第5話 変化と失意
翌日ノリスも同席しての、尋問まがいの人定確認が行われた。
行軍中の行動や言動から始まり、敵中に孤立した時の行動やらを根掘り葉掘りと事細かに聞かれたが、主上のことは話していない。
話したところで、内容のみならず頭の中身まで疑われるだけだろう。
徒歩にて帰還した事については疑いが出ていたが、押し通した。
また日数がかかりすぎている事については、森の奥深くに入り込んでいた事と不慣れな事を理由に挙げた。
ノリスが回収していたミニコアの欠片と、割れたミニコアの首飾りの断面が一致したことで一応の確認は取れたが、まだ決め手とはならない。
疑惑が残る中で決め手となったのは、俺が軍中の行動や言動のみならず幼少時の出来事や両親の馴れ初め話まで諳んじた事だ。
またノリスが軍中の行動や言動を確認したことや、幼少時の出来事・両親の馴れ初め話まで語り、その内容を両親が確認したことで”十六夜 凛”である事が保障された。
なぜ幼少時の出来事・両親の馴れ初め話までしなければならないかと言うと、ドッペルゲンガーへの対策なのだ。
このドッペルゲンガーというのは、かなり希少な魔物の一種である。
魔物だからと言ってその全てが特別強靭な身体も持つというわけではない。ドッペルゲンガー自体は特定の姿をしているわけではない。いうなれば人形みたいなものなのだ。
だが有する能力が特有で、一回だけ対象の姿形と全く同じに身体を変体・模造できるというもの。但し記憶までは完全に複写はできない。概ね十日ほど遡った短期記憶の模写が可能とされている。
また能力の発動条件自体も知られており、それは対象者の血肉を捕食するというものである。
そしてこのドッペルゲンガーが他のダンジョン勢力や敵対勢力に使われる場合、主な運用方法としては二つ考えられる。
一つは、対象の姿形を模造できることから潜入工作などに用いられることが想定される。
だが対象の姿形を模造できるからと言って、その対象の力量までは複製・転写できない上に一回限りという回数制限。
もう一つは、十日ほど遡った短期記憶の複写を用いて、重要な情報などを直接的・間接的に聞き出すというもの。
しかし、この記憶複写自体は有用なのだが、使いどころが難しい。まず約十日と言う時間的幅の制限。次いで一回のみの複写という制限。そしてドッペルゲンガー自体が希少ということから、対象者の選定や時機の見極めが難しいのだ。
それでもドッペルゲンガーゲンガーが警戒されるのは、変体する対象が子供や幼子の場合、判別が容易ではなくなるからだ。
顕著な例として、孤児に変体したドッペルゲンガーが成長して修道院で助祭をしていたという事例があるくらいなのだ。しかもこのドッペルゲンガー、最初に幼児に変体したためなのか、あまりにも長く変体していたためなのかは判らないが、自分がドッペルゲンガーであるという事が判らなかったらしい。公徳心厚く信仰心も厚い助祭として、地域での評判も名高き助祭だったという。
このような事から、特に若い者が長期に渡り行方不明で、のちにひょっこり戻ってきたなどの場合は警戒されることになる。
俺の場合も間者が成り代わっているか、ドッペルゲンガーが変体しているとでも思われたのだろう……。
しかして、人定確認が行われる運びとなり、”俺の軍中の行動や言動の確認”は間者対策として、また”幼少時の出来事・両親の馴れ初め話”はドッペルゲンガー対策に該当するという事になるのだ。
まぁ、確かに状況から疑われるのも仕方はない事だと考えておく。
さてベルザル大公国の動向も気になるが、《シャンセオン宮》の現状も気になる。当然ながら《イザヨイ宮》の勢力を、どのように盛り返していくかも考えて行かねばならない。
ベルザル大公国が、次に侵攻してくるのがいつになるのか。
侵攻先は《シャンセオン宮》か《イザヨイ宮》か。
どちらかが陥落すれば、残りは風前の灯だ。
唯一、ベルザル大公国の全戦力がダンジョン攻略に傾注されないのが僥倖か。
ベルザル大公国は、その建国当初から近隣のグラン王国と対立しており、グラン王国への備えも必要だからだ。
理由は簡単で、グラン王国の後背地を戦乱のどさくさに紛れて掠め取りベルザル大公国を打ち建てたからだ。
逆に言えば、グラン王国を圧倒してこの恒常的緊張状態の打破をするためにも、《イザヨイ宮》《シャンセオン宮》《マフラル宮》《アスワム宮》の領域を欲しているともいえる。
だからこそ、執拗にかつ長期に渡って継続的にダンジョン側へと侵攻してくるのである。
そして《イザヨイ宮》《シャンセオン宮》の一つでも崩せれば、そこから一気呵成に制圧できると踏んでいる。
この微妙な均衡状態の間隙を縫って、なんとか盛り返さねばならない。
さてはて、どうするか……。
5日ほど、休息をとり体調を整える。
その間、帰参した事の挨拶回りに費やした。
もっとも監視付きではあったが……。
その目につく監視もやっと離れたようなので、御屋形様の元へ赴き、ある事のお許しをもらいにいく。
「御屋形様、霊廟と書庫への立ち入りを致したく、そのお許可を頂きたく存じます」
「おー、凛か。霊廟と書庫か? それはまた珍しいな。いつもなら修練に励んでおるのに」
「はい、いまこの身が在るのも高祖様達ゆえにございますれば、戦地より戻りました事の報告をと思いまして。また書庫ですが、各地の文物や由来・情勢などを知っておくべきと思いましたので。お許しください」
「ふむ。わかった、いいだろう。しかし、凛よ。戦地から戻ってからというもの、その人となりが変わったという者達が多い。わしもそう思うぞ。まあ、好ましい変化ゆえ喜ばしいが。父としては戸惑いも大きいぞ」
「父上、いや。御屋形様。古来より、『士別れて三日なれば刮目して相待すべし』と申すではありませぬか。私も戦地に赴きて死線を掻い潜り、思うところが多々あったという事です」
「うむ? そ、そうか、『士別れて三日なれば刮目して相待すべし』か? あまり聞かぬ言い回しだが、言わんとしていることは解る。だが、凛よ。お前はまだ齢十四の子供。父や母を頼ってよいのだ。あまり思いつめて無理をするなよ。それと霊廟と書庫への立ち入りは、常時許すので好きにするがよい」
「はっ。ありがたきお言葉。では、これにて失礼します」
・
・
・
霊廟へ向かう道中、先ほどの会話を思い出す。
『士別れて三日なれば刮目して相待すべし』って、なんだよ?
聞いた事もない言い回しだ。
にもかかわらず意味も解り、なおかつ、さらりと淀みなく言っている自分に驚いてしまう。
主上に御会いしてからというもの、頭がやたら冴えているような気がするうえに、いままでは知らないはずのことまで知っていたりする。
例えば、海だ。《イザヨイ宮》の近辺には海は存在しない。
山向こうに海があるが、おいそれとは行けない。
また海の代わりにあるのは湖だ。この湖は籠城時などの水源として用いられることになっている。
それなのに、海を知っており塩水なのも知っている。
行ったことも見た事もないのに想像できるのだ。
そして更に驚くのは、そんな状況なのに拘わらず全く違和感がないことだ。
至って当然のこと。と受け入れてしまっている自分に驚いてしまう。
このことからも、いまでは主上に御会いしたことは現実だったのだと確信している。
違和感はないが、変化していると考えられる自分に戸惑いつつ霊廟にむかった。
霊廟で、お参りと帰参したことの報告をし、その足で書庫へと向かう。
整理されてはいるが、相変わらず埃っぽい。
あまり立ち入られてはおらず、利用されているとは思えない風情だ。
俺とて、以前というか幼少時に父上に連れられて来た以来だ。
その時から、何ら変化がないように見える。
それも当然か。普段使いで参考にする最新の報・情勢図や文書は、別途に資料室へ移されているのだ。
わざわざこの書庫まで赴いて、目的の資料なりを探し回るのも面倒ではあると容易に想像できる。
したがってこの書庫にあるのは、古い記録や文書類という事になる。
それなのに、書庫にいる。そんな自分を不思議に思う。
「……『温故知新』か……」
……?! 温故知新【昔の事をたずね研究し、新しい知識や見解、機序を導くこと】!?
まただ、聞いた事もない言い回しだ。
それでも意味も解って言っている自分に驚いてしまう。
いったい何がおきているのか。
歴代の御屋形様たちの記録、《イザヨイ宮》の建設記録・拡張記録・外交文書・当時の年次情勢報告・召喚記録・人物録・領内の各種記録などなど。
雑多な文書類・巻物類が大まかに時代別におおまかに分類されて、書庫に保管されている。
高祖夫妻の、必ず残すようにとの遺命により書庫に保管されているのだ。
実際なんのために保管するのかも判らずに、とりあえず遺命だからという理由で保管されているのが実情だ。
そんな雑多な書庫の中から、目指す書棚へとまっすぐ向かう。
まず向かったのは、高祖様夫妻の当時の記録等が整理されている棚だ。
誰がどんな戦いをしたという武勇伝やら、誰それの子が何人生まれたという出生記録やら、当初の《イザヨイ宮》の設計図案やらが雑然と置かれている。
そんな中、一際異彩を放ち、また立派に装丁されている『本』がかなりの数ある。
他の記録類が羊皮紙類での記録で巻物状だったり、ただ置いてあるのみなのに、これだけが『本』になっている。
そう、これこそ高祖様夫妻直筆の『本』だ。
そして見た瞬間、装丁が皮の『本』と認識して、中は『紙綴じ』という事まで判る。
今までは、随分と薄い特別な羊皮紙と言う認識だったのだが、いまでは『紙』だとわかる。
なぜか解らないが判るのだ。もう慣れた。
だ、大丈夫だ。なんら問題はない……と思う。
なんということだろうか?
驚愕すべき事実が判明した。
言葉にせよ、と言われれば言葉にする術がないというべきか……
以前、父上に連れられてこれが高祖様の残された記録なのだ、と見せられた時は全く読めなかった。
要所に絵図があるが、あとは全く意味不明の記号やら文字らしきものやらで、すぐに飽きたことを覚えている。
父上に、読んでもらえるかと期待したが苦笑していた事も覚えている。
つまりは父上も読めないのだ。
そんな本の筈なのだが、いまは読める。
ところどころ意味が掴みきれない箇所も散見するが、大意は判る。
いままで、誰も読めなかった高祖様夫妻直筆の本が読めている!
読める! この私にも読めるぞ!!
なんということだ! これは大丈夫ではない、大問題だ!!
あまりの事態に興奮している自分に気がつく。
そして手元に描きつけるための道具一式もないことに気が付いた。
まずは落ち着くために一旦書庫を出ることにする。
ついでに書付道具一式も持ってこよう、そうしよう。
自室に戻るべく歩きながらも、考え込んでします。
これは、主上との邂逅かいこうが契機としか考えられない。
この間まで知らないことを知っており、今まで読めなかった文書が突如読めるようになる。
その間に、替わったことと言えば主上との邂逅しかない。
確か主上は、このように仰られていた。
『言語は
高祖様夫妻直筆の本が、『日本語』で著述されていたので以前は読めなかったのだ。にも拘らず、いまは『日本語で著述されている』という事自体まで解るという事に驚く。
だ、段々慣れてきた……と思いたい。
そして、その『日本語』が読めるという事は……つまり『日本語』が理解できているという事? なのか?
……まさか能力も使えるようになっているのか?
いや、確か無意識下や夢の中でさえも日本語を使うほどに、習熟していることが必要な筈だが……。
いや、まて。
確かこうも、お仰られていた。
『いっそ、
主上のお言葉が、何度も思い起こされる。
これは早急に書庫に戻り考察しなければなるまい。
・
・
・
そして、なぜかいま剣を振っている。
書付道具をもって書庫に戻る途中、ノリスに声をかけられ稽古する事になった。
正直早く書庫に戻りたい。
あの本の内容が気になるのだが、幼少の頃から世話になっており師匠ともいえるノリスには強くは言えない。
あのとき、ノリスに投げ飛ばされていなければ今頃は首級をあげられていただろう。
自分の身を護る事、最低でも時間稼ぎが出来るくらいの腕前は必要だという事は、痛感していたので従う。
そんな事を考えながらも、ひたすらスケルトン戦士達と共に剣を振っている。
ふと思い、能力が使えるのではないか? とそっと《慧眼》と念じてみたが反応は無いようだ。
ならばと一心に剣を振りながら、輝く汗を俺だけが流している。
こうしてスケルトンは汗をかかず疲労もしないと言う事実が確認されたのだ。
そんな俺をノリスが眺めている。
「よしっ、止め! 半休憩とする」
スケルトンに休憩は必要ないが、これは俺のためだろう。
「リン様、こちらへ。」
「はい、なんでしょう師匠?」
「し、師匠?……前と同じくノリスとお呼び下さい」
「いえ、そうは参りません。教えを頂き導いてくださる以上、師匠とお呼び致します」
キッパリと言い切る。
「そ、そうですか。では教練の間のみという事で」
なぜかニヤニヤしてる。
戦士の装いでニヤニヤされても、獲物を前に獰猛な笑いを浮かべているようにしか見えないのだが。
もしくは嫌味な師が、できの悪い弟子を前にしてニヤニヤしてる様にしか見えないだろう。
うむ、全くもって構図が悪いの一言である。
そんなノリスが、《イザヨイ宮》に仕官してくれてから、かなり長い。
え~と、確かいま御歳四十二なので、十七年ほど仕えているのかな?
指揮もとれず、戦士としての腕前も一流には遠く及ばない半人前、とは本人談であり、周囲も同じ評価だ。
しかし、これは本人の調子に合わせて、敢えてそのように言っているのだと俺は思っている。
理由は簡単だ。全員が全く同じこと言うのだ。
多少の幅があるのが普通にも拘らず、全く同じ評価な上に同じ言い回しなのだ。
誰だって、おかしいと思うだろう。
加えて先の戦役でも、他の《宮》の戦士たちから「なんと?! あのノリス殿か!」と言われていたことを知っているからだ。
そして、若輩の俺の眼からみても実際に強いと思し、また指揮を取らせてもその力量は確かで実力を如何なく発揮するだろう。
なにせ、奇襲を受けてお飾りとはいえ指揮官行方不明の混乱状態から建て直して後退したくらいだ。
加えて再編後の戦闘でも、相応の戦功をあげていると聞き及んだのだから。
「んん。では、改めまして。誠に言い難い事ではあるのですが……、リン様には全く武芸の才はないと思っておりました」
「……」
「したがって戦場にて武功を挙げることは困難と判断し、せめて戦死しない程度の腕前になるよう訓練を行うつもりでした」
「……」
「ですが、さきほどの――」
そうか、武芸の才がないか。
いや、そうなんじゃないかな~って、思っていた。思っていたんだよね……。
軽くではあるが剣を振っても、槍を突いても、弓を弾いてもどうにもパッとしないのは、なんとなく自分でもわかってはいたんだ。
それでも、いつかは! なんて思っていたんだよ。
だけど、それを改めて師と仰ぐ人に言われるとなると、なにかグッと来るものがある。
心を落ち着かせるべく眼を閉じる。
「――――から、改めて行う事にしました。ゆえに……あのリン様、聞いておられますか?」
「え? あ、はい。聞いております」
確か、戦死しないための訓練に切り替えるとかなんとか……ま、当然か。
「では本日の修練は、これまでとします。リン様には、まず体力作りと心肺機能の強化をしてもらいます。時間のあるときで構いませんので、《宮》内を最低でも半刻以上は早歩きで巡ってください。折を見て、型稽古と流れ稽古を始めていきます」
「はい。わかりました」
戦死しないための訓練。つまりは逃げる事も視野にいれておけと言う事か。
ここで、いきなり走ってこい! と言わずに、早歩きで身体を慣らせというあたり、さすがはノリスというべきだろう。
翌朝、気合を入れて《宮》の外周に添って一周しようとして、朝餉あさげを取り損ねた凛であった。
考えてみれば当然で、ダンジョン外周に添って一周しようなど無謀。
朝の時間だけで巡り切れないほどには、ダンジョンは大きいのであった。
後ほど両親のみならずノリスからも、気合いの入れどころが違いますよ? と窘められてしまった。
この日を境にして、朝と夕に宮内を歩き回る凛の姿が、毎日見られるようになった。
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