第9話 無表情の天才、その胸の内

夕暮れが学園を柔らかく染める頃、図書室の片隅で紫月理央は窓の外をじっと見つめていた。

透き通った瞳の奥には、誰にも見せたことのない複雑な光が揺れている。



薄暗い屋敷の一室。

幼い理央は、重い空気の中で震える手を魔法書に伸ばしていた。

部屋の隅には母の冷たい視線が光っている。


「紫月理央、あなたは選ばれし者。失敗は許されないのよ」

母の声は冷たく、命令のようだった。


理央は必死に詠唱の言葉を呟こうとする。

けれど、指先が震え、声が震え、言葉が詰まる。


「また間違えたの?」

母の眉が厳しくひそめられた。

「そんなことで甘えている暇はないわ。完璧でいなさい」


その言葉は理央の胸に深く刺さった。

泣きたくても涙は流せなかった。

声を上げれば、もっと怒られることを知っていたから。


(私は……認められたい。でも、どうしても愛されたい……)

その思いは胸の奥にしまわれ、誰にも言えない秘密になった。



ある日、理央は初めて母の前で魔法を失敗した。

それはほんの小さなミスだったけれど、母の顔は一瞬で変わった。


怒りが冷たい軽蔑に変わる。


「あなたは私の期待に応えられないのね」


幼い理央の心はその言葉に鋭く刺され、壊れそうになった。

彼女はその場で固まってしまい、涙をこらえた。


「強くならなきゃ……」

「完璧でなきゃ……」


自分を責め、縛り付ける鎖がますます強くなるのを感じながら、彼女は必死に立ち上がった。



孤独な日々は続いた。

誰にも話しかけられず、笑顔を見せることもなく、ただひたすら完璧を求めた。


(仲間なんていなかった。誰も私を理解してくれなかった)


ただ問題集を解き続け、無表情のまま日々を過ごすだけ。



そんなある日の連携演習。

理央の視線はふと、遠くで魔法を使う一人の少年に向いた。


ぎこちなくも懸命に戦い、失敗を恐れず、仲間と歩調を合わせようと必死なその姿。


(あの子は違う)

(失敗しても恐れず、真剣に立ち向かっている)


理央の心に、小さな波紋が広がった。


(初めて、誰かに認められたいのじゃなく、誰かを認めたいと思った)



◆ 図書室での理央の独白


「火種魔法、昨日より形が良くなっていた」


彼女の言葉は厳しいが、そこには確かな温かさもあった。

悠真の未熟さと真剣さを見て、自分の幼い頃の姿を重ねているのかもしれない。


(私が本当に欲しかったのは、ただの評価じゃない)

(誰かに理解されて、共に歩むこと……)


理央は静かに息を吐き、本棚の陰に身を隠すようにしてつぶやいた。


「──もう少しだけ、君を見てみよう」

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