彼の決意
街では、もう噂では済まされない空気が流れていた。
「皇太子が姿を消してから、もう一か月以上だって……」
「国内外の貴族の間で、継承権を巡る駆け引きが始まってるらしいよ」
「まさか誘拐じゃ……」
「いや、駆け落ちって話も……女と逃げたっていう噂もあるぞ?」
雑貨屋の客足はむしろ増えていた。レオン目当てでやってくる近所の婦人たちや娘たちが、何かと話をしていきたがる。
──ミナの心は、穏やかではなかった。
レオンは変わらず誠実に働き、笑顔を見せてくれる。
けれどその笑顔の裏に、確かにある“何か”が見えてしまう。
苦悩。責任。決断。
夜、帳が落ちたころ。
「……ミナさん、今日は先に休んでください。僕は少し残って帳簿を見ますので」
「……うん」
気づかぬふりをして階段を上がる。
けれど──
その夜、ミナは物音に気づき、静かに階段を下りた。
戸口近くの机の上、ロウソクの明かりの中で、レオンが一通の手紙を書いていた。
筆は滑らかに走っていたが、その背中は寂しげで、覚悟に満ちていた。
ミナは声をかけられなかった。ただ、その姿を胸に刻んだ。
──翌日。
朝の空気が少しひんやりとしていた。市場に向かう準備をしていたミナが、ふと通りの先に違和感を覚えた。
「……あれは……?」
金と白の装束を身に纏った、二人の衛兵が雑貨屋に向かって歩いてきていた。
その鎧には、王家の紋章──「双翼の銀獅子」が燦然と輝いている。
店の前に立ち止まると、一人が高らかに告げた。
「この家に、“レオン”と名乗る青年はおられますか!」
ミナの心臓が強く跳ねた。
戸の向こうから現れたレオンは、驚くでも、慌てるでもなく、静かに歩み出た。
「……私です」
その堂々とした姿に、ミナは息を呑んだ。
衛兵たちは互いに頷きあい、膝をついた。
「皇太子殿下──ようやく、お戻りになるおつもりかと……!」
ミナの世界が、ぐらりと揺れる。
(ああ……本当に、この人は……)
レオンは静かに微笑み、振り返って、ミナを見つめた。
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