4. 異世界の新居

 以上がこの世界に来てからの私のルーティーンだが、最初は少し違った。


 そもそも、最初私は王城の一室に住まわせてもらっていた。

 満員電車に揺られて会社にたどり着き、神経をすり減らしながら業務を終え、急いで帰っては誰にも評価されない絵を描く――そんな生活をしていた私にとって、ただ絵を描いて過ごしていいというのは夢の生活だ。

 細かい背景をやたら描き込んでみたり、ふんだんにある画材を使い分け多彩なカラーを表現してみたり、それこそ最初は浮かれていた。


 しかし、その生活が半月も続くと段々辛くなってくる。

 まず部屋が大きくて落ち着かないし、ずっと室内にいるのも気が滅入めいる。

 幸いにも食事は口に合いとてもおいしかったが、王宮仕様なのかこってりした味の濃いメニューが多く、食欲も段々なくなってきた。

 そもそも、異世界から来たというだけの普通の会社員が、プロでもないのに絵を描くだけでこんな豪華な生活をさせてもらうなんて、申し訳なさ過ぎる。


 そこで、そんなことを私の部屋に食事を運んでくれるメイドさんに伝えたところ、レオニーダさんに相談に行くこととなった。


 初対面の時の威厳のある雰囲気を思い出しつつドキドキしながら部屋に入ると、レオニーダさんは仕事の真っ最中だった。

 机の上に積まれた書類に目を走らせ、サインか何かを書き込んでいる。

 話しかけるタイミングを探っていると「要件は聞いている」と彼が涼しい顔で言った。


「既に別の家を用意してある。荷物をまとめて準備ができ次第しだい、そちらに住むように」

「えっ……いいんですか?」

「別に構わない。過去の勇者にもそういう者はいた」


 忙しいのだろう、仕事をしつつこちらを見ずにレオニーダさんが話し続ける。


「その家は街外れにある。生活費は最低限補助するが、身の回りのことは食事の用意も含めてすべて自分でやること――それでもいいな?」

「はい、ありがとうございます」


 そう答えながらも、こちらの世界での生活がなかなか想像しにくい。

 特に食事について、これからは自分で準備しなければならないということだ。

 食材も調理法も未知だが、自分にできるだろうか――。


 そんな私の不安を感じ取ったのか、レオニーダさんが初めて書類から視線を上げた。


「ちなみに、君がこちらの世界に来た時に持っていた荷物があるだろう」

「……荷物?」


 言われてみて、ふと思い出す。

 そういえば、私はスーパー帰りにこの世界に飛ばされてきた。

 週末は家ごもりの予定だったから、両手にたくさんの食材を持ってここにやってきたのだ。


「はい、持ってましたけど――何かありました?」

「あの時持っていたものは私が魔法で再現できる。必要に応じて活用すればいい」

「……はい?」



 ――魔法?



「ひとまず一通り用意しておいた。他の荷物とまとめて兵士に運ばせるから、もう行っていい」


 話は終わったと言わんばかりの態度に、私は引き下がらざるを得ない。

 とりあえず早々に荷物をまとめた方が良さそうだ。


「あの――お忙しい中色々とご対応頂き、ありがとうございました」


 聞いているかどうかもわからないが、頭を下げる。

 そのまま部屋を出ようとした時、背後からレオニーダさんの声がした。


「……道中気を付けて」


 ぼそり、とつぶやかれた声がやけに穏やかで。

 思わず振り向いたけれど、レオニーダさんは変わらずに書類作業を続けている。


 ――なんだかんだ助けてくれるし、悪いひとじゃないんだよね。


 もう一度ぺこり、と頭を下げて、私は部屋を出た。



 ***



「レオニーダ魔術団長、ですか。私は一兵卒なので直接お話しする機会は多くないですが、若くしてあの地位まで昇りつめられてすごい方ですよねぇ」


 スミスと名乗ったその兵士さんは、引越しの道中ほがらかな口調で色々なことを教えてくれた。


 聞けばこの世界では多くの人が魔法を使えるらしい。

 しかしその魔法力は様々で、ほとんどの人は生活に便利な程度の魔法しか使えないということだった。


 そんな中において、レオニーダさんはずば抜けた魔法力を持っているそうだ。

 思い返してみれば、確かに召喚された時に部屋にいた人たちの中で、彼は圧倒的に若かった。

 スミスさん情報によれば、35歳とのこと――うちの職場の係長と同い年で魔術団長なんて、もしやすごいエリートなのでは。



 そんな話をしている内に新居にたどり着く。


 中に入ってみて驚いた。

 こぢんまりとはしているが立派な一軒家、寝室に仕事部屋まである2LDK。

 あちらの世界の私の家より広くて住みやすそうだ。


「水はこちらを使ってください。水の精霊の加護を受けていますので、飲用も可です」


 蛇口を捻ると普通に水が出てきた。

 このまま飲めるなんて、海外に行くより安全な気がする。


「調理で火を使う際はこちらを。火の精霊の加護を受けています」


 コンロは二口ふたくちあり、レバーを回すと火が点いた。

 調理器具もそれらしいものが揃っている。


「そして最後に、レオニーダ団長から預かっておりますのでこちらを」


 渡されたのは、両手いっぱいの食材たちだ。

 あの日買ったものが……いや、消費期限的に無事じゃないものもあっただろうから、きっと魔法で再現されたものたちだろう。

 すぐ食べられるお弁当やお惣菜だけでなく野菜、果物、お肉に玉子、調味料やら乾物、飲み物やお菓子に至るまで。


「あっ、腐ってしまわないように、使わない分はこちらの冷たい戸棚をご活用ください。氷の精霊の加護を受けています」


 ――精霊、万能過ぎる。

 オール電化ならぬ、オール精霊住宅。

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