『クロコ』

骨港

第1話


連日の猛暑でアスファルトが揺らめく8月。そういえば、あれだけうるさかったセミの声がしない。


私は、借り物のオフィスの一室で撮影機材のセッティングに追われていた。


心霊系の動画投稿なんていう、少し変わった稼業を始めてもう5年が経つ。


私のチャンネルの強みは、視聴者から寄せられた恐怖体験のインタビューと、その現場に私自身が乗り込む検証ルポの2本立て。このモキュメンタリータッチの動画が、ありがたいことにマニアの間でそこそこウケているらしい。


ちょうど撮影準備が整った午後0時35分。テーブルに置いたスマートフォンに、メッセージの着信を知らせるライトが灯った。


『ミツケルナ ミツカルゾ』


宛先不明で届いたその一文を私は意にも介さなかった。こういうチャンネルを運営していると、手の込んだ悪戯は日常茶飯事だからだ。


私はスマートフォンの画面を消し、今日の協力者がまとめてくれた体験談の資料へと視線を落とす。


いざカメラを前にすると、人は普段通りに話す事は経験上難しい。話が途切れたり、要点がずれたりした時に自然に口を挟めるよう、あらかじめ内容を把握しておくのが私のやり方だった。


資料を読み終えた時、私のスマートウォッチは待ち合わせ時間の20分前を指していた。


肌を焼くような暑さを思い出し、エアコンの風量を一つ強める。あとは今日の主役が来るのを待つだけだ。


13時05分


オフィスに現れたのは、少し緊張した面持ちの青年だった。


簡単な自己紹介を交わし、動画への出演に関する最終的な意思確認を済ませる。外気で火照った彼の額から汗が引くのを待ってから、私は三脚に据えたカメラの録画ボタンに指をかけた。


『本日はよろしくお願いします。』


私の合図に反応し、ハンドルネーム『ヤマッチ』と名乗った彼は、ゆっくりと語り始めた。


「本日はインタビュー出演ありがとうございます。」


「いえ...いつも見させて頂いています『オカル界.ch』さんでどうしてもお話したい事がありまして...」


ヤマッチさんは二十歳の大学生。

私の運営する『オカル界.ch』はよく見てくれているそうだ。


「地元では『クロコ』っていう悪霊に言い伝えがあるみたいなんです。僕も今回の件で知ったんですが....33年周期で『クロコ』は現れると伝えられていて。で、今年がちょうどその年に当たるんです。」


「『クロコ』が出る期間、地元では日が暮れると家中の窓を全部閉めるんですよ。絶対に、家の中を見られないようにって」


「『クロコ』は何かを探して夜道をうろついてるらしいです。もし、そいつと目が合ったら……必ず、呪い殺されると伝えられていて.....」



『クロコ』という土着の怪談話については、事前に彼の概要を受け取った時点で調べてあった。いくら検索しても、そんな伝承は影も形も見つからない。SNSですら、それらしき噂話一つヒットしなかったのだ。


誰も知らない、ネットの海にも埋もれた土着の怪談。


この手の怪談話は動画制作上大変貴重なネタとなる。

是非とも『クロコ』に関する動画を制作し、再生回数を稼ぎたい。


「この『クロコ』が現れる期間は、大体どれくらいなんですか?」


「七月の頭から、九月の末までだと聞いています。」


早々に現地で撮影を行うべきだ。彼のインタビューを聞きながらも、私は作るべき動画の構成についてあれこれ思案し始めていた。


「ヤマッチさんは、その『クロコ』に遭遇してしまった、ということでしょうか?」


「いえ……僕じゃないんです。友人二人が『クロコ』に見つかってしまったんです。」


ヤマッチさんは意を決したように話を続けた。


「先週まで、少し地元に帰省してまして。地元の友人...友人たちの名前は伏せさせてください。仮にAとB、ということでお願いします....」


「その日は三人でAの家に集まって宅飲みをしていたんです。」


「夜の9時を過ぎた頃、Aの部屋の扉越しから『クロコの年だ。今夜は友達を泊めていけ。』とAの祖父がAに言っているのが聞こえました。」


「僕とBはこの地域に引っ越してきた側なので、ここで初めてクロコという言葉を聞いたんです。」


「僕とBが『クロコ』って何なんだってAに聞いたら、Aは呆れたような顔でこう言ったんです。」


ヤマッチさんは、当時のAの口調を真似るように続けた。


「ああ、『クロコ』か。じいちゃんが言ってたろ。この辺に昔からいるっていう悪霊だよ。三十三年周期で出てくるって言われててさ。期間は七月から九月の終わりまで。結構長いだろ?」


「見た目は全身真っ黒な人型で、目だけがギラギラ光ってるとかだったかな?

何かを探してこの辺をうろついてるんだと」


「だから、この時期は日が暮れたら絶対に家の中を見られないようにしなきゃダメなんだよ。戸締りはもちろん、カーテンも雨戸も全部閉めるのが決まり。めんどくせー風習だよなぁ。」


「……あ、別にこっちが『クロコ』を見るだけなら平気らしいぜ。ただ──クロコに『見つかったら』終わり。そうなった奴は、最後はみんなおかしくなって、泡吹いて死ぬって話だ。」


「Bは全く信じていなくて、『試しにカーテン開けてみようぜ』と冗談を飛ばしていました。」


「あの話を聞いたら、急に怖くなってしまって……。トイレを借りに一階へ降りました。」


「それで……用を足していると、トイレの磨りガラスの高窓を何か黒い影がすっと横切った気がして。」


「クロコじゃないかと思ってトイレで僕は腰が抜けてしまって動けなくなっちゃって....」


「どうしよう、どうしようって震えていたら、二階から……『ギャッ!』っていう、短い悲鳴が聞こえたんです。」


「それに突き動かされるようにトイレを飛び出すと、ちょうどAのお父さんたちも部屋から出てきて、みんなでAの部屋になだれ込みました。」


「部屋の中でAとBが窓際に座り込んで震えていました....顔から血の気が引いて真っ白で...」


「Aの父と祖父が状況を理解して『見つかったんか....』と力無く問いかけると、Aは震えながら頷きました....」


「『いるわけないって……クロコなんて、いるわけないじゃんって……俺が、カーテンを……開けたら……』」


「そこまで言って、Aは何かを思い出したように絶叫しました。『目が……窓の外に、目が……あったんだ!』って」


「パニックになったAを家族が押さえ込んでいる横で口から泡を吹きながら、何かうわ言をずっと……」


「AとBは翌日、Aの家族が手配した車に載せられて何処かへ運ばれて行きました。AとBの安否はわかりません....」


語り終えたヤマッチさんの額にはびっしりと汗が滲んでいた。その恐怖に満ちた表情とは対照的に、私の心は高揚していた。


「……ありがとうございました。この『クロコ』の話、実に興味深い。是非ともチャンネルで、真相を追わせていただきます」


そう締めくくり、カメラの録画を停止した。 手応えは十分すぎる。これは、間違いなく「当たる」。


インタビューのインパクトがこれだけ強ければ、仮に現地ルポが空振りに終わったとしても問題ない。恐怖に歪むヤマッチさんの顔と友人たちの悲惨な末路。それだけで1本の動画として十分に成立する。私の頭の中では、すでにサムネイルに載せる刺激的なキャッチコピーまで浮かび始めていた。


私は改めてヤマッチさんに礼を言い、出演料と交通費を封筒で手渡す。震える手でそれを受け取る彼から現地住所の詳細を再確認し、ビジネススマイルで送り出した。

ドアが閉まり、オフィスが再び静寂に包まれると、私はすぐさま次の準備に取りかかる。


体験談にあった「どこかへ運ばれた」という話。これは「後処理」だ。おそらく地元の人間が関わる寺か、あるいは旧家だろう。その辺りについて詳しい仕事仲間がいる。


私はスマートフォンを手に取り、『心霊研究家』のサトミさんへ短いメッセージを送った。 『ルポ動画での同伴依頼です。報酬は弾みます。』と。

すぐにサトミさんから良い返事が返ってきた。

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