第16話 白狼の求愛

 夜中にリースに戻った俺は、宿の自分の部屋でロイネと合流した。ロイネは俺の姿を見るなり、安堵したような息をついた。俺もロイネの顔を見てほっとした。彼女が俺を探してウロウロしていないか気がかりだったんだ。


「オルト、怪我はない?」

「大丈夫、心配かけてごめん」

「まぁ大丈夫だとは思ってたけど、帰りが遅いから少し心配しちゃった。ごめんね、先に帰って」

「いや、戻っててくれて良かったよ」


 さすがに疲れた。今からロイネを探して走り回ることにならなくて良かった。


「で、どうだった?  さらわれた人たちは?」

「……ああ」


 俺は一拍置いてから、廃墟での出来事を話した。

 獣人狩りとの戦闘、人質が刺されたこと、獣人狩り4人をグレイシアが倒し、最後の1人を俺が不意打ちで倒したこと。その時、メイスで男の腕をちぎり飛ばしたこと。最後にグレイシアが躊躇なく止めを刺したこと、それら全てを話した。


「正直、俺に対人戦は無理だと思ってた。でもそんなこと言ってられない状況だったんだ」

「初めての対人戦なんてそんなものよ。対人戦は無理って言ってる冒険者はけっこういるけど、この仕事してたら、どこかで巻き込まれちゃうもんだしね」


 ロイネが俺を気遣って、優しい声で話してくれているのがわかる。


「それは覚悟してた。俺なりに。でも、まさか初戦で命を奪うことになるとは思ってなかった」

「オルトがとどめを刺したわけじゃないよね?」

「あいつにとどめを刺したのはグレイシアたけど、俺の攻撃だけでも……きっと死んでた」


 ロイネは静かに頷いた。そして言葉を選ぶようにゆっくりと言った。


「そうね……頑張ったね……一つ壁を越えたね」

「……壁……か」


 俺の中で引っかかってるのは、人を殺したという罪悪感ではなく、あの時のメイスの感触と、腕がちぎれ飛んだ光景に対する「不快感」が先立ったこと。罪悪感がないわけじゃない。人を殺してしまったという罪の意識はある。だけど、それよりも不快感が上回ってしまっていることに違和感がある。

 その違和感は、罪悪感が少ない自分に罪悪感を感じるという変な状況からだろう。前向きに考えると、この世界の価値観に適応してきたとも考えられるけど……それでいいのか?


 悩む俺の肩にロイネが手を置いた。


「ほとんどの人が、人を殺すことに抵抗があるわ。その抵抗が無い人は異常よ。でも、悪人は殺さないと被害が増える。だから、慣れるしかないのよ。罪を重ねる悪人は魔物より危険だからね。慣れるしかないの」


 ロイネの言葉は、この世界の厳しさ、そして冒険者としての「常識」だ。俺は、その価値観を受け入れつつあるんだろう。元の世界ではありえない話だ。まぁ日本の人権意識は過剰すぎて、悪人の人権までやたらとアピールするから、あれはあれで異常なんだけどな。

 それはともかく、今、俺が生きている世界はここだ。この世界で冒険者を続けるのなら、この世界の価値観に慣れていくことは必要なことだろう。簡単に割り切れるものではないけど、悩みながらも適応して生きていくしかない。


「ところで、オルトはあの獣人の足に最後までついていけたの?」


 ロイネが話題を変えるためか、明るい声で聞いてきた。


「ああ、そこは問題なかった。目的地に着いた時は、俺よりグレイシアのほうが疲れてたように見えたな」

「凄いね! 犬科の獣人は獣人の中でも滅茶苦茶走れる種族なのに」

「そうなんだ! 俺の体力凄いな。でも流石に疲れた」

「そかー、あの人より走れたのかー……」


 ん? なんか意味深な言い方だな。


「どうかした?」

「ううん、なんでもない。それよりも、今日はもう寝ましょ。疲れたでしょ?」

「そうだな。もう俺は、走るだけじゃ疲れない体になってると思ってたんだけど、今日はさすがに走りすぎた。ヘトヘトだ」

「そうね、私もよ。もう遅いし寝ましょ。起きてると変なことばっかり考えるでしょ」


 ロイネがそう言ってベッドにコロンと転がる。


「お疲れの所、申し訳ありませんが、癒やしの加護をお願いしてもいいでしょうか?」


 そんな風に可愛らしくお願いされたら断れない。どんな状況だろうと断る気なんてないけどね。


「あいよ」


 ロイネの肩に触れ、癒しの加護を付与する。


「おやすみ」

「おやすみ」


 ロイネがすぐに寝息を立て始める。その顔をみてもう一度、安堵の溜め息を吐き出す。

 温泉に入りたかったが、今日はこのまま寝よう。ロイネの言う通り、起きてても余計なことを考え続けるだけだしな。

 俺も横になりすぐに意識を手放した。






 翌朝、朝風呂を済ませて宿を出る。その時だった。


「オルト!」


 聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのは美しき獣人グレイシアだった。

 彼女はまっすぐに俺に駆け寄ってくると、俺の目の前ではっきりと告げた。


「恩を返しに来た。今から私はお前のものだ」

「……え、ええ?」


 俺は困惑し、言葉を失った。俺の隣でロイネが頭を抱えている。何か知ってるのか?


「えっと、どういうこと?」

「白狼族の女は、自分より走れる男を伴侶とすることに執着する。私はそういう男に助けられた。ならば一生の愛を誓うのは当然のことだ」


 グレイシアは淡々と、そして一切の迷いなく言った。


「えーっと、それはいったい……」

「私は白狼族の中でも優れた戦士だ。だから、今まで私より早く遠くへ男に出会えなかった。お前が初めてだ。ふふ、私にもこんな感情があるとは、自分でも驚いてる」


 グレイシアの青い瞳が、まっすぐに俺を見つめる。表情が少ないと思っていたグレイシアが、美しく笑う。


「えーっと……」


 どう反応していいのか、言葉が出ない。


「難しく考えなくていい。私はお前のものだ。お前の武器にも女にもなろう。既にこの女(ロイネ)がいるようだが、私は2番目でも問題ない。お前と行動を共にし恩を返す」


 言葉を選ばないグレイシアのストレートな感情表現に、ロイネが動揺し、口をパクパクとさせている。もちろん俺も動揺真っ最中だ。

 そんな様子を気にした様子もなく、グレイシアがさらに畳み掛ける。


「一つ頼みがある」

「な、なんでしょう?」

「私はオルトの子がほしい。そして子ができたら、離れて暮らすことを許してほしい」

「こ、子が欲しいって……ちょっと話が飛躍しすぎじゃない? そういうのはもっと互いに知り合って、お互いを好きになってからだよね?」


 何とか自分を落ち着かせようと言葉を搾り出す。


「私はお前が好きだ。愛している。この気持ちは本能から湧き出すものだ。だからオルトの子が欲しい。だが、オルトが私を好きじゃないなら、無理にとは言わない。好きになってもらえるように努力しよう」


 グレイシアの推しの強さは、その真っ直ぐさと純粋さで拒否を許さなかった。例え拒絶しても、俺に付き従うという強い意志が見えた。そして俺はそんな真っ直ぐな思いを拒絶する事ができない。


「ロ、ロイネ、どうしたらいいんだ?」


 ロイネに助けを求める。


「はぁ……こんな事になるような予感がしてたんだよね」


 ロイネが天を仰いで、大きなため息を漏らす。


「白狼族の習性、知ってたの?」

「ちょっとだけね」

「どうしよ」

「それは……オルトが決める事でしょ」

「オルトが何を言おうと、私は一緒に行くぞ」


 なんかややこしい事になってきた! こんな綺麗な獣人に好かれるのは光栄だと思うけど、ロイネとの二人旅も失いたくない楽しい時間だ。


「悩む必要はない。まずは私を武器として使え。必ず役に立って見せる。町で迷惑をかけるつもりもない。別行動でいい。オルトが町を出る時、すぐに合流する」


 そう言って俺の手を取り、小さな竹の笛を押し付けた。


「私が必要な時は、これを吹いてくれ。すぐに駆けつける」


 そう言って俺に近づき、首筋をベロンと舐め、クンクンと匂いを嗅いだ。


「愛するものよ、私はお前のものだ」


 グレイシアはその言葉と美しい笑顔を残し、あっさりと立ち去った。


「はぁ……」


 ロイネの何度目かわからないため息が聞こえてくる。


「モテモテですねぇ、オルトさん」


 ロイネが俺を笑いながら睨む。それ、どう言う感情?


「こんな事ってあるの?」

「知らないわよ」


 ロイネがプイッとそっぽを向く。


 グレイシアに対する差別感情……には見えない。ってことは、もしかして……やきもち? 

 ロイネ、もしかして俺を男として見てた? もしそうだとしたら、これが世に言うモテ期到来ってやつ?

 どうしよ、どうする? 問題は色恋沙汰だけじゃない。多分この国では、獣人は差別対象だ。その獣人を付き従わせるのってどうなの? そこんとこ教えてもらいたいのに、ロイネが不機嫌になっちゃったよ!

 何この状況。悩みが増えちゃったよ! これからどうなるんだ? 何が正解なんだ?

 ロイネさん、早く機嫌直して相談に乗ってください!


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