7.一心二葉

第26話 一心二葉①


 涼やかな風が、境内の樹々を揺らして抜けてゆく。

 高い樹々に囲まれた鹿ろくりんが、夜闇に沈むのは周辺よりも一足早い。完全に日が傾いたのも相まって、現在視界に映る全ては、すっかりと明度を落としていた。

 そんな庭先。

 灰緑の作務衣に身を包んだ住職――龍円の父、ぜんえんは、ふっと鼻先をかすめた冷たい匂いに、手にしていた刈込ばさみを腰より下におろした。

 彼の背後から、ざっ、ざっ、ざざっと、近付いてくる二つの足音がある。善円は目を細め、その気配を探った。

 そして、眉根を潜める。

「――どないしたんや、龍円」

 善円の前に姿を現したのは、自らの息子と、それからもう一人、息子と同世代と思しき、高校の制服をまとった女子だった。

 龍円と、村岡である。

「父さん、あの、ちょっと相談というか話が――」

 と言いかけたものを、善円は空の手を上げて遮った。そして、じっと村岡に目を向ける。

「『こうの会』の中枢ともあろう方が、一体どこで、うちの愚息と知り合われたんですか」

 龍円は、父が見せる初めての警戒と嫌悪に、ぐっと固まった。

 父は、何時いかなる時も、人によって態度を変えることのない人間である。そんな父が、真っ直ぐに村岡を見据えて、彼女を許容しかねる存在と見なしていた。

 村岡は善円の目をじっと見かえし、静かに頭を下げた。

 さらりと音を立てて、村岡の背中から長い黒髪が零れ落ちる。

村岡むらおか咲笑えみと申します。御子息とは同じ学校に通わせていただいております。倖華はもう解散しておりますが、御不快に思われることは承知の上で、どうか話を聞いていただけませんでしょうか」

 善円の目からは鋭さが取れない。

「貴女の姓はたまやと聞いておりますが」

「母の籍からは外れましたので」

「形だけ変えても無意味やろう。――まあ、貴女自身に咎や悪意があったわけやないのはわかっております。お話伺いましょう。龍円、本堂に」

「父さん」

「母さんには、聞かせんほうがええ。意味は、わかるやろ」

 父には話す前から見抜かれているのだ、ということは理解した。そして、龍円の抱えているものが周囲に害を及ぼしかねないということも、それから――龍円ですら知らない村岡のことを、何故か父が知っているということも。

 本堂へ爪先を向けてから、「あ」と父が肩ごしに振り返った。

「すいませんが、髪はまとめて下さい。失礼だが、うちの敷地の中に残さんといてもらえるとありがたいです」

「わかりました」

 村岡はブレザーの胸ポケットから、しゅるりと大きなハンカチを取りだし、それで長いロングヘアを一息にまとめて額の上で布の端を、ぎゅっとしばった。

「えっ、それでこの量の髪まとまるんですか」

 目を丸くした竜円に、村岡は片笑んだ。

「積年の習慣だ」



 父の先導で通された本堂は、龍円にとって着なれた服に等しい。

 当たり前のように、まずは本尊である阿弥陀様と、脇侍である観音様と勢至様にお参りする。龍円に続いて村岡がそうするのを、父は背後からじっと見つめていた。

「そういうことは、他宗に対してされるんですね」

 合掌を解いた村岡は、半身で振り返ると、善円に向かって淋し気に微笑んで見せた。

 父は、瞼を伏せ、溜息を吐いた。

「話には聞いておりましたが、貴女自身は倖華に対して思い入れはないわけですか」

「――倖華が蒔いたものを始末する責任は、あると思っています」

「今息子が抱えているらしいものも、その一環だと?」

「いえ。これは別です」

「ほな、なんで首を突っこんではるんや」

 村岡は善円に正対し、真っ直ぐに背筋を伸ばした。

「力と知恵のあるものは、その奮いどころを選べる。――倖華の教えの中で、唯一頷けた箇所です。私は自分の力の使いどころを選んだだけです」

「それもまた執着の残滓でしょうに――いいでしょう。こちらへ」

 善円は本堂の隅に寄せてあったパイプ椅子を三脚引き出し、堂内の半ばに設置した。

 三人腰を下ろす。どこかでがたがたと音がした。

「早速ですが、こちらを」

 村岡がカバンから取り出し善円に差し出したのは、PCにまとめられていたデータを紙に出力したものだった。

「失礼」

 善円はプリントを受け取り膝の上におくと、ポケットから眼鏡を取り出してかけた。

 目が文字を追う以外、父に大きな動きは見られない。思い出したように、ぺらり、それからしばらくしてまたぺらり、と、次の用紙に移ってゆく。

 十分も立たないうちに、父は書類を読み切ると、眉間に皺を寄せながら眼鏡の下に指を突っこみ目頭を揉みほぐした。

「こんなことに……」

 吐き出される溜息が重い。父は、目元を押さえていた手を膝に下ろし、ぎろりと目を龍円へ向けた。

「村岡さん、でしたか」

「はい」

「まず今、息子はどういった状態なんでしょうか」

「非常に危険だと。この『甲子園の魔物』と思しきもの、そのものに憑かれているのが空也さんですが、ご子息は、そこに繋げられてしまっている状態です。非常に太い道がついています」

「斉藤君がハブになっているということか」

「ご明察です」

「斉藤君自身の状態は」

「タイムリミットは、やはり来週、五月一日かと」

「――そうですか」

「あと、これは連鎖して発生してしまっている問題ですが、ご子息は怨嗟や霊が見える状態になってしまっています。だから、のべつまくなしに連中にちょっかいを掛けられています」

「お前……」

 父は眉間の皺を更に深くしつつ、五分刈りの頭をざらりと撫でた。

 しばらく、重い無言が堂内を満たした。やがて、父は「わかりました」と低く呟くと、パイプ椅子から立ち上がり、手にしていたプリントを座面に置いた。

「二人とも、こっちへついてきてください。見せたいものがある」

 父に従い、本尊の裏に回る。

 裏側には壁に沿って腰高の棚が作りつけてある。善円は床に膝をつくと、その一つの戸を引いた。

 中に手を入れて、一つの大きなをはこ引き出す。随分と古い物だ。

 龍円と村岡が黙って見守る中、善円は白い組紐を解き、二人に向けて「落ち着いて観るように」と告げてから、かぱりと蓋を開けた。

「はっ⁉」

 龍円の口から我知らず大きな声が洩れる。隣で村岡がびくりとするのが見えた。

「わかるか、龍」

 こくりと頷きながら、龍円は村岡に目を向けた。

「これです、オレが夢で見た壺です……生首が入れられとった」

 村岡は息を飲んで壺を見下ろす。てらりと緑の釉薬で一部表を彩ったその葉茶壺には、先だって龍円が話したとおり、四つのちいさな把手がついていた。四耳壺である。

「ご住職」

 険しい声で呼ばわる村岡に、善円はゆっくりと頷いて見せた。

「故あって、当寺でお預かりしてきたものになります。由来は随分と古いものになります」

 父は、再び元のように蓋をすると、組紐を締め直し、棚に戻した。

「あまり目にも触れさせんほうがええでしょう。村岡さんには、特にキツイんと違いますか」

「――はい。お気遣い、ありがとうございます」

「先輩」

 村岡へ目を向けて、龍円は初めて気付いた。村岡の頬に、つるりと汗が滴っている。

「これは、因果と怨嗟の煮凝りだ。全く、よく何も起こさずに今までやってこられましたね」

「血筋、というものでしょうな。さっき貴女が仰ったように、当寺にも、蒔いたものを始末する責任がある。――抑えきれていなかったわけですが」

 善円は、立ち上がり、二人を元の場所へと促した。

 椅子に腰を下ろし、善円は目をつむって天井を見上げた。

「――これは、江戸中期のことになります。若い人間に好んで聞かせたい話ではありませんが、致し方ない。当時この鹿鈴寺には、竜円という名の若い僧がおりました」

「竜円……」

 龍円が、わずかばかり上半身を固くする。

「竜円は近くの村の出やった。まだ幼いころに不作が続いたこともあり、助けを乞う形で、この寺に預けられることになった。この時、竜円と共に同じ村の子供がもう一人寺に預けられている。名を、りん、と」

 龍円と村岡の背筋に、びしりと冷たいものが走った。


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