偽物の日々

 一年目――


 私、スミレが『花純』として生きる事になった一年目。


 まず、私の住んでいる部屋が変わった。花純になりきるために、私は元の花純の部屋に住み始めた。以前の部屋との違いに驚きながらも、私の猛特訓が始まった。


 なぜなら私は花純になりきらなければならない。花純の性格、花純の好み、花純と同程度の学力、花純のような社交性、そして一番重要な――西園寺静流様の心を掴む事。


 母様から見せられた花純の日報には「――人の心は難しいです」「もう少しで好感度が上がりそうです」「静流様は大人っぽい人が好みで――」「――友達以上の関係から抜け出せられません」「どうにか婚約者という立場になりました」「ふさわしくない令嬢になったら破棄されると言われました、頑張ります」


 淡々と、それでいて感情が刺激されるような文章で書かれた日報。私は知っている。花純が本気で静流の事が好きだった事を。


 ……花純がいつ帰ってきてもいいように、私がどうにかしないと。


 まずは私は小学校を一ヶ月休んだ。異能が使えないのは、鬼に襲われた怪我の後遺症という事にしておけば問題ないらしい。


 今回の入れ替わりの件を知っているのは、両親と私と石神家当主様だけ。石神当主様は七里ヶ浜家に何か恩があるのか、母様に従順であった。


 異能も勉強も運動も、猛特訓といっても理性的な範囲での事。正直、全然苦にもならない。

 だって、今までの生活の方が苦しかったから。こんなん全然天国だった。



 心に余裕が出来たとしても、私は絶対に「スミレ」だった事を忘れない。頭がおかしくなりそうでも――、心の奥の中にしまっている「思い出」を思い返すと自分が自分だと思い出せる。



 ……蓮夜様、あなたはもう会えないのかな……。私、ちょっとだけ寂しいよ。



 ***



「もう大丈夫ね。流石私の花純ね。勉強もバッチリだし、異能も身体強化なら少しは使えるじゃないの。悪くないわよ。ふふっ、今日は静流様が迎えに来てくれるわ。婚約しただけじゃゴールじゃないわよ、ちゃんと殿方の心を掴んでこそ、立派な令嬢なのよ」

「はい、お母様」


 春休みを被せて休んだ一ヶ月、一つ年下だった花純。


 私の二回目の六年生が始まる。自分の事なのに、まるで実感が湧かない。目の前にいる父様も母様も灰色の映像に見える。


「ははっ、花純ももう六年生か……。まったく時が経つのが早いものだ。すぐに結婚式の準備だな」

「あらあら、父様、気が早いわよ。まずは根回ししないと、ね」


 この一ヶ月、母様と接する機会が増えた。私の第一印象と変わらない。

 人の皮を被った化け物――に見えて仕方なかった。なぜならあの時、対峙した鬼の方が可愛く見える。


 広間に司兄様がやってきた。


「おお、やっと花純と会えた……。会いたかったよ、花純。ん? どうした? 兄さんの顔を忘れたのか?」


 私を見て(花純を見て)泣き出しそうな兄さん。

 私の髪を撫でて、挨拶をする。

 鳥肌を抑えるのに必死だった。私は兄さんから罵倒と暴言、暴力しか振るわれた覚えがない。


「ふふっ、少し忘れちゃいましたね。兄様、ごめんなさい。花純は無事戻りました」


 自分のセリフに吐き気が出そうだったけど、我慢するしかない。


「花純……俺は嬉しいぞ。あんな出来損ないと違って、鬼の呪いに負けなかった事を。あのまま、一生寝てればいいのにな」

「……そうですね」


 負けたのは本当は花純。それを知っているのは一握りの人間だけ。

 大丈夫、表情は変わらない。私は自分の心を殺している。それを気づかせなければいい。それはいつもと『スミレ』だった時と変わらない。


 私には夢がある。いつか、この家を、この街を飛び出して、自由に生きてみたい。

 そのためにはこの試練を乗り越える必要がある。



 ***



「花純様! お身体大丈夫でしたか??」

「ああ、本当に無事で良かったです……。花純様に何かあったら――」

「それにしても流石、花純様ですわ。鬼と対峙してほとんど無傷で生き残るなんて」

「花純さん、無事で良かった! へへ、クラスの男子はみんな心配していたぜ」


 花純の六年生の教室、花純には友達が沢山いた。こんなにも大勢から愛情に近い感情を向けられたのは初めてだった。


 胸がチクリと痛くなった。本物の花純はベッドの上で寝ている。一人ぼっちの時とは違う、後ろめたさというのが心に芽生えた。



 と、その時教室から歓声が上がった。入口に寄りかかっている静流様。


 中等部に上がった制服を着ている静流様を見て教室の女子たちが騒いでいたんだ。


 静流様が生徒たちの間をすり抜けてながら歓声に応える。


 異能協会序列一位、西園寺家の長男、当主後継者。天才少年異能術師であり、その美貌とカリスマ性で生徒たちからの羨望の眼差しを受けている。


「元気そうで良かった。七里ヶ浜家に顔も見せにいけないというのはひどい扱いだったな」


「い、いえ、こちらこそご心配をおかけしました……。花純はもう大丈夫です」


「ああ、本当に無事で良かった。……その、スミレは残念だった」


 生徒たちがそのセリフに沸き立つ。


「静流様がいたから落ちこぼれも生き残れたのよ!」

「今でも寝たきりなんだろ? マジで弱いな」

「静流様の勇姿を見たかったですわ! 花純様と一緒に鬼どもを蹴散らしたって聞きましたわ!」

「ええ、お二人の活躍がなければ学園は鬼どもの巣になっていましたわ!」


 母様から聞いた筋書き通り。静流様と花純が……鬼を撃退した、という事になっている。

 あの場の真実を知るものは、私たちしかいない。


 静流様は手をあげてみんなの言葉に答える。


「それでも、僕にもっと力があったら――スミレは……。悔やんでも仕方ない。……花純、君だけでも無事で良かった。次は俺が絶対に君を守る。まだ本調子じゃないだろ? また放課後にでも教室によるさ。これ――」


 といって渡されたのは、大きな花束だった。私はその花束を投げ捨てたい気持ちに駆られた。なんでこんな風に普通の顔をしてられるの? 私を生贄にして逃げようとしたのに……。


 知らず知らず拳を握りしめていた。


 クラスの女子たちは黄色い歓声をあげていた。

 私は仮面のつけて、微笑みを浮かべた。花に罪はない。教室に飾ればいい。


「ありがとうございます、静流様! カスミは本当に嬉しいです」


 静流様は私から顔をそらした。そして小声で「なぜ――姉妹だから? いや、あんな笑顔は――あの時のスミレを――」




 ***




 中等部になった二年目。


 花純の人間関係にも慣れてきた。中等部から入ることができる学園の生徒会に入った。生徒会長はもちろん静流様であった。


 私はみだりに人間関係を広げてはいけない。私の意思で行動してはいけない。私の行動はすべて記録する。


 だって、私はスミレじゃない。花純だから。

 母様が花純を本当に大事にしているって知っている。花純の病室へ訪れて、手を握って励ましている姿を見たことがあった。


『花純、あなたの今の苦しみは必要な事よ。大丈夫、全部お母さんに任せなさい。絶対に私があなたを救ってあげるわ――。あなたは龍の巫女になれる資格を持っているのよ』


 花純の身体は日に日に衰弱していった。でも、上級魔法治療師の力によって、どうにか命を繋ぎ止めている。


 私は花純の心配をしている暇もない。


 学園では授業や生徒との関係を気にしながら、放課後は生徒会で時間を過ごす。

 本当にあの頃とは全然違う生活をしている。


 毎日美味しい料理が出てくる。毎日あたたかい部屋で眠ることができる。敵意も悪意もここには存在しない。


 まるで雛鳥みたいな生活。特訓も勉強も、何もかもぬるま湯に感じて仕方なかった。だから、私は自分を更に高めるために、この環境を最大限に活かす事にした。

 言われた特訓以上に自分の身体をいじめ抜いた――






 昼休みは教室で給食を食べる。


「花純! ねえねえ今日の放課後にクレープ食べに行きましょ!」

「へへ、花純さん、いつもの七大名家グループでね! うちらズッ友だもんね」

「ズッ友って、ちょっと古いよ」

「ていうか、花純さんって前はちょっと話しづらかったけど、今は大好きだもん! えへへ、なんでだろうね? 全然違うんだよね」

「ああ、それわかるわ。私も今の花純が好きよ。前よりもずっと気さくだしね」


 同じクラスメイトの石神家の次女、それに西園寺家の長女と仲良くなった。元々話していたらしいけど、この一年で距離がぐっと縮まった。


 異能名家の序列一桁台の子息令嬢と仲良くなる必要があった。

 花純はこの課題がうまくこなせていなかった。取り巻きは多かったけど、対等の友達という子は誰もいなかった。


 私はこの二年で、対等な親しい友人関係を構築することが出来た。


 心を許せる友人が出来たらこんな感じなんだ、っていうのが実感出来た。


「花純どうしたん?」

「でた石神の関西弁!」

「西園寺さん、茶化しちゃだめですよ」

「うぅ、ごめんね。ていうか、花純さんってたまにぼうっとしてるよね。今だってそうだったよ」

「ううん、特に何も考えてないですよ。……二人と友人になれて……こんな風にご飯を一緒に食べれて、幸せだなって思っただけです」


 二人は顔を見合わせた。そして、「花純〜!」「花純さん!」といいながら私に抱きついてきた。


 同じ七大名家の令嬢だからこそわかる境遇。そう、私たちは感情を共有している。


 ――でも、私は偽物の花純だから。


 いつか絶対に来る別れの時。

 それを考えると、心の壁を作らないと、胸が痛くなりそうだった。


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