第12話 温泉の町リース

 硫黄の匂いが鼻をくすぐる。遠くに見える山々からは湯煙が立ち上り、あたりには独特の熱気が漂っていた。この感じ、なんだか懐かしい。前世で別府温泉に行った時のことを思い出すな。湯治客らしき人々がゆったりと歩く姿を見て、俺は思わずロイネに言った。


「きて良かった。なんかいいね、この町」


 俺の言葉に、ロイネも満足そうに頷く。ドンカセでドルトンメイスのドルトンさんが、ギックリ腰の治療のために温泉に行ったって話を聞いた時から、ここに来たいと思ってたんだよね。


「そうね、なかなかいい雰囲気ね」


 リースは、ドンカセのような賑やかさはないが、落ち着いていて、どこか神聖な空気さえ感じる。温泉が湧くこの土地は、きっと古くから人々にとって大切な場所だったのだろう。町並みもきれいに整備されており、小さな町ながらも、騎士団の駐屯地まである。


「ここでは目立たないようにしよう」


 俺たちは顔を見合わせて、小さく頷いた。ドンカセでは目立ちすぎたからな。騎士団の駐屯地がある場所で目立つのは避けたい。


 町に入り、まずは宿を探すことにした。しかし、人気の温泉地だけあって、どこも空き部屋がない。何度か断られ、宿探しにウロウロしていると、見慣れない町並みに、気になる存在が現れた。

 筋骨隆々で白髪の大男が、町の中をヨロヨロと走っている。鍛え上げられた体は現役の冒険者といった感じだが、その顔はとても苦しそうだ。痛みに悶えているように見える。俺はすぐにピンと来た。


「ドルトンだ!」

「きっとそうだね!」


 ドンカセのギルドで聞いてた通りの容姿だ。


 俺は思わず駆け寄って、声をかけた。


「あの、ドルトンさんですか?」


 男は振り返り、訝しげな表情を浮かべる。


「あんたは?」


 俺は状況を説明した。遺跡のダンジョンが開通し、防衛システムが止められて、ロックゴーレムが復活しなくなったこと、そして、ドルトンのメイスを使わせてもらったことを伝えた。そして、もう焦る必要がないので、無理をしないようにと伝えた。本当にギックリ腰なら、無理しても悪化する可能性があるから。


 俺の話しを聞いている間も、ドルトンは痛そうに顔を歪め、話の途中で通りのベンチに移動し座る。


「お前が、俺のメイスを……ランクは?」


 辛そうな表情で、聞いてくる。


「あ、自己紹介が遅れました。俺はオルトといいます。Cランクです」


 ギルドカードを見せて名乗る。それを見たドルトンが、ため息を漏らす。


「あと少しだったのに、お前に美味しいところを持っていかれたってことか」

「すみません。でも、俺は最後のちょっとで参加しただけなので、ドルトンさんへの報酬はちゃんと準備してあるみたいですよ」


 そこはドンカセのギルドで確認した。報酬がすごかったから、人の功績を横取りしたみたいになってないか、気になって聞いたんだ。


「わかってる。最後まで役目を果たしたかっただけだ。だが、この通り、ひとつも良くならなくてな。お前らには感謝しないとな。ありがとよ」


 ドルトンが軽く頭を下げる。だけど、その軽い前傾だけでも痛そうだ。


「気にしないでください。それよりも、ドルトンさんのその腰の痛み、辛そうですね」

「ああ、辛いな。もう俺は、冒険者には戻れないかもな」


 そういいながら腰をさする。本当に辛そうに見える。ギックリ腰はこの回復魔法がある世界でも、なかなかに厄介な病気らしく、回復魔法で一時的に痛みが消えても、またすぐに再発してしまうらしい。

 俺の知ってるギックリ腰とそっくりだ。何度も繰り返す人っているもんな。回復魔法で治療できても、ギックリ腰になる癖がついたって感じなのかも。


「あの、俺、少しだけ、それの治療法を知ってるんですが……」

「ほんとうか?!」


 ドルトンが鋭い目を俺に向ける。真偽を疑う目だ。


「オルト……」

「ごめん、放っておけない」


 俺の意図を察したロイネが、心配そうに呟くが、ドルトンさんの辛そうな様子をみてると、何もせずに立ち去ることはできなかった。




 腰が悪くなった経緯を尋ねながら、ドルトンの宿泊している宿へと向かい、ベッドで横になってもらう。


「何をするんだ?」


 きっとドルトンさんは、早く良くなろうと頑張って運動して、逆に長引いてるケースだ。ギックリ腰の急性期は安静が重要なんだけど、早くドンカセに戻らないとって焦りもあったんだろう。


「先ほどお伝えしたように、焦る必要はなくなったので、安静にしてもらいます」

「安静? 動くなってことか」

「はい、ギックリ腰は強い痛みが引くまで安静にしておくことが重要です」

「それだけ?」

「いえ、スキルを使います」

「回復スキルが使えるのか?」

「はい、癒やしの加護が使えます」

「癒やしかよ。そんなので治るわけないだろ」


 ドルトンががっかりした表情を見せる。


「癒やしの加護はオマケだと考えてください。安静が重要なんです。とにかく、痛みが引くまで安静です」

「こんな昼間っから寝てろってか」

「大丈夫です。きっと眠たくなりますよ」


 何度も使ってきたから分かる。癒やしの加護には寝付きを良くする効果もある。ロイネは俺の癒やしの加護を受けたあと、あっという間に寝る。俺自信も、この世界に来てから、疲れてさえいれば寝付きがとてもいい。3時間で目が覚めるけど。


「まぁいい。良くなるならなんだっていい。やってくれ」


 藁にも縋るって感じだな。正直、絶対に治るって自信があるわけじゃないけど、安静にして癒やしの加護で、自然治癒力を高めれば、少しは改善するんじゃないかな。突然ピキッときて痛くなったと言う経緯、何をしても痛い、腰が固まった用に感じるって症状から考えても、俺の知ってるギックリ腰の可能性が高いから、まずは痛みが落ち着くまで安静って判断は間違ってないはずだ。


「ゆっくり、呼吸をしながら、気持ちを落ち着かせてください。癒やしの加護を使います。たぶん眠くなります」


 痛みを耐えるのに疲労してるっぽいから、すぐに眠れるはずだ。俺は、ドルトンの肩に触れ、癒やしの加護を使った。


「あ……眠く……なって……きた」


 ドルトンが、そう呟き、少ししたら寝息を立て始めた。昼間の明るさのなかでは、癒やしの加護のによる、弱い光は見えない。でも、この寝付きの良さから考えても、効果がちゃんと出てるのが分かる。


「オルトってお人好しね。ほっといても良かったのに」

「ごめん」

「まぁこうなるとはなんとなく感じてたけどね。それよりも、今の知識はなに? もしかして記憶が戻ったの?」

「そういえば……なんでだろ」

「本当の名前は?」


 俺の本当の名前は……なんだろ? 首をかしげる。


「それは思い出せないんだ」

「そうみたい」

「転移トラップの記憶障害は、記憶の一部を、転移する前の場所に置き忘れてきたみたいになるって言うから、そういうもんなのかもね」

「置き忘れる……か。だったら置き忘れた場所に行けば取り戻せるのかな」

「それはあるかも。記憶障害になった人は、あちこち旅すると記憶が戻ることがあるって言うしね」

「そっか、じゃぁあちこち旅をしないとね」


 まぁ日本に行くことは無理だと思うけど、旅はしてみたいからちょうどいいな。


「で、これからどうする?」

「とりあえず、この宿の空き部屋でも確認してみよっか」

「あ、ここはまだ聞いてなかったね」




 良いことをしたから、運が回ってきたのか、今日チェックアウトがあるとのことで、部屋を確保することができた。

 俺とロイネは荷物を預けて町を散策し、時間を潰し、夕食を取って、それぞれ宿の温泉へと向かった。


「ふぅ……最高!」


 広い風呂に浸かり、手足を伸ばす。この世界には高級な宿にしか風呂がなく、あっても窮屈なものがほとんどらしい。だからこれは本当に贅沢な風呂だ。匂いもいい。温泉にも色々あるのはしってるけど、この硫黄の匂いは、まさに温泉って感じで好きなんだよね。


「あぁ……」


 この温泉に入ると漏れる吐息ってなんなんだろ。出そうと思ってないのに出る。


 ドタドタドタドタドタ


 穏やかな温泉の雰囲気に似合わない、騒がしい足音が近づいてくる。そして、入口から大男が現れる。温泉に入っていた人達の目が、その大男、ドルトンに集まる。


「オルト、ありがとー!」


 ドルトンが、服も脱がずに温泉に飛び込み、俺に抱きついてきた。それは俺の人生で最も強烈で、転生前の俺なら圧死していたかもしれない、まるで攻撃のような包容だった。


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