徒花の咲かせ方 ~欠陥オメガ宰相とワケありアルファ騎士団長の偽り番契約~

貴葵 音々子🌸カクヨムコン10短編賞

第一章

1 やはり気に食わない男だ

 春も終わりかけ、肌がしっとりと汗ばみ始めた頃。小鳥のさえずりが聞こえる中庭を颯爽と抜け、ミオーレは城内の会議室へ急いだ。

 これから国の参議たちが集まり、定例評議会が行われるのだ。


「――それにしても、新しい宰相閣下の振る舞いには困ったものだ」


 目的地へ続く円柱の陰から、しゃがれた声が聞こえる。しかも自分について話しているようだ。声色から察するに、気分の良い内容ではない。

 すぐさまぴたりと足を止め、見事に咲いた紫のライラックの陰で様子を伺う。息を潜めた視線の先にいたのは、年老いた三人の大臣たちだった。


「お飾りの宰相であればよかったものを、あのような……」

「陛下の温情で用意された椅子に座って微笑んでいるだけなら、まだ可愛げがあっただろうに」


 王の助言役である宰相がそのようでは、この国はおしまいだ。こんな場所でくだらない井戸端会議をしている彼らが臣民を守り導けるとも思えない。

 法案の資料を抱える手に苛立ちが募り、成人男性にしては華奢な指で紙の端をくしゃりとさせる。


「そういえば、隣国の皇帝から宰相へしきりに縁談がきているという話ではないか」

「いいや。表向きは縁談だが、王妃にはなれまい。ハレムへ入れられて慰み者にされるのが目に見えておる。容姿だけは他国の美妃たちと引けを取らぬからな」

「欲しいと言うならくれてやればいいのだ、あのような。その方がまだ我が国の役に立つ――」


 ひとりが憎々しげに言い放ったその時。

 背の高い円柱が連なる廊下に、重厚な足音が響いた。


「ここは声がよく響く。その密談はもうよした方がいい。どこで誰が聞き耳を立てているかわからないからな」


 剣を腰に携えた長身に、深紅のペリースが風で翻る。眉目秀麗な青年に諭され、大臣たちは罰が悪そうに後退った。


「騎士団長殿も宰相閣下とは折り合いが悪いはず。今の話はどうか内密に……」

「咎めるつもりも、ましてや吹聴するつもりもない。……そろそろ時間だぞ」

「え、えぇ。それではまた後ほど……」


 そそくさとその場を離れる参議たちの後ろ姿が見えなくなったタイミングで、不意に青年がこちらを振り返った。


(ばれてる……)


 向こうからは見えないはずなのに。煌々とした黄金の双眸に射抜かれ、息が詰まる。獅子に睨まれた小蛇の気分だ。湿気と冷や汗でうなじが汗ばむ。

 彼はいつもそうだ。ミオーレが視界に入ると言葉なく威嚇し、端正な顔いっぱいに不快感を露わにする。

 また何か不遜な嫌味でも言われるのかと身構えたが、青年はそのまま一言も発することなく、踵を返して歩き出した。まるで「話しかける価値もない」とでも言うように。

 かしゃん、かしゃん――と、ベルトの金具に鞘が擦れる音が聞こえなくなった頃、ミオーレはようやくライラックの陰から顔を出した。


「やはり気に食わない男だ……――アスカディア・イヴェール」


 誰にも聞こえない悪態を、初夏の風が首元のジャボを揺らして攫う。

 視界にちらつく銀糸の髪の隙間から不愉快な男が消えた廊下を睨みつけ、ミオーレも机上の戦場へ向かった。




 ◇ ◇ ◇




 最も位の高い席に座すグラングレイス王国の若き太陽の隣に、ミオーレ・アーデルハイト宰相はいた。

 今年で二十回目の春を迎えた銀髪に透ける、皮膚の薄い部分が淡く色づいた瑞々しい横顔。蝶が止まれば絵になるような可憐な小鼻にそえられた瞳は、王都の北に広がる丘を彩る初夏のラベンダー色。貴族の女児がこぞって欲しがる精巧なドールを思わせる美貌に、初めて会う相手は必ず見惚れ、一言交わせば大抵の者は虜になる。だが彼の抱えるを知ると、手のひらを返したように離れていくのだった。ここで長机を囲む参議たちのように。

 針の筵のような空気の中、ミオーレは知性と品位を感じさせるボルドーのジャケットに包まれた背筋を伸ばし、凛と声を張る。


「それでは採決に移ります。〈オメガに関する就労規制の緩和政策〉に賛同する参議は、指輪を器へ」


 そう言うと、法案の提案者でもある自分が率先して指輪を外し、テーブル中央に置かれた金の皿へそっと投げ入れた。

 花びらのような淡い唇をほころばせる彼に倣い、格式と歴史が感じられる椅子に座った参議たちも、それぞれの大臣職を表す指輪をまばらに外す。先ほど廊下で下賎な密談をしていた三人も同様に。

 賛同の意を示す指輪が金の皿へ順に入れられる中、周囲の視線はふたりの人物に集まった。

 ひとりは、険しい顔で己の指輪をじっと見つめるジュナー財務大臣。

 この法案が評議会で議題に上がり、はや二ヶ月。最初こそ反対意見がほとんどであったが、議会が重ねられるに連れ、その数は逆転していった。

 そんな中、最後までミオーレの政策を痛烈に批判していたのがこのジュナーである。「ヒートがあるオメガにまともな仕事ができるはずがない。周囲が迷惑を被り、結果、国内経済は衰退する」と。

 グラングレイス王国の法案は最高評議会の全会一致によってのみ可決される。今回も彼の指輪を得られず、法案は流れるだろうと、誰もが思っていた。

 だがしばらくして、細長く整えられた神経質そうな口髭をわななかせるジュナーの手から、指輪が皿へ投げ込まれた。

 参議たちが一斉にざわめく中、ジュナーは加齢で皺が寄ったモノクルの下を忌々しげに歪め、絵画のように完璧な微笑みを浮かべるミオーレを睥睨する。とても「賛成」の顔には見えない。

 だが射殺さんばかりの視線を浴びるミオーレは、鼻歌でも歌い出しそうなほど気分がよかった。思わずその場で高笑いしそうになるのを堪えて、隙のない笑みを貼り付ける。

 議会とは始まる前に決するもの。根回しは迅速に、抜かりなくが鉄則だ。手段はそれなりに選ばない。アルファが牛耳る国政に食い込むには、多少の勝手は必要になる。


(ジュナーの横領の証拠を掴んでくれた花筐はながたみの花君たちにジュエルを贈らないといけないな。喧嘩しないように、たっぷりと)


 王都北の娼館街に咲く艶やかな花々を思い浮かべ、ミオーレはひっそりほくそ笑む。

 花君たちの協力のおかげで、停滞していた法案の成立まであと一歩のところまで近づいた。この新法案は宝石よりも、そして財務大臣のわりにやたら気が小さい額の横領を見逃すことよりも、ずっと価値がある。

 残す指輪は、あとひとつ――。


「陛下、ひとつよろしいですか」

「なんだい、アスカディア騎士団長」


 癖のないプラチナブロンドの長髪を耳にかけ、ランディル王が青々とした新緑の視線を相手に送る。王族特有の〈宝石眼〉と呼ばれる不思議な煌めきを放つ瞳だ。ランディルの鮮やかな緑色は、よくエメラルドに例えられた。

 国内外で美麗と評判な王の傍らで、ミオーレは笑みを崩さぬまま、目尻をピキリと吊り上げる。中庭での一件もあり、ミオーレの鬱憤は油を吹きかけられたように燃え上がった。


(また私の邪魔をするのか、アスカディア・イヴェール!)


 姓のない孤児は、生まれた季節が姓となる。つまりアスカディア・イヴェールは、冬生まれの孤児であった。それが今では弱冠二十五歳にしてグラングレイス王国の誉れ高き騎士団長なのだから、誰しもアルファに憧れを抱くのは当然だろう。そう、アスカディアはアルファだ。

 肩幅が広く、上背もある恵まれた体格。日ごろから鍛え抜かれた一振りの剣のような力強さに満ちた佇まいだ。短く乱雑に刈られた髪は、不用意に触れたら切れそうな黒曜石を思わせる。高い鼻梁とシュッとした輪郭が落とす影のひとつでさえ、統率者の性とも呼ばれるアルファを体現するかのよう。

 アスカディアは手元の法案の資料を黄金の目で隈なく追いながら、口を開いた。


「この政策自体に異論はありませんが、やはり最低限の制限は必要かと。例えば、騎士のような仕事はオメガには無理です」


 アスカディアは資料から視線を上げ、これ見よがしにミオーレを見据えながらきっぱりはっきり「無理」と言い放った。明け透けな主張に、ミオーレの目尻の痙攣がより激しくなる。


「イヴェール卿が無理だとおっしゃる、その根拠は?」

「いちいち説明しないとわからないか、アーデルハイト公?」


 負けじと聞き返すミオーレに、アスカディアも応戦の構えを見せた。

 王の智と武の手である若いふたりが、机を挟んで見えない火花を散らせる。評議会ではもはや見慣れた光景だった。


「騎士の仕事は体力勝負。庇護される存在として生まれたか弱いオメガには勤まらない」

「今の発言は性差別に値しますよ、イヴェール卿」

「差別ではなく配慮のつもりなんだがな。いいか、仮にオメガの騎士が誕生したとしよう。泰平の世のうちはいい。決められたシフトで決められた仕事をこなせばいいのだから。だがひとたび戦が始まればそうはいかない。最前線でヒートを起こしたらどうなる。そいつはおろか味方の陣形まで総崩れだ。グラングレイス王国は攻め滅ぼされる」

「まず戦を始めさせないのが我々の仕事では? それに万が一開戦しても、人員配置は最良の策を講じる余地があります」

「オメガだから後方支援に回して、アルファとベータは前線で戦えと? それこそれっきとした差別じゃないか」


 ミオーレを牽制するアスカディアに、他の参議たちからも同調する反応が出始めた。


「騎士団は臣民を守る国防の要。疎かにはできませぬ」

「我らが賢明な王よ、どうかイヴェール卿の助言に耳をお貸しください」


 高齢化が著しい参議たちのほとんどが、保守的な事なかれ主義である。オメガの社会進出など、彼らの時代ではありえなかった。ミオーレに掴まれたそれぞれの事情で指輪を外しはしたが、皆、心の内に不遜な本心をひた隠している。


(白々しい古狸どもめ。……だがまぁ、この程度は想定内だ)


 伝統と風習という名目で守られた風通しの悪い暗窟に剣を突き立てるには、無傷ではいられない。先端が欠けようと、刃こぼれしようと、柄まで通すことが重要なのだ。

 ミオーレはすでに、柄に手をかけている。


「なるほど、イヴェール卿と参議の皆様の主張は十分理解できました。私も考えを改めなければいけませんね。――ならば就労規制の緩和は段階的に、かつ臣民の安全に関わる一部の職務には引き続き制限をかけて実行していく、という内容でいかがでしょうか」


 はたから見れば、ミオーレが根負けして譲歩したように見えるだろう。「それならば」と互いに顔を見合わせ、参議の多くはしてやったりとほくそ笑んでいる。そこへミオーレはすかさず「ですが」と続けた。


「騎士団に属するのは、何も騎士だけではありません」


 その一言に、アスカディアの切れ長な目尻がぴくりと上がる。


「給仕に兵舎の掃除番、馬番、物資の配送、庶務係など、仕事は多岐に渡ります。今でこそ騎士団内の全ての仕事はアルファとベータの専門職と言えますが、今後は職務内容を吟味してオメガにも就労の機会をお与えいただけるということで、よろしいですね?」


 オメガが騎士になるのは無理があると、ミオーレも初めからわかっていた。むしろアスカディア自ら拒否してくれてよかったとさえ思う。「騎士でなければいい」という、明確なゴールを作ってくれたのだから。


「それとも、生粋のオメガ嫌いで有名なアスカディア騎士団長は、騎士団の片隅でオメガが数人働くことも許し難いですか?」


 これでチェックメイトだ。ミオーレは自らの手で盤上のキングを追い詰めたことに愉悦が止まらない。

 ややあって、アスカディアは騎士団長の指輪を渋々外し、金の皿へ置いた。

 それを見届けた若王ランディルは満足げに頷くと、最後に王冠を模した王の指輪を投げ入れる。ついに、全ての指輪が揃ったのだ。

 ミオーレは最高決定権を持つ幼馴染の王へ、その場で議事録にサインを求めた。王族に相応しい優美な筆跡を眺めていると、つい小躍りしたくなる。今日は評議会の前から不愉快な出来事が重なったが、歴史に残る素晴らしき日になった。


「それでは、改めて。――参議全員の同意のもと、本法案は可決されました。我々の賢明な裁量がグラングレイスに実りある繁栄を齎すことを、共に祈りましょう」


 淡い唇をほころばせるミオーレの進行に、参議たちからまばらな拍手が起こる。全会一致の可決が嘘のような、不和の拍手だ。それすらもミオーレにとっては予定調和である。

 就労の機会を奪われて、身体を切り売りしながら路肩で野垂れ死ぬ運命だったオメガが、これから何百、何千人と救われるのだ。

 歴代最年少、そしてグラングレイス王国史上初めてのオメガの宰相であるミオーレの初仕事にしては、上出来だろう。

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