第23話 山怪③
初対面の日も、こうやって自分達は自転車で連れ立って帰宅の途についたのだったということを、ふと龍円は思い出した。
先日は左右二手に分かれた十字路を、今日は村岡の帰路に従い同行する。
横断歩道を渡ったあと、同じ道をゆく菰野岩の学生の姿はがくんと減った。それもそのはず。村岡が向かう方角は、近年開発が進んでいる、いわゆる分譲地エリアとは真逆に当たる。
黙ったままついてゆくと、村岡はついと左手の小道に折れた。車一台すら通れるのか怪しいくらいの、高い壁に挟まれた道だ。
しばらく行くと、間もなく古びた低層団地が立ち並ぶ区画に入った。
村岡の隣に並びながら、なぜか腹の底からざわざわとするのを感じる。ちらちらと建物に目をやれば、元は入り口だったのだろう、階段部分の一階は、ベニヤ板で囲われ封鎖されていた。
龍円の視線がそこへ向いていることを感じとったらしい。村岡が「気になるか?」と笑った。
「ああ、今こうなっとるんやと思って」
「ほぼほぼ空き家状態だからな。不法侵入する奴等がいるから、ああしてバリケードを作らざるを得ない。まったく、スラムじゃあるまいに」
「空き家なんですね」
「どこの窓もカーテンがかかってないだろう」
「ああ、はいそうですね。あ、建物の反対側の空が見えてる」
「中にいちゃいけないヤツがいるかどうか、これで一発で見えるだろう?」
「なるほどそういう……隠れられたら困るからか」
と言いつつ、龍円が団地の窓を見回していると、ふと視線を感じた。
瞬いた次の瞬間、吸い寄せられるようにして、窓の一つに視線が向かった。もう一度瞬く。すると、そこからこちらを見下ろしている、二人の子供の顔があった。
「あっ、でも村岡先輩。ここ完全に全部空き家になっとるわけやないんですね?」
「ん?」
「だって、ほら、中に子供が――」
窓を指し示そうと右手を持ちあげようとしたとたん、がっと手首が握られた。
「うえ」
龍円の手首を掴む手に、ぐっと力がこめられる。村岡は何食わぬ顔で前を向いたままだ。
「目を向けるなよ鈴木。あと指もさすな。また余計な道がつく」
村岡の言葉の意味を理解して、龍円はひゅっと息を吸い込んだ。
「じゃ、じゃあアレ」
「見えるようになってしまっていることに自覚を持て。生き物じゃない。持っていかれるぞ」
「はい……」
急激に胸の奥、肺から順に胴の芯が冷えていく気がする。
「鈴木。目を向けずに、意識だけ向けてみろ。どんな形をしているかわかるか?」
「ええと……子供が二人……男の子と女の子……あ、男の子の方は左脚がないです。女の子はどちらも肘から下がなくて……背中は抉れて、ますね……」
「お前、それがどうしてわかるのか、理解できるか?」
「あ」
「見えるわけがないだろ? そんなところまで。それが見えるようになっている、ということの意味だ」
「――つまり、五感やないと」
「そうだ。認知ではなく、存在の全体を魂で感知するんだよ。でも私が傍にいないときに、意識を向けて探ることもするなよ。それだけで繋がるからな」
「じゃあ、これから霊とか化け物を、見る気がなくても見えてしもた時って、どないしたら」
村岡は答えなかった。自転車を進ませる背中に、子ども達の視線が貼り付いてるのを感じて、びりびりと痺れが走るのを感じていた。
それから数分進んだところで、村岡が同じような低層団地を目の前にし、歩みを止めた。
「ここだ」
「ここ、ですか」
見上げる先には、確かにさっきまでと違って、カーテンの掛かった窓が散見されている。
だが、建物全体からは、なんというか、人の気配を感じ取ることができなかった。
「あの、村岡先輩。もしかして、ここ、先輩の家族以外は誰も住んどらんとかって……」
駐輪スペースに自転車を停めながら、村岡は目を見開いて振り返った。
「そうだ。よくわかったな。まあ家というか、私以外、だけどな」
「ちょっ、まさか一人暮らしですか?」
「ああ。ここの一棟を丸々借りている」
「ぜ、全部ですか」
「ああ。だから向こうの階段は完全に封鎖してあるだろう? ああして、中に閉じ込めて
あっ! と龍円は叫んだ。
「『中にいちゃいけないヤツ』って、人間のことじゃなくて、そういう意味ですか⁉」
村岡はにやりと笑った。
「だから、しばらく前まであっちの棟にも少しずつ住んでたんだ。ここの団地の駆除対象は、この棟で最後。これが済んだらここの団地は取り壊して、後に高層マンションが建つ計画だ」
「――先輩って、ほんまに何者なんですか?」
「だから、自分の世界に関係ないことには首を突っ込まないほうがいいと言っただろう。行くぞ、三階だ。早く自転車停めろ」
言われるまま駐輪を済ませ、龍円は村岡に続き団地の中に足を踏み入れた。コンクリート製の幅の狭い階段をぐるぐると昇る。途中、二階のドアの向こうにずるりとした気配を感じたが、ちらりと村岡が振り返ったので、こくりと頷き無視した。
到着した302号室。村岡は鞄から取りだした鍵で金属製のドアを開いた。
「どうぞ」
招かれた部屋の中は暗かった。全体としてどこか雑然としており、ふいにシンクから届いた、ぴちょんと雫の滴った音が、やけに大きく響いた。
「お邪魔します」
「奥の襖は開けるな。『住人』がいる」
「――はい」
「あ、そこのマジックミラーにもたれるなよ。立てかけてあるだけだから倒れる」
「なんでそんなもんがあるんすか」
「だからその『住人』の置き土産だよ。こっちだ」
呼ばれてついていった反対側の和室に踏み入ると、龍円は思わず目を見張った。
入り口正面の壁沿いに設置された、複数のPCモニターが並ぶ巨大なデスク。その両脇の壁を這うようにして、床から天井までを埋めつくす幾つもの積読の塔。
「鈴木、そこ電気点けて。あと適当に空いてるとこに座って」
言いながら、村岡はデスクに向かってPCを立ち上げる。
「先輩」
「ん」
「この本の山、引っ越しのたびに持って回っとるんですか?」
村岡は口を半開きにして振り向いた。
「気にするとこ、そこか?」
「いや、多分さっきの説明から想像した感じやと、悪霊みたいのがいる部屋に先輩が住むと、それで除霊バルサンが焚かれるみたいな感じになるんでしょう?」
「ああ、まあそういう理解で合ってるな」
「つまり、事故物件の爆弾処理班みたいな」
「――それで合ってるわ」
「それって、そんな長期間、同じ部屋に住むわけやあらへんのですよね」
「長くて一ヶ月だな。それ以上は一軒当たりに時間をかけない。一ヶ月でダメなら私の手に余るってことだから撤退する」
「つまり、この部屋もそうなんでしょう? 一ヶ月も住まん部屋に毎回この量を持って移動しとるんかと」
村岡は目を細めて、薄く笑った。
「人間はな、誰しもそいつなりの精神安定剤を持ってるんだよ。私の場合は、それが本の山だってことだ」
「――そうですか」
「ほら、鈴木これだ」
手招きで呼ばれて、龍円は村岡の隣に立つとPCのモニターに目を向けた。
そこには『甲子園の魔物』にまつわると思しき情報と、その目撃時期、並びに発生場所が表と図にしてまとめられていた。
「すっげ……これ先輩一人でやったんすか」
「ああ。こういうのはな、他人に説明する時間を短縮するために必須なんだよ。自分が理解するのにかかったのと同じ時間を説明に費やすとか誰もせんだろう」
「確かに」
「甲子園で行われた試合、全カードと、それから採集できる限りの『甲子園の魔物』の目撃情報とを比較した。ある程度の幅はあるが、やはり五年から八年に一度程度の割合で、両手に何かを抱えた坊主頭の男が目撃されている。されこうべ自体は、しっかり見えたやつと、何か固まりみたいにしか見えなかったってケースとあって、よく見えてないのがほとんどだな」
村岡の手がマウスに伸び、カーソルが移動する。
「それで、並べて整理しているうちに、いくつかのミッシングリンクが見えてきた」
「ほんまですか」
「ああ。第一に、目撃された地域に関してだが、見ろ」
表示されている日本地図の上を、村岡が操作するカーソルがぐるぐると移動する。
「これは全て、山の地だ」
「山?」
「山が近い地区ということだ。そのうちの一つ、これ」
「ええと、これは島根ですか」
「鳥取だ」
村岡の操作で地図が拡大される。『甲子園の魔物』が目撃された場所を示しているのだろう。黄色く塗られた箇所に地名らしきものが書き込まれている。
「これ、ダイサン、ですか?」
「
地図が小さく変形する。
「母親の故郷が鳥取の
村岡が発した母親という言葉に、龍円は妙な冷たさを感じた。さっきから聞いている分だと、村岡が家族と共に暮らしていないことは明らかだ。それについて初めて言及した言葉から感じたものが冷たさと酷薄さだというならば、彼女等の関係がどのようなものなのか、一部は推して知るべしだろう。
龍円の内心は知らずか、村岡はじっと画面を見つめている。
「この辺りとよく似ているぞ。高地だし、酪農も盛んだし、梨もとれるし茶畑もある」
「へえ」
「『甲子園の魔物』の目撃について、現時点までで私が読み取れたミッシングリンクはこうだ」
かちりとシートが移され、そこに並んだ項目を龍円は黙読した。
1・観測者は山がある地域に住んでいる。
2・観測者は元高校球児で、甲子園の砂を持ち帰っている。
3・観測者の一部は、されこうべを持った男を目撃している。
その後に続いた四つ目の項目を見て、龍円は「あっ」と喉を鳴らした。村岡へ目を向ける。
4・異常状態に陥った観測者のうち、九名が「霜が終わるころ」という謎の言葉を残している。
「先輩……これ」
村岡は、殊更にゆっくりと息を吸い込んだ。
「ネットにはほとんど上がっていなかった情報だ。逆にこの言葉から辿った結果、『甲子園の魔物』の目撃と重複していることがわかった。――鈴木。斉藤空也で、十人目になる」
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