第2話




 自分が何を守ろうとしているのか、

 分からなくなる時がある。


 仲間のために体を張るなんてのは、いつも元気いっぱいの張遼ちょうりょう楽進がくしんあたりにやらせておけばいいことであって、全然俺はそんな柄じゃないのにと思う。


 だが仕方ない。


 今回は嬉しいことに総指揮官だ。

 戴冠を控えた曹丕そうひが西に睨みを利かせてると思えば、とにかく犠牲を最小に、最大の戦果をあげるしかない。


 賈詡かくの幼い頃から体に染み付いた、苦い記憶はこの土地にあった。


(俺にとっちゃ、お前らは本当に……)


 流星鎚りゅうせいついを狙い澄ます。


 まず馬を潰す!


 賈詡は腕を振るった。




「――――待ってください!」




 ガキィン、としなった鎖が剣に絡みつき、横に引っ張られた。


徐庶じょしょ⁉」


 前方から騎馬兵が迫っているのが分かっていたので、突然現れた徐元直じょげんちょくが、

 まだ友人の涼州騎馬隊を殺さないでくれなどと、下らないことを言うのかと思い、一瞬殺気立った表情を向けると、徐庶は大きく首を振った。


「違います。賈詡将軍。彼らは敵じゃない。

 この本陣を狙って襲来した敵がいます!

 その者達は涼州の村を焼き、涼州騎馬隊も襲撃している。

 彼らに話したら、今は軍と休戦し、同じ敵を討つと涼州連合りょうしゅうれんごうの長が承諾しました。

 

 今から涼州騎馬隊三百騎がしばし共闘します!」


 こちらに突撃して来た騎馬兵は賈詡の脇をすり抜けて、陣に立ち上る炎の中へ突っ込んで行った。


「何故そういうことになった?」


 すぐに徐庶は自分の鞘に入ったままの剣に絡みついて来た鎖を解き、返して来た。


「それよりも賈詡殿、郭嘉かくか殿です!」


 そうだ。


金城きんじょうを落とし、涼州騎馬隊に魏軍を襲撃させた者は、烏桓うがんの生き残りです」


 賈詡は息を飲む。


「烏桓……⁉」


 まさかそんな名を涼州で聞くと思わなかった。


「里を焼かれた烏桓の、【六道りくどう】という一族が最後の復讐を遂げるため郭嘉殿を狙っている。彼はどこに?」


「姿を見ていない。あいつは勘がいいから、勿論逃げたとは思うが……。

 郭嘉は……恐らく許都きょとを出る時にすでに自分を狙う者がいることに気付いてたと思う。

 あいつが俺の副官として涼州に出て来るなんぞ、妙だと思うべきだった。

 俺の失策だ、徐庶」


 絶望的な状況を、

 何度も経験して来た。

 董卓とうたくの時代から、何度も危ない橋を。


 だが今回のが一番最悪だ。




 郭嘉が死ぬ。




 郭嘉を死なせたら、必ず自分は責めを負わされて厳罰に処される。

 曹丕そうひは戴冠を控え、

 曹操そうそうの腹心の郭嘉が大した抵抗もなく曹操の許を離れ、自分の許にやって来たことを非常に重視していた。

 実際、郭嘉は曹丕に決して仕官しない筆頭とも考えられていたため、曹丕の招集を拒否するとさえ思われていたのである。


 それが、曹丕の手を一切煩わせずに即座に従い、膝をついたことで、

 長安ちょうあんの形勢は決した所もある。


 それほど郭奉孝かくほうこうが曹丕についた意味は、強力だった。


 その前に荀彧じゅんいくが魏公就任のことで曹操に反目したので、荀彧に引き続き、郭嘉という腹心の幕僚が曹操の許から去ったことになる。


 これは朝廷にも広く、曹丕への権力移行の決断を知らしめた。

 曹丕もそのことを踏まえ【赤壁せきへき】後、すぐに自分の許にやって来た郭嘉を好意的に捉え、重用を約束した。

 警戒はあるだろうが、十分自分の軍政に携わらせるつもりだったはずだ。


 郭嘉を死なせたら、賈詡は必ず処刑される。


「誰か郭嘉殿の姿を見た者は!」


 徐庶じょしょが尋ねたが、答える者はいなかった。


「……徐庶。お前、何故本陣に来た?」


 ふと賈詡は気付いた。


「郭嘉殿がこの地に【烏桓六道うがんりくどう】を導いたのです!

 自分の命を囮に!」


 賈詡は目を見開いた。


「郭嘉は陸議りくぎのことで……自分の幕舎に謹慎させてた」


 それを聞いた徐庶が息を飲む。陸議の状態を思い出したのだろう。

「陸議殿はすでに逃れていますか」


「分からん。俺も黒衣の侵入者を三人ほど見たが、逃した。

 涼州騎馬隊と奴らが組んでると思ったんだ」


「組んでいません」

「誤解している連中がいるぞ」

「涼州騎馬隊はそのことは承知です。魏軍と交戦は出来る限り避けるよう、彼らは心得ています」


「徐庶、お前は陸議を探せ。側に司馬孚しばふがいたと思うが、この混乱の中だから……」

「司馬孚殿は必ず陸議殿の側にいるでしょう」


 徐庶は強い声で言った。

 賈詡は頷く。


「陸議を助けてやってくれ。俺は郭嘉の許に行く!」


 徐庶は頷き、すぐに馬の方向を変え、駆け出して行った。



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