第2話 月夜の記憶


学校に行けたり

何となく行けなかったり

そうしているうちに

週末が来た


また日付けが変わるころ

こっそり家を抜け出した


どこからあの世に行こうかな


近所の丘を登っていく

崖まで来てから気がついた


とにかく低い、低すぎだ

岩場が近くに見えている

私の期待と何かちがう

これじゃ坂と変わらない


でも、岩に当たれば死ねるかな

けど、中途半端に死ねないかな


痛いのは嫌いだ

一瞬じゃなきゃ嫌だ

苦しむなんて冗談じゃない


そんなことを考えていたら

すぐ近くから声がした

「死ね」

「はあ?」

「死ね!」


私は霊にからまれる

見えるし聞けるし話もできる

やめときゃいいのに相手する


「死ねって言われると死ぬ気なくなる」

「なんだと?」

「あんたのために死ぬんじゃないし」

「何だよ、死にに来たんだろ?」

「そうだけど」

「じゃあ、ほら、飛び下りろよ!」

「やだ」

「なんでだよ!」

「他人に指図されんの、嫌い」 


細くて背の高い中年の男

霊は何度も「死ね」と言う

そう言われれば言われるほど

私のやる気はうせていく


「やめる」

「やれ!」

「絶対イヤ」

男の霊がいらつき出す

仕方がないから話をそらす


「あんたはここで死んだ人?」

「はあ? ……まあ、その通りだ」

「飛び下りて?」

「ああ、そうだ」

「ねえここさ、中途半端じゃない?」


霊が崖をのぞきこむ

「……崩れた、のか?」

「でしょ?」

「でしょ、じゃねぇ!」

男は納得いかないようだ

「これじゃ死ぬのはムズくない?」

「う、ううむ……」


私はひとつため息をつく

めんどくさいが聞いてみる

「ここってもっと高かった?」

「まあ、崩れてさえいなけりゃな」

「ふうん、やっぱそうなんだ」

いっしょに崖下を見つめる


「おっさんはすぐ死ねた?」

「おっさん言うな!」

「それはいいから、どうだった?」

「まあ、それは……」

うそのつけない人らしい

この表情から察するに……



スマホが正午に点灯した

死にたかった日が過ぎ去って

新しい日が来てしまった


「うまくはいかなかった?」

私がそう言うと

男は表情をくもらせた

あからさまにも程がある


「痛かった?」

「……ああ」

「苦しかった?」

「ああ」

話にならない

当時ですら

ろくに死ねなかったなんて


「やめて良かったわー」

感情もなく私が言う

男は何も返さない


くもり空のせいで

星どころか

月も見えない


男も夜空を見上げた

「あの日は……」

「ん?」

「あの日は月がキレイだった」

「そうなの?」

「ああ、満月ではなかったけどな」

何だか少し寂しげに見えた


「満月が良かった?」

男は首を横に振る

「もしそうなら、飛び下りなかった」

「なんで?」

男はゆっくりとこたえる

「……幸せだった頃を、思い出すから」

それならかえって

満月のほうが


「プロポーズしたんだ、満月の夜に」

ああ、聞かなきゃ良かった

「でも事業に失敗して、離婚した」

ああ、聞きたくなかった

「そう……」

人災だったりしたのだろうか

よく見ると気の良さそうな男だ


「それで絶望して飛び下りたの?」

「……ああ」

「つらかったんだね」

私がそう返したら

男はひどく驚いていた

「なぐさめてくれてるのか?」

「別に」

そっけなく反応したけれど

ふっと男が笑った気がした


ふたりならんで夜空を見る

雲は思いのほか厚く

月は一向に姿を見せない


「この下にあるの?」

「ん? 何がだ?」

「おっさんの骨」

きょとんとした顔で私を見る

「いや、墓に入っている」

「ちゃんと供養してもらったんだ」

「まあ、一応な」

「でも成仏はしなかった」

男はこくりとうなずいた

未練は子供か奥さんか


「愛してるんだ、今でも」

「奥さんのこと?」

「……ああ」

男はきゅっと唇を閉じる

それがちょっとだけ可愛いと思えた


「別れた後も……心配してくれていた」

声が震え出している

「俺が弱かっただけなんだ」

涙をこらえているのが分かる

「死んだこと、後悔してる?」

男はついに頬を濡らした


死んだらきっと楽になれる

そう思っていたんだろう


楽になんて、なれなかった

楽に死ぬことすら、できなかった


あわれな男が、今でもここで……


風が冷たくなってきた

午前一時を過ぎていた

「悪いけど、そろそろ帰るね」

「ああすまん、迷惑をかけた」

「別に」


背を向けた瞬間、男は言った

「……じゃまをしてしまったな」

「なによ、それ?」

笑ってしまった

「だって、死のうとしてただろ?」

ふう、と息をゆっくり吐いた

「気にしないで、いつでも死ねる」


そのまま私は家路についた

一度も振り返ることなく


ベッドに入る

月が出ていた

このまま両目をつむっていれば

あの世に行けたりしないかな

楽にあの世に行けるかな


けれども、いつもの朝は来た

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