星間の旅
確率に嫌われてるんだ。
士気維持・創造性向上プログラム
「ねえ、ねえってば」
久しぶりの休み。
ここぞとばかりに二度寝、三度寝を繰り返し、午前10時頃。──船内標準時でのことだ。いい加減にしろと言わんばかりに、僕は揺さぶり起こされた。
「今日は私の作業手伝ってくれるって約束でしょ」
僕の同僚、椎名こはるは事あるごとに僕の休日を潰す。
「あー、うん。手伝うから、あと五分だけ……」
「そう言ってもう3時間待ってるよ! 締め切りに遅れちゃう!」
「たまには遅れてもいいんじゃないの?」
「やだよ! 休み多くもらってるのに何してたんですかって、また嫌味言われちゃう!」
船は加速と減速の谷間を漂いながら、光速の数十%で恒星間を進む。地球への帰還は不可能。次の寄港先は数年先だ。
そんな船内で乗員の心を保たせるために、艦内には「士気維持・創造性向上プログラム」があり、その一部が芸術家枠だ。
娯楽は生命維持設備と同等に扱われ、利用記録や心拍データまで評価対象になる。その枠に採用されたのが、この椎名こはるである。
もっとも、芸術家枠といっても労働免除ではない。休みは多いが、月一で作品を提出し、艦内ネットに公開する義務がある。
ブラック企業かよ、と言いたいところだが、これは公募時点で明言されており、「一般人がお金もらって宇宙に行けるんだから感謝しろ」という理屈だ。
それでも倍率は数百倍だったらしい。やりがい搾取だな、と思いながらも、僕はその募集を興味半分で見ていた記憶がある。
「わかった、わかったから。頭を揺らすのはやめてくれ。吐きそうだ」
「あっ、ごめん。でも、イズミ君がすぐに起きないのが悪いんだよ」
本気で揺らすな。頭がくらくらする。
寝ぼけ眼をこすりながら、ベッド脇のARグラスを探る。
……あぁ、あったあった。
椎名こはるはVR作家だ。観光地再現から幻想的な世界、未来都市まで手掛ける。VR世界に浸れば、計器と機械だらけの船内から抜け出し、気分転換できる──らしい。機械好きの僕には、あまりピンとこないが。
それでも僕の部屋の壁にある、窓型ディスプレイには彼女の映像が映っている。
この窓は外の映像も映せるが、ずっと変わらない星空で飽きてしまうっていうので僕も彼女の映像を利用している。いつもなら、休みの日は冬のスウェーデンに設定し、終わらない夜を楽しんでいるのだが……今日は太陽が昇っていた。
椎名のやつ、僕を起こすために設定をいじったな。
ARグラスをかけて椎名の方に向き直る。
「それで、何すればいいの?」
「えっ、あっうん。これの背景描いてほしい」
そう言って、空間データが転送されてくる。ARグラスに即座に展開され、壁際に映し出される。──急に開くのはやめてほしい。
映像に目が慣れてくると、それが僕の故郷の家だと気づいた。
「いいでしょ? イズミ君にもらった画像を元に作ったの。最終的にはVRで探検できるようにするつもり」
「すごい……懐かしいな。地球にいた頃も、しばらく帰ってなかったんだけど」
「でしょ? 今回の舞台は日本! 故郷を懐かしんでもらおうと思って!」
「壁の傷まで再現してあるな」
「で、この空を描いてほしいんだよ」
拡大や縮小を繰り返し、その完成度に感心していると、椎名が空の部分を指差す。
「青く塗りつぶすだけでもいいけど、せっかくだから色んな天気にしたいの」
「なるほど。で、俺に描かせると。そんなの過去のデータを流用すれば……そう言えば二ヶ月前にやったろ?」
「あれはアメリカの空! 湿度も違うし、イズミ君の故郷は盆地なんだから全然違うでしょ!」
「空なんて大差ないだろ」
「全然違う!」
細かいところを気にするから終わらない。と思いつつ、だからこそ選ばれたのだろうとも思う。
「はいはい、わかった。それでデータは?」
「はい、これ。過去一年分の天気データ、雲の参考画像と動画」
「おい、今日だけで一年分作る気か?」
「んー、今月は夏の予定だから、夏の空を作ってほしい。積乱雲や夕立も再現してね」
「まあ、それならなんとか」
「雲の形はパターン化して組み合わせればいいよ。作った本人以外にはわからないから」
細かいのか大ざっぱなのか分からない。
それでも故郷の空を思い出す。
「……夏の夕立ってさ、降り始める前の空気がやけに重たいよな」
「そうそう! 視覚だけじゃなく温度や湿度もリンクさせたい」
「湿度まで? この船内で?」
「できるよ。環境制御でブース内だけで設定すれば。あそこでなら夕立も本物っぽくできる。去年の演劇で雪降らせたでしょ?」
「ああ、後片付けが地獄だったやつな」
「そう、それ。今回は結露しないようにちゃんと調整するけどね」
悪びれず笑う椎名に、断りづらくなる。
「じゃあ、雷は?」
「もちろん! 積乱雲の中で稲光を走らせて!」
「雷、落としていい?」
「いいよ! 派手に! 音も用意しておく!」
熱気に押され、僕も気分が乗る。あの体の芯を震わせる音圧が好きだ。
「だってそうじゃないと、地球から何年も離れて暮らす人たちが、あの感覚を忘れちゃうでしょ?」
もう何年も本物の夏空を見ていない。
青さも湿気も遠雷も、この壁の向こうにはない。あるのは、無限の真空だけだ。記憶の空は少しずつ平坦になっていく。
「はいはい、思い出すのは後。描いて描いて!」
返事も待たず、ペン型デバイスを胸に押し付けられる。
一筆引くと、淡い青が滲むように広がる。雲を重ねれば、ふわっと立体感が出る。人工重力下でも、これは楽しい。
「……なあ、この空ってさ」
「うん?」
「夕方とか星空も作れるよな」
「もちろん! リアルタイム切替も!」
目を輝かせる椎名。夏休みや祭りの記憶が蘇る。
「花火、飛ばしたい」
「いいね! 飛ばそう!」
小さな思いつきに全力で食いつく彼女。遠くの景色を思い出し、泣きそうになるのをこらえる。
「あれ、泣いてる?」
「泣いてない。でも、ありがとう」
「いいよ。その代わり今日は徹夜。7月の日中だけでも今日中に作るよ」
遠い故郷を思いながら、今日も長い一日が始まる。長い旅路の、小さな日常。
「なんか変な顔してる」
「別に。もともとこういう顔だ」
「うん、いつものイズミ君だ」少し黙った後、椎名が笑った。
「じゃあ、完成したら一番に見せてあげる。誰よりも、イズミ君に」
からかいではない、作る人間の顔だった。その笑顔で、胸の奥の湿った何かが少し軽くなる。
「……当たり前だ。休み返上で手伝ってるんだからな」
「そうそう、その意気!」
筆先から広がる色は、記憶の奥に沈んだ夏を引き上げていく。
風鈴の音、夕立の匂い、祭りの喧騒。本来ならここにないはずの感覚が、目の前の空に宿っていく。
休憩を挟みながら作業し、気づけば日が変わっていた。
椎名のやつ、窓を夏の南極に変えてやがる。白夜で時間感覚が狂う。
「ね、こっちの方が進むでしょ?」
「……白夜で徹夜を正当化するな」
悪びれず笑う椎名に、僕は筆を握り直す。空はほぼ仕上がり、積乱雲の奥に雷光を仕込む工程だ。
一閃、二閃──音を入れていないはずなのに、体の芯がわずかに震える。
「……本物より迫力あるかもな」
「でしょ? 私の空だもん」
「……よし、今日はここまで」
「だめ、まだ雲のバリエーションが足りない。今日は徹夜って言ったでしょ?」
「はいはい、芸術家さまの満足いくまでやりますよ」
起こされたときの不機嫌も、船内の無機質さも、もうない。ここにあるのは、僕と椎名と、作りかけの空だけだ。
遠く離れた地球を思いながら、僕はもう一度、筆を取った。
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