第2話
私はインタビューの映像データを圧縮し、サトミさんへ送る。あとは、彼女の「お墨付き」を待つだけだ。
『心霊研究家』のサトミさん。 テレビの心霊特番やオカルト雑誌の常連であり、この界隈で彼女の名を知らない者はいない。
だが私にとって彼女は、ただの心霊研究家ではない。大学時代のサークルの先輩であり、会社を辞めて路頭に迷いかけた私に、「あなた、こういうの向いてるよ」と動画配信の道を示してくれた恩人でもある。
私が今現在食えているのも、半分以上は彼女のネームバリューのおかげと言っていい。
チャンネルが軌道にのった事もあり、今では私のチャンネルにゲストとして時々出演して頂いている。
夜11時少し前、スマートフォンの画面が彼女の名前を映し出す。
「もしもし、おつかれ。例の動画、見たよ。……あなた……またやばそうなの拾ってきたね」
「この『クロコ』って悪霊なんだけど、性質が少し……現地で直接確かめないとダメな類(たぐい)だよ」
いつもの面白がるような声とは違う彼女の声に対し、理由を尋ねようとした時には、彼女は「じゃ、日程決めよっか」と、いつもの調子に戻ってしまった。
必要なことだけを決め、電話を切る。
(現地で見ないとダメなやつ、か……)
私はしばし、無音になったスマートフォンを眺めていた。 「当たる」コンテンツだという高揚感に冷や水を浴びせられたような感覚。
サトミさんのあの声色は、本物の「厄介ごと」に触れた時のものだ。
私は無意識にインタビューで見たヤマッチさんの恐怖に歪んだ顔を思い出していた。
インタビューから五日後。私の運転するレンタカーの助手席にはサトミさんが、そして後部座席には、固い表情のヤマッチさんが座っていた。
「本当によかったですか? 無理して来なくても」
バックミラー越しに問いかけるとヤマッチさんは一度強く目をつぶり、そして頷いた。
「はい。このままじゃ何も分からないままだから……友人たちのことも、このままにはしておけないんです……」
彼の申し出を私たちが断る理由はなかった。現地に案内役がいるのは何より心強い。
やがて車は、三本の大河が合流する県の最南端へと差しかかる。車窓から見える延々と続く堤防を指さし、ヤマッチさんが口を開いた。
「あれが、輪中(わじゅう)です。集落を水害から守るための堤防で……俺たちの地元は、昔からずっと水と戦ってきた歴史があるんです」
「それで、今夜の宿なんだけど」サトミさんが切り出す。
「はい。祖父母が昔住んでた家が今は空き家になってるので、そこを使ってください。二年くらい前から、客間みたいにしてるんで、泊まれるようにはなってます」
堤防を越え、集落の中を10分ほど走っただろうか。カーナビが目的地であるヤマッチさんの祖父母宅に到着した事を告げた。
伝統的な日本家屋の造りであるヤマッチさんの祖父母宅は石垣の上に建っていた。
もり土に石垣を囲み、その上に家屋を建てるのがこの地域で昔から行われている水害対策だとヤマッチさんから説明を受けた。
「あれも水害対策ってことかな?」
彼女が指さす先には、母屋から少し離れた場所に、さらに一段高い石垣に囲まれた小さな蔵がぽつんと建っていた。
「あれは水屋(みずや)って言うらしいです。母屋が水に浸かった際の避難場所としても使用できる蔵になっています。今はただの物置ですけど」
ヤマッチさんに案内され、私たちは母屋へ荷物を降ろした。
年季の入った外観とは裏腹に、室内は綺麗にリフォームされており、取材期間中を快適に過ごせそうだ。
居間の時計は午後5時を指していた。
本来なら取材がてら近所の散策を行いたかったが、今はクロコが現れる期間である。
「流石に今から取材は危ないので、明日から各自動きますか。」
サトミさんが頷く。
「そうだね。私は明日、図書館でこの地域の過去の新聞を調べる事にするよ。33年周期で起こるクロコについて、何かしら記録が残っているかもしれない」
私たちは日が暮れる前に、周りの家々に倣って全ての窓のカーテンをきっちりと閉め切った。
集落一帯がこれから始まる夜に備えている。
私はクロコという悪霊を是非カメラに収めたいと考えていた。
記録用のカメラを一台は東側の、もう一台は北側の軒先に設置した。どちらも家の前の道路を捉えており、夜通し録画を続ければ、あるいは──。
最高の画が撮れるかもしれないという興奮を抑えながら、私たちは簡単な夕食を済ませ、早々にそれぞれの部屋へと引き上げた。
翌日。日が昇り、昨夜の静寂が嘘のように日常の空気が戻ってきた。私は早速、二台のカメラを回収し、持ち込んだノートパソコンにデータを取り込んだ。
「……何か、映ってますか?」
横でヤマッチさんが固唾を飲んで画面を覗き込んでいる。
カメラの映像を高速で再生する。単調な夜道が流れていくだけだ。だが──その時、画面の端を黒い何かが、滑るように横切った。
再生を止め、コマ送りで戻す。そこに映っていたものに私達は息を呑んだ。
真っ黒な、人のシルエット。背丈は子供くらいだろうか。それが街灯の光に照らされたアスファルトの上を、小走りほどの速度でカメラを横切っていった。
「まさか……こんなにはっきりと……」
私はこの手の動画撮影を行ってきた中で、ここまで鮮明に幽霊と思わしき姿をカメラに収めた事は当然ない。
ルポ動画で撮影出来るのはせいぜいオーブのような発光現象や、ラップ音、うめき声にも聞こえる環境音くらいだ。
タイムスタンプは、午後10時42分。
「本当に....いたんですね……」
隣で、ヤマッチさんの震える声が聞こえた。6日前に語られた怪談が、今、私たちの目の前で紛れもない「事実」として再生されていた。
「……うん。ここまで鮮明なのは、私も初めて見たよ....」 サトミさんの声にも、普段の余裕とは違う、純粋な驚きが混じっていた。
私は映像のタイムラインを進めた。午前1時、3時、4時半……
クロコは何度もカメラの前を横切っていたのだ。
そして、空が白み始める直前の五度目
画面の端から、例の黒いシルエットが現れる。
またこの家の前を小走りで通り過ぎて──いくはずだった。
──ぴたっ。
クロコの足が止まった。
ぎこちない動きでクロコの首が回る──。
クロコは明らかにカメラの設置方向を凝視しているのだ。
「「「あっ……」」」
三人の息を呑む音が、部屋に響いた。
20秒ほどの凝視が続いたあと、クロコは再び小走りで集落方向へと消えていった。
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