二話 ジジイ、少女についていく
「はっ」
男が目を覚まし、咄嗟に顔を上げる。気絶という行為はここ数十年無縁のものであった。どんなときであれ数秒でも意識を失えば死ぬからである。もちろん今までの環境であれば、の話ではあった。
「あっ……大丈夫、ですか……?」
「どれほど気を失っていた?」
隣で心配そうに自分を見つめていた少女に尋ねる。数十年人と話してない割にはスムーズに言葉が出るものだなとまるで他人事のように思った。
「えっ……と、数秒くらい……?」
そうか、と短く答える。まさか自分が気を失う、などということが起こるとは思っていなかった。数百体のドラゴンに囲まれ数日ほど逃走を続けた時も、天地覆う巨大なワームに体当たりされたときも、気を失うことなどなかった。勿論そうなれば死んでいるから、ではあるのだが。
つまり、この非常食はそのすべての状況を超える異常性を秘めているということだ。
「ハッ……流石は楽園といったところか……」
少女はそうですねと曖昧な笑みを浮かべている。だが、今の男には不審そうにしている少女などどうでも良かった。ただ、目の前のこの美味しすぎる食事に思考を支配されていた。
「これほど美味いもの、食べたことがない。楽園ではこのような食事が当たり前なのか?」
「楽園が何かはちょっとよくわからないんですけど……」
どうやら少女には自分が楽園に住んでいるという自覚がないらしい。そういうものか、と男はひとまず納得する。
「これ……そもそも美味しくないですよ?不味いとは言いませんけど、別に好んで食べたくはない、そんな味です」
少女が続けて答えた内容は、男の耳を疑う内容だった。
好んで食べるほどではない。これが?男はまじまじと四角いその食事を見つめる。
おそるおそる、もう一度齧る。今度はちびっとだけ。別に怖いわけではない、もう一度気絶したら困るだけだと男は心の中で無駄な言い訳をした。
噛み、口の中に入れた瞬間広がるほろ苦さ。若干の酸味。えぐみ。だがその中に隠された謎の、脳を刺激する心地よい味。
美味すぎる。ダンジョンに潜る以前、男は割とグルメだった。好んでウェルウルフと呼ばれる肉質がいい魔物を食していたし、食事のバランスを考えて主に木と人間に寄生するヒトノコキノコなども積極的に食った。流石に人に生えてるものは食べなかったが。
それらをすべて超越する味だった。特に酸味、苦味、えぐみ以外に感じるこの心地よい味が気に入っていた。これは生まれてから一度も感じたことのない味だった。
「うまい……美味すぎるぞ……今まで食べたどの魔物よりも美味い」
「魔物をッ……食べる……?」
少女の顔と声が引き攣った。何かおかしなことを言っただろうか、と男は自問する。
「なんだ?何がおかしい。そもそも魔物以外に食べるものなどあるまい」
「いっ、いやいやいやいや!」
少女がぶんぶんと腕を振って否定する。
「絶対そんなことないですし、それに魔物なんて普通食べられませんよ!?魔物はめちゃくちゃ不味いって有名な話じゃないですか!」
少女が化け物を見るかのような目で見つめてくる。が、そんなことはどうでも良かった。
魔物以外の食事があるとは。男は完全に常識を覆された。楽園、やはり我々の世界とは全く異なる場所らしい。
何より、魔物はめちゃくちゃ不味いらしい。ダンジョン以前グルメを名乗っていた男は割と自尊心を傷つけられた気分だったが、ちびちびと非常食を齧り機嫌を取り戻す。
「楽園……測りきれんな……」
「えーっと……あはは……あ!忘れてた!」
少女が急にハッと気が付いたようなそぶりを見せる。
「自己紹介!お互いにやりましょう!」
男もハッとする。なにぶん人と話すのがあまりにも久しぶりすぎて、自己紹介というものが完全に頭から抜けていた。
「私は
少女が堂々と名乗る。ランクというのは聞き覚えがないが、ふんすと胸を張る少女の様からしてどうやら誇れるようなものらしい。
「アルトリウス。アルとでも呼べ。歳は……まあ大体75くらいだろう。ランクなどは知らん」
えっ、と少女の顔がまた引き攣る。表情の忙しいやつだと男はある種の感心をした。
「ランクを知らない……?えっ、あのっ、組合には参加してらっしゃいますよね……?」
「組合?なんのことだかわからん。ともかく、俺にランクなどはないぞ」
少女の顔が今度は青ざめていく。本当に多彩な表情をするなと、男は面白そうに少女の顔を見つめる。
「まさか違法探索者……?いやでも私を助けてくれたし、それにこんなに強そうな人が違法探索者なんてあり得る……?」
花蓮とやらがぶつぶつと何事かを呟く。
アルはそれを無視して、半分以上無くなった非常食を悲しそうに見つめていた。
どうして食うと無くなるのだろう、と無意味なことを思いながらひたすら非常食をちびちびと齧る。何度齧っても非常食はやっぱりありえないくらい美味かった。
「……よし!アルさん!」
「ン?」
花蓮が意を決したように話しかけてくる。その目には覚悟が満ち溢れていた。
「一緒に地上に行きましょう!私も頑張ってアルさんを守ります!きっと組合の方も話せばわかってくれるはずです!」
「うん……?うん……」
この少女は何を言っているのだろうか。そもそもこれに守られるほど俺は弱くないが。アルの中に疑念が渦巻く。
「なんとかなったら……地上で美味しいものいっぱいご馳走しますね!」
「無論着いていこう」
最初から目的地は地上だったのだ。1人同行者が増えたところで何も変わるまい。なに、俺がこの子を守ってやらんとまた襲われてしまうだろう。アルは深い情けを待って少女についていくことを決めた。
食事に釣られたわけではない。決して。
「そうと決まれば急いで外に出ましょう!善は急げと言いますから!」
「うむ」
張り切って花蓮が立ち上がる。そしてまた何かに気が付いたようなハッとした表情をし、そしてみるみる青ざめていく。
「どうした?」
「は…………」
なんだというのか。明らかに不味い状況だと言わんばかりの花蓮を見て、魔物の気配を探る。だが、近くに魔物は一匹もいない。そもそも花蓮に自分より優れた探索能力があるとは思えない。
つまり、魔物関係の危機ではないということだ。
「配信ッ……切り忘れてたぁっ……」
花蓮が頭を抱えて座り込む。だが、アルには少女がなぜ青ざめているのか全く理解できていなかった。
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