整備士イズミの長い午前 1


 ああ、眠い。

 昨日、休日返上で徹夜作業したせいだ。

 体がふわふわと浮いているような感覚がある。


 深夜テンションで仕上げたあれこれが、果たして採用されるのか。

 ──そんなことを考えながら、クラッカーをかじり、カフェイン錠剤を水で流し込んだ。


 椎名はなんとか部屋から追い出したが……、あのまま放っておけば延々と作業を続けていたのだろうか?


 よくもまあ、あそこまで集中力が持つものだ。……まあ、今日は休みらしいし、問題はないか。


 そんな事より眠気がすごい。

 こりゃ、今日の仕事はさっさと片付けて、夕食を抜いてでもすぐに寝よう。そう心に決めて、朝の支度を進める。


 目を覚ますために軽くシャワーを浴びる。少しはマシになった。

 眠気が覚めると急に腹が減ってきたので、朝食を食べようと食堂へ向かう。


 今日の朝食はいつものように培養肉と硬い食パンだ。

 これまたいつものように、培養肉をパンに挟んでサンドイッチを作っていると、背中に衝撃が走った。


「おう、イズミ。おはよう。どうした? 今日は元気がないな」


 同僚の近藤タケシだ。

 僕とは違い、研究者グループのエリートで、今朝もトレーニングをしてきたらしく、まだ熱気を帯びている。暑苦しいから、あまり近寄らないでほしい。


 絵に描いたような文武両道タイプで、近くにいるだけで劣等感を煽ってくる。ただの機械オタクの僕とは正反対……いや、別に羨ましいわけじゃない。


 それでも仕事上の接点は多く、計器の調整や修理のことで世話になることもしばしばだ。見かけたら背中を叩く癖はやめてほしい。びっくりする。


「芸術家様のお手伝いか? お前もよくつきあえるな。俺なら体力が持たん」


 近藤は豪快に笑う。

 ほぼ休みなく働いているのはそっちだろ、と心の中でツッコミながら、僕はサンドイッチにかぶりついた。


 ぬるい培養肉の味が口に広がり、食パンに口の中の水分が持っていかれる。頭がぼんやりしていて、まともに味の評価をする余裕もない。ただ胃に何か入れておかないと、このまま椅子ごと眠り落ちる自信がある。


 壁際の空調が低く唸り、ゆるやかに空気を循環させる音が、眠気をさらに誘う。


 天井から降り注ぐ人工昼光が柔らかい。まぶたの裏にはまだ船室の暗がりが残っている。

 食堂の端のほうに置いてあるコーヒーサーバーの駆動音が響き、ほのかな苦い香りが鼻先をかすめた。


「で? 今日は何時までいける?」


 ニヤリと笑う近藤。その笑顔は冗談半分のからかいか、それとも少しの心配か……。


「できれば夕方までに仕事を終わらせて、あとは寝ていたい」


 そう答えると、近藤はテーブルを軽く叩いた。


「悪いな。今ちょうど計測機の調整が必要でな」

「……今サンドイッチ食べてるんだけど」

「食べ終わってからでいい。お前の担当範囲だし、俺じゃ分解もできん」


 彼は腕時計型端末を操作し、僕の前にホログラムを投影する。

 機器の断面図とエラーコードが浮かび上がった。点滅するコードが眠い目に刺さる。


「わかった。データ送っておいて」

「助かる」


 ARグラスに送られたデータを解析にかけつつ、朝食を終える。

 どうせ解析が終わらないと作業には入れないので、ゆっくりスープを作って飲む。


 ……この「機械に仕事をやらせて自分はくつろぐ」時間が、一番好きだ。


 数分後、作業区画。壁一面のパネルが淡く光り、床から低い振動が伝わってくる。僕は工具箱を引き寄せ、収納ケースに腰を下ろした。


 ネジを一本ずつ外す。指先に金属の感触が残るたび、少しずつ頭が冴えてくる。カバーの奥には配線がびっしり。


 端子を確認し、研磨し、接点を合わせる。人工重力は安定しているが、細かい作業には微妙な揺らぎが神経を削る。


 背後から近藤の声。

「それ、あと二時間はかかるか?」

「俺が眠いの知ってて言ってるだろ」

「知ってる。でも、こういうのは後回しにすると面倒になる」

「分かってるよ。すぐ呼んでくれるのは感謝してる」

「悪いな。何かあったら呼べ」


 カチリ。接点がはまり、ランプが緑に変わる。駆動音がわずかに滑らかになった。


「よし、あとはアリスに任せるか」


 工具箱の中の作業ロボット──銀色の外装に手描きの小さな花模様が刻まれた、僕の相棒。

 一応作業ロボットシリーズのAタイプってことなんだが、そんな呼び方では可哀想なので、「アリス」と名付けた。


 船内のジャンクパーツを寄せ集め、何度も分解と改造を繰り返してきたせいで、オリジナルの面影はほとんどない。

 唯一、初期のレンズ部分だけはそのままで、丸く澄んだ目のようにこちらを見上げてくる。すごく可愛い。


「ほら、今日も頼むぞ」

 軽く頭を撫でると、アリスは短く「ピッ」と電子音を返した。


 可動アームが小さく一回転し、やる気を見せるように関節部のランプが青く光る。この無言のやり取りが、ちょっとした儀式みたいになっている。


 アリスは器用にアームを伸ばし、分解しておいた部品を一つずつ拾い上げていく。

 磁力付きの爪先でネジを持ち上げ、所定の位置に正確に差し込む。その動きは人間よりも無駄が多いが、どこか優雅だ。

 組み込みの振動制御が効いているせいか、部品同士が触れ合うときの音がやけに心地よい。


 僕はその様子を見ながら、腰をおろした。こうしてアリスが黙々とゆっくりとだが確実に作業をこなす光景を眺める時間は、ちょっとした癒やしだ。

 人間相手だと「急げ」とか「次は何をする」とか、余計なやり取りが挟まるが、アリスは違う。ただ、完璧に、黙って、やるべきことをやってくれる。


「近藤、とりあえず俺の仕事は終わり」

「ああ、ありがとう」

「ロボットを仕込んであるから、終わったら回収よろしく」

「助かる。で、悪いんだが――」

「また、なんなんだ?」

「ほんのちょっとだけだ。別のセクションでも異常が……」


 僕はため息をつき、工具を片付けた。眠気は消えたはずなのに、体が鉛のように重い。壁の時計を見ると、まだ午前十時を少し回ったところだった。


 先の長さに、思わず頭を抱えた。

「……まあ、どこかそんな予感はしてたけどな」


 ため息をつきながらも、僕はアリスの背面パネルを一度軽く叩いた。


「何かあったら呼べよ、相棒」

 ランプが一瞬だけ緑に点滅した。まるで「わかってる」と返事されたような気がした。

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