連中じゃないから。兄さんは騎士団で忙しいから会えるかどうか分からないけど、姉さんなら多分大丈夫。気に入られるかどうかは、ルビア次第だけどな」


「ありがとう、アレン。絶対、恩返しするから」


「恩なんて思わなくていいよ。……でも、一つだけ頼みがある」


「なに?」


「この話、他の奴には内緒にしてくれ。大勢に押しかけられても困るし、うちの実家もそれほどキャパないからな」


「分かってるわ。私とアレンだけの、秘密の約束ね!」


 ルビアは小さく頷きながら、嬉しそうに頬を緩めていた。

 その様子は、まるで遠足の前日にワクワクして眠れない子どものようで、どこか可愛らしかった。


 構えた木剣を見つめながら、ルビアはぽつりとつぶやいた。


「……私の家、厳しいの。努力しない者は価値がない、って育てられてきたから」


 突然の言葉に、思わず目を見張った。ルビアの家庭のことなど、これまでまったく聞いたことがなかった。


「父も兄も、戦士として優秀だった。でも私は、期待されるだけで結果を出せなかった。女の子だからって甘えたくなかった。だから、誰よりも強くなりたかったの。自分の価値を、自分で証明したくて」


 それは、勝ち気で堂々とした彼女の印象とは違う、素直な本音だった。


「だから私は、この学園で必ず強くなる。そして、誰にも頼らず生きていける自分になる。……そのためなら、多少の打算なんてどうでもいい。私は自分の夢のために、全部使い切ってやるわ」


「……それが、ルビアの覚悟なんだな」


 俺は深く頷いた。重い過去を持っているのは、何も俺だけじゃない。


「分かった。なら、俺も全力で応えるよ。まずは今日の模擬戦から、な」


 軽口を交えつつ、俺も木剣を構え直す。


 模擬戦とはいえ、相手は確実に自分より格上。それでも、逃げるつもりはない。


 今の俺にできることを全部やって、少しでもルビアの力に追いつきたい。

 そう思えるくらいには、彼女の覚悟が胸に響いていた。


 ルビアが一歩踏み出した。


 足音は軽く、だが一切の隙がない。構えからして、本気の模擬戦であることは間違いなかった。


 俺は息を整え、目の前の少女を正面から見据えた。


「いくわよ、アレン!」


 そう叫ぶと同時に、ルビアの木剣が風を裂いて振るわれる。


 俺はそれに応じて、木剣をかざした。

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