瞳の中の星々
「おはようさん。ゆうべはよく眠れたかい?」
「はい、グッスリ。お宿のキャンセルの手配もありがとうございました」
「気にしないでおくれ。うちの娘が世話になったしね。礼には及ばないさ」
午前九時。時間通り、職人と顧客とが再び工房の面談室で顔を合わせていた。
お母さんのかたわらにはリサさんとネックさんが立ち、それを見守るように私は壁際で待機させてもらっている。
「それじゃあ、まずは確認といこうかい。今日はまだ魔法を使っていないだろうね」
「もちろんです。お約束でしたから」
「なら話は早い。昨日渡したサンプルはどんな案配だったか聞かせてくれるかい」
お母さん手製の基礎的なサンプル。顧客の様々な要望に応えるため作られた、特別な杖だ。
特殊な依頼が多いなかでも、あの五つの杖のどれに適性があるかを見極め、そして制作方針を決めることのできる素体。あのサンプルで無理なら、きっとどんな魔杖技師も彼女にあった魔法の杖を作るのは不可能。
「ダメでした。どの杖も起動してくれませんでした」
「そうかい。組み合わせは?」
「同じです。複数本持って試してみましたが、全三十一パターンどれも起動しませんでした」
組み合わせというのは、一本ずつ起動を試すだけではなく、二本、三本、四本、五本と持ち加えて魔力を通して見たのだろう。結果は同じようだったけど。
起動せず、という結果に少し安堵してしまった。才能がある者にも欠点はある。下劣な感情だと自覚はありつつも、どこか清々とした気持ちになっているのは彼女に対する嫉妬から。
表情が曇っている。さすがに落胆の色を隠せないのだろう。
これはこれで興味が湧いた。お母さんが用意したサンプルで起動しなかった顧客は初めて。その次にお母さんがどう対応するのか、どんな対策を講じるのか見てみたくもあったから。
「リサ。今朝用意したものを持ってきてくれるかい。昨日見繕ったものでも構わないけど」
「は、はい。でも良いんですか? あれは」
「試してみる価値はあると思うんだよ。私の見立てが間違ってなければね」
「わかりました。すぐに――」
返事をしてリサさんは部屋を出て行った。
我が母ながら抜かりないなとは思いつつも、私に何も指示が飛ばないのは幾分か気になる。
ここへ呼び出されたのは、てっきりリサさんとネックさんの手伝いを指示されるのだろうと身構えていたのだけど、顧客と商談している様子を見ると、今のところ私に話が飛ぶ雰囲気は感じられない。
ネックさんは何か知っているだろうか。あの人はお母さんの座るソファの斜め後ろに立ったまま微動だにしておらず、依頼人を注視していた。相変わらず表情からはどんな感情を抱いているのかはわからない。口数が少ないためか、無愛想と誤解されがちな人だけど、リサさんの前だと柔らかく口元をほころばせることが多い。婚約者なのだから当然なのだけど、リサさんがいないときのネックさんはとてもわかりづらい。
と、そこでネックさんと目が合った。
なぜか力強く頷かれる。
すぐに目を逸らされて、ネックさんは再び二人へと視線を落とした。
……? なんだろう。特に何かメッセージがあったようには思えない。少なくとも、あの人の意図は汲み取れなかった。ただの朝の挨拶で意味はないのかもしれないけど。
ほどなくしてリサさんが現れる。その手にはサンプルと思しき魔法の杖が何本と抱えられていた。お母さんの指示どおり、それをマジカに渡す。
「マジカちゃん、どれでも良いから一つずつ起動できないか試してくれないかい」
「はい、わかりました……って、え? え? すごっ!」
杖を手にした瞬間、彼女の表情が変わる。
さっきまでマジカの顔を曇らせていた申し訳なさとか不安感が一気に吹き飛んだ。
笑顔で目の前にある現実を噛みしめている。今まで魔法の杖を起動できたことがなかったのだから、その嬉しさは夢のような心地だろう。
「できました。できましたよマヤコさん! 一つだけじゃなくて、これも、これも、これも」
リサさんが持ってきたサンプルをマジカは次々に起動テストしていく。
そのことごとくがマジカの魔力や特性と相性が良いようで、複数本持っても、どんなに組み合わせてみても、起動しないことがなかった。
「そいつは良かった。あとは方針を決めるだけだね。まずマジカちゃんがどんな杖にしたいか希望を聞くべきなんだけど――」
お母さんも優しく微笑む。リサさんは息を呑んだように驚いていて、ネックさんも目を丸くしていた。さすが世界一の魔杖技師。どんな魔法の杖も起動させることのできない魔法使いの悩みを、たった一日たらずで解決してしまった。
私は何も関わっていないのだけど、どこか誇らしく思えてしまうのは家族だからだろうか。
今朝、リサさんに私の意地汚さを執念だと評されたけど。
成果もないのにどうしてまだ諦められずにいるのか。未練たらしくしているのか。
その答えはこの光景にある。
困っている人がいて、助けてくれる人がいる。
困っていた人が笑って、助けた人も笑っている。
私もその一員になりたい。ただただ、そんな単純な理由。
お母さんはそうやって、顧客に笑顔を贈る名人だった。
世界一の魔杖技師という肩書きに相応しいと、本気で尊敬している。
厳しくて、いじわるで、憎たらしいけど。
私は、お母さんみたいになりたいって思っちゃいけないのかな。
何度挫けて失敗して諦めかけても、夢を追いかけようと立ち上がるのは、この人たちを見てきたからだ。ずっとずっと。お仕事をしてきた姿に憧れてしまうから。
私だけ。私だけが笑顔の中に入れていない。
小さな後ろ暗さを抱えていると、お母さんは笑顔のままこちらに振り向いてきた。
「……?」
お母さんだけじゃない。顧客であるマジカと、リサさん、ネックさんも私を注視する。
「マホ、どうするんだい?」
「え、何が?」
「何が、じゃないよ。仕事を受けるかどうか、決めるのはあんただろうに」
「どうして私が決めるの?」
「話を聞いてなかったのかい。ボーッとするんじゃないよ。マジカちゃんの手元をよく見な」
お母さんが顎を向けた先にあったもの。依頼人が握っている魔法の杖のサンプル。
ん? んんん~? お母さんの仕事道具じゃない?
でも見覚えがある。というか見覚えありすぎる。
だって、彼女が手にしているのは、私がリサさんに処分するよう頼んだ今朝の失敗作で。
「これ、マホが作ったの!?」
私の失敗作たちを、彼女は大事そうに抱えて近づいてくる。
「え、う、うん、そうだけど……で、でもそれは」
「すごいすごいすごい! 今まで誰も私に合う杖を作れなかったのに、すごいよマホ!」
さっきよりも一層はしゃいで私との間を詰めてきた。
近い。近いってば。
私だって状況が飲み込めなくて戸惑ってるのに、夢見た笑顔はまだまだ遠く先にあると覚悟していたのに、突然こんな目の前に現れるなんて聞いてないし。
制作に失敗したもののはずなのに、どうしてマジカは起動させることができたのか。疑問はいろいろとあるけれど。
ずっとずっと、表舞台には立てないんじゃないかって、後ろ暗いところにしか立てないとか卑屈になっていたけど。
期待と感謝に溢れた笑顔は、私にスポットライトを当てたような温かさを感じた。
そして彼女は私の手を取り、あらためてこうお願いしてきた。
「私に、魔法の杖を作ってくれませんか?」
夢の光景がチカチカと瞬く。
魔法使いマジカの眼はまるで、星がきらめくように輝いていた。
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