第5話 別れ
それから、数日。いつものように採取を手伝う日々が続き。とうとう、最終日がきた。
明日には午前出港の船に乗って帰ることになる。この家はそのまま、虎太郎に貸すことになっていた。
その間は、おばちゃんも家の中まで管理する必要はないし、庭の手入れもそこまでしなくともいい。虎太郎も安心して、落ち着いた環境で研究に集中できる。
夜、寝る前。直ぐに寝るのも惜しくて、布団の上で、虎太郎と向き合っていた。
網戸の向こうからは虫の音が聞こえてくる。海風があるせいかそこまで蒸し暑くはなかった。それでも扇風機はブーンと音を立てフル回転だ。
「虎太郎さん…。本当にあっちでも会ってくれます?」
「もちろん。って、タイミングが合えばいいけどな…。薫、仕事も学校もあるんだろ?」
「学校なんて…。ただ、仕事は読めないから…」
授業の時間割りの様にはいかない。それでも、絶対、休みを取って虎太郎と会おうと思った。
薫がここへ遊びに来ることは、時間的に厳しいかもしれないが、あちらで会うことなら、まだ簡単なはず。
「いいんだって。ちょっと会って話せれば。それで、気分転換になるだろ? まあ、問題は俺と会うことが気分転換になるかだけどな──」
腕組みして、うーんと唸るが。
「なります!」
「薫?」
「って、いや…。なります。絶対…」
すると、虎太郎はにかっと笑んで。
「よっし。じゃ、絶対会おう。な?」
薫の頭をぽんぽんと叩いた。
グッと込み上げるものがあったけれど、そこは堪える。
そろそろ寝ないと明日に響く。虎太郎が手元のスタンドの紐を引いて電灯を消すと、後は外から差し込む月明かりのみとなった。
青白い光が、網戸越しに畳と布団、仰向けになって眠る虎太郎を照らす。
ここで過ごした日々は、薫にとって、何にも代え難い思い出となる。
帰れば、またあの忙しい、プライベートなど、何もない世界へ放り込まれるのだ。
待ってくれているファンがいる。メンバーも。だから、戻らなければならない。
ならないのだけど──。
「…戻りたくない」
目の端に涙が滲む。虎太郎に背を向け、ポツリと漏らせば。
「薫…?」
衣擦れの音がして、こちらに虎太郎が顔を向けた気配。そうして、丸めていた背中に、ぽんと、手があてられた。
温かい──。
「いろいろ…無理はしなくていい。駄目だったら、弱音を吐いていいんだ。ほかに言えないんだったら、俺に言えよ。批判とか、説教とか、しないから。…ため込まなくていい。な?」
虎太郎が親身になって、気にかけてくれているのが分かって、涙がこみ上げて来た。
泣いているのを見られたくなくて、薫は背を向けたまま。
「…うん」
そうとだけ、答えた。
朝、カーテンを開ける音で目が覚める。
「おはよう! 薫。もう起きないと、朝、一番のだろう? 朝ご飯用におにぎり握るから」
もそりと、潜り込んでいたタオルケットの間から顔を覗かせれば、こちらへ振り返る虎太郎がいた。
その向こうから、朝の太陽の光が差し込んでくる。そのせいで、まるで虎太郎から光りがさしているようで。──眩しかった。
「…うん。わかった…」
ノロノロと半身を起こし、そのままそこでぼんやりしていれば、近づいて来た虎太郎が、くしゃと頭を撫でて。
「ほーら、ちゃちゃっと起きて、顔、洗って来いよ。それまでに、準備しとくから。な?」
「…虎太郎さん」
「なんだ?」
「海…、荒れてない?」
「残念! 白波もたたない、凪の海だな」
縁側から外の景色を振り返って口にする。そこから海が見えるのだ。
「あーあ、もうっ! せめて、もう一週間、いたかった…」
「一週間経ったら、また、一週間。そうなるって。──あのさ」
そう言うと、虎太郎は未だ布団から起き上がろうとしない薫の傍らに片膝をつき。
「なに…?」
「俺も途中まで一緒に行くよ」
「…え?」
「一旦、大学に戻って試料整理して、報告して。それから、またここに戻る事にした。蔵田のおばちゃんにはもう言ってある。──だからほら、起きろって」
それって。それって。──俺のため?
「──虎太郎さんっ。ありがとう…!」
薫は感極って、虎太郎に抱きついた。
鼻先を虎太郎の匂いがかすめる。薫と同じシャンプーと、洗濯洗剤の香り。それが混ざりあって、虎太郎の香りになっているのだ。
安心する…。
「お礼なんていらないって。どうせ途中で帰る予定だったし。…薫?」
「──俺、虎太郎さんと別れるの、嫌だ。…子どもの頃、楽しかった夏休みが終わって、田舎のじいちゃん家から帰りたくないって泣いたんだ…。その時と、同じ気持ちだ…」
虎太郎は軽く息をつくと、ポンポンとその背を軽く叩く。
「これで、終わりじゃないだろ? この先だって続くんだから。な? 俺だって、どっか行くわけじゃないし。自分を追い詰めんな」
「…でも。終わる…」
と、虎太郎はガシッと薫の頬を両手で挟んで、顔を覗き込むと。
「ここで過ごした日々は、なくならないし、これからもっと、楽しい時間を作ってくんだ。──そう思え」
「虎太郎さん…」
「ほーら、そんな、情けない顔すんな。イケメンだいなし!」
ピン! と、おでこを指先で弾いてきた。
「って!」
「支度、急げよ? 船長が港まで送ってくれるって。あと、一時間で迎えにくるからさ。ちゃちゃっとな」
薫は弾かれた額を、手で擦りつつ、
「わかった…」
ようやく、のそりと起き上がった。
それでも、『これからもっと』その言葉に救われる。
終わりじゃ、ないんだ。
胸のうちが、温かくなった。
一時間後、イルカウォッチングもさせてくれた船長が迎えに来てくれた。荷物が多いだろうからと、気を利かせてくれたのだ。
港までの道のりを、船長の運転する軽ワゴンに揺られながら。
「虎太郎くんは、また帰って来るんだろ?」
「はい。ひと月後にまた」
「もう、全部まわったんじゃないのかい? 岩の採取」
ルームミラー越しに船長が尋ねてくる。丁度、トンネルから抜けて、まぶしく光る海が眼下に広がって見えた。
「あー、それがまだ。全部となると…」
「それじゃぁ、一年経っちゃうんじゃないのかい? もう、いっそここに住めばいいのに。ばあちゃんも喜ぶよ。薫くんの所、空いてるんでしょ?」
突然呼ばれて、薫は慌てて意識をこちらに引き戻す。
「──はい、たぶん…」
「なら、住めばいいのに。なぁ?」
「あはは、ええ、まあ。そうですねぇ」
虎太郎は笑って言葉を濁した。
それから、おばちゃんと、船長、その他その場に居合わせた知り合いらに見送られ、虎太郎と共に島を後にした。
手すりにもたれ、遠く離れていく島影を見つめながら、これがひとりだったらどんなに気落ちしただろうと思う。
「見送られるのって、なんとなく寂しいよなぁ。すぐ帰って来るって分かってても」
傍らで同じく島を見つめていた虎太郎がそう呟くが。
「寂しいけど──俺は、そこまでは…」
「あ、なんだぁ? 強がりか?」
「強がりじゃないですよ? …だって、帰り、一人じゃないですから」
そう言って、虎太郎に視線を流すと、その視線を受けやや胸を張る様にして。
「ふふん。優しいお兄さんに感謝だな?」
「急にお兄ちゃん面、しないでくださいよって」
ニヤニヤ笑う虎太郎の肩を軽く小突く。
「おいおい。何歳上だとお思いで? 八才上だぞ? これはかなり年上で──」
そう口にした虎太郎の肩に腕を回すと、ぐいと引き寄せ。
「──感謝してます。お兄ちゃん」
頬を虎太郎の頭に寄せる。
「──っ」
虎太郎の顔がぼっと赤くなった。
「きゅ、急になんだよ?」
「だって。お兄ちゃん、ちょうどよく腕の中に収まりやすくって」
「んだとぉ! ちっちゃいからってバカにしてんのか?」
「…あー。なんか、このまま家に連れて帰りたい…」
薫はそのまま、ぐりぐりと頭を虎太郎の側頭部にこすり付ける。
「…俺は捨てられた子猫じゃないんだぞ。そう簡単に連れ帰ったりできないんだぞ」
「わかってますって。──てか、虎太郎さん、どこに住んでるんです?」
「あー、〇〇区…」
「って、そこから大学に? 行ってる大学って、そこから遠くないですか?」
引き寄せていた腕を解いて、虎太郎と向き合う。
前もってどこの大学かは聞いていた。国立のそこはかなりの難関だが、学費の面からもなんとしてもそこに受からねばならず頑張ったらしい。
「うーん。でも、今のところ、すっごい安いんだ。未だに大学生してる奴の所に、間借りしてるんだけどさ。風呂無し、ガタピシアパートだけど、ひと月、一万円を切るって言う──」
「大学なら、俺の住んでるとこからの方が近いですよ? かなり」
「まあ、そうだな…。けど、あの辺、高すぎてさ。下に弟いるし、親にも早々頼れないから、学費以外は自分で何とかしてるんだ。となると、安さに変えられなくてなぁ」
薫はそれならと。
「うちに来ればいいですよ。部屋余ってるくらいだし」
「…へ?」
「事務所が借りてるマンションなんですけど、リビングキッチンの他に、部屋が三つあって。一つは寝室につかってますけど、後ふたつは荷物置きにしてるくらいで。メンバーでルームシェアしてるやつもいるし。たぶん、大丈夫」
「いやいやいや。島の家だって、ただ同然で借りるのに、たとえ、数週間でも、こっちの家までお邪魔になるわけには──」
「だって、そしたら虎太郎さんと離れなくて済むし。…なんか、いてくれるとほっとするんです。安心するんです。虎太郎さんだって、大学に近い方が便利でしょ? 家賃はいりません。代わりに家事を分担するってので。──どうです?」
「どうですって…。そりゃ、いい話だとは思うけど…」
「マネージャーに聞いときます。身元が確かなら文句は言わないはずです。ていうか、言わせない…」
「けど、仮にもアイドルしてんだろ? 俺みたいなのがうろうろしてていいのか?」
「だって、男同士だし…。これが異性で女優や歌手だったら騒がれますけど。単に友だちと同居してるだけですもん。誰も何もいいませんよ。ね?」
「ま、まあ…そう、だけど…」
虎太郎は頭をかき、俯く。その表情に陰りが見えて、あれ? と思ったが、島の家の時と同じく、遠慮しているだけだろうと、特に気にはとめなかった。
「とにかく。マネージャーからオーケーが出たら、決まり! ってことで」
「うーん…」
「じゃ、ちょっと聞いてきます!」
そう言ってそこを離れ、甲板の裏手、ひと気のない場所まで来ると、早速、マネージャーの蒼木に連絡を入れた。
すでに帰ることは伝えてあるため、港で船の到着を待っているはずだった。
今の所、虎太郎がこちらに滞在するのはひと月ほど。その後、また島に戻る予定だ。その程度の期間なら別に文句も言わないだろう。
それに、もし、仮にこちらに戻って来ることになっても、一緒に住んでもらって構わなかった。
部屋が余っているのは事実だし、疲れて帰ってきて、誰もいない部屋に帰るよりは、誰かいてくれた方が安心する。それが虎太郎だったらなおさらだ。
「あ──蒼木さん? 俺だけど──」
そうして、事情を説明した。すると、蒼木はため息混じりに。
『…ふだんなら却下と言う所だが、お前の今の状態を考えるとな。確かに誰かが傍にいた方がいいのはある──。だが、即答はできない。一緒に帰ってきたなら丁度いい。港について、本人と話してから決める』
「っとに。もっと柔軟に対応してよ。ひと月一緒に過ごしてたんだよ? 変な奴なわけないのに…」
『用心するに越したことはない。それに、あとで何かあって、後悔はしたくない。俺は自分の目を信じる』
「俺は信用ないって?」
『弱っている人間が正しい判断ができるとは限らないからな? しかし、本当に薬はまったく飲まずにいられたのか?』
「もうばっちり。不眠になんてならなかったって。虎太郎さんが睡眠薬の代わりだって」
『虎太郎…? その男の名前か?』
「そうだよ? なかなか渋いだろ?」
『…そうだな。──また、あとで』
それでいったん、通話を終えて、虎太郎の元に帰ると、事の次第を告げる。
「うーん…。その感じだと、やっぱり無理なんじゃ」
虎太郎に病のことは伝えていない。単に、マネージャーが渋っているように聞こえたのだろう。しかし、薫は。
「大丈夫。あの人、用心深いんだ。ほかのマネージャーならオーケーしてるって」
「まあ、へんな奴が傍にいたら、いい影響受けないと思うだろうしなぁ。期待はしないで待ってるよ」
「期待してくださいって。ぜったい、大丈夫!」
薫が病のことで押せば、きっと蒼木はうんと言うはずだ。それだけは確信できた。
なんせ、ここで薫がつぶれるようなことがあっては、グループ全体に影響が出てしまう。しいては、事務所自体もだ。
今の所、一番の稼ぎ頭はル・シエル・ブルーで。他も売れ出したが、それは薫たちの活躍あってこそ。今が大事な時なのだ。
薫が気に入ったと言えば、よほど胡散臭い人物でない限り、否とは言えないはずだった。
港に近づくにつれ、途端に海の色が変わる。どうしてこうなるのかと思うほど、濁ったどぶ色になるのだ。
クラゲの白い傘が、波間にふわふわと揺れている。到着は午後四時となっていた。
「これ、かなりへこむ色ですね…」
手すりにもたれ、海を覗き込む。
それまで海の色など気にしたこともなかったくせに、暫くあちらの綺麗な青いな海を見たおかげで、こちらの汚れた海に気が滅入った。
「昔は綺麗だったんだろうけどなぁ…。一旦、汚れると、簡単には戻らない。汚すのなんて、あっという間なんだけどな?」
虎太郎は困った様な笑い顔になって、そう口にした。
確かにその通りだ。
なんでもそうなのもか知れない。ものでも人間関係でも、壊すのはあっという間。壊れたら、もとの姿に戻すのに、どれだけ時間が労力が必要か。
傍らで、同じ様に海を覗き込む虎太郎の横顔を見つめながら。
虎太郎さんとは、長く続く関係でありたい。
そう思った。
船は定刻どおり到着する。薫はザックを背負いタラップを降りながら、蒼木の姿を探した。
虎太郎も同じく、いつも以上に重くなったザックを背負い後に続く。
と、下船客を待つ人の群れの後方に、スーツ姿でキッチリ固めた男を発見した。さすがに暑かったと見えて、ジャケットは手に持ち、あとはYシャツ、ネクタイのみだ。
「いたいた…」
マスクに帽子、サングラス、と、想像のつく変装グッズに身を固めた薫は、注目を浴びない程度に手をあげる。
蒼木は、その前に気づいてこちらに向かってくるところだった。
タラップを降りて、蒼木のいる隅の方へ向かう。虎太郎もあとをついてきた。
「ただいまです。──ご迷惑おかけしました」
「どうやら、無事なようで良かった。──で、その相手は?」
蒼木は薫の背負っていたザックを引き受けながら、視線をその周囲に向けた。視線は鋭い。薫は内心、きたぞ、と思いつつ。
「虎太郎さん、こっち!」
やや離れた所で周囲に目を向けながら、所在なさげにしていた虎太郎に声をかける。
虎太郎はぱっと顔をあげると、こちらに向かってきたが、蒼木の姿を認めて、そこへ立ち止まった。
「──あ…」
「松岡…?」
「先輩…」
蒼木も虎太郎も互いの顔をじっと見たまま動かなくなる。薫は首をかしげ。
「なに、知り合い?」
すると、我に返った蒼木は眼鏡のブリッジを上げつつ。
「虎太郎、か。余り聞かない名前だ。あれとは思ったが、まさかな…。大学の後輩だ。サークルが一緒だった」
「へぇ、偶然! なんのサークル?」
「山岳部だ。俺たちが四年の時、一年だった。七年ぶりか。──元気にしてたか? 松岡」
「……はい」
虎太郎の顔から笑顔が消える。そうして、蒼白い顔をしたまま薫を見ると。
「俺…やっぱり遠慮しておくよ。気持ちだけありがたく受け取って置く。それじゃ──っ」
踵を返し、さっさと駅の方向へ向かおうとする虎太郎のザックを、慌てて掴んだ。
「ちょっと、待って! どうしたの? 急に──」
「ごめん…! また、連絡するから!」
そう言って、拘束から逃れようとするが、薫は離さなかった。
「理由! てか、これで終わりのつもり? そう言う顔してる…」
「……」
虎太郎は黙り込んでしまう。すると、やり取りを見ていた蒼木が大きなため息をつき。
「ここにこれ以上いると、バレる可能性がある。続きは車の中だ。──松岡もな」
「…はい」
それでようやく、虎太郎は大人しくなるが。表情はうち沈んだままで、笑顔はもどらない。
薫にはまったく話が見えず困惑したが、蒼木との間に何かあった事だけは分かった。
薫は俯く虎太郎に向けて、
「俺、このまま別れるのは嫌だから」
「…薫」
虎太郎は困った顔をして見上げてきた。薫は虎太郎の背負っていたザックを外しにかかる。
「これ、俺が持ってく。人質」
「そこまでしなくても…」
「冗談だよ。けど、逃げるのはなし」
「うん…」
それで、とぼとぼと虎太郎は薫と先を行く蒼木に続いた。
車は路駐可の送迎スペースに停めてあった。黒塗りのワゴンタイプ。窓にはフロントガラス以外、スモークが貼られている。
「虎太郎。先はいって」
薫は後部座席のドアを開けて、やや距離を開けてついてきた虎太郎へすすめる。
ずっと俯いて歩いてきた。そんな様子は今まで見てきた虎太郎らしくない。ザックはすでに後部のトランクへしまってあった。
「…うん」
渋々と言った具合に、中へと入る。虎太郎が入ると、薫も続いて隣に座り、ドアを閉めた。蒼木は運転席だ。
「それで、島で世話になったと言うのが、松岡なのか?」
「そうだよ。偶然出会って、ひと月一緒だった。虎太郎さんがいたから、助かったんだ…」
前に伝えたことを繰り返す。薫は引くつもりはなかった。
「…だろうな。その様子を見る限り。──で、松岡はこいつの部屋に居候するつもりはあるのか?」
すると、声をかけられた虎太郎は、ぱっと顔をあげ。
「──いえ。薫には悪いけれど、俺はこれで。もう、十分世話になったので…」
「だめだって! 帰んないで、一緒に住もうよ。どうせ帰っても居候なんだろ? だったら俺の所の方が断然いいじゃないか。部屋も広いし大学にも近いし。どうして嫌なのか、わけは?」
「…それは──」
虎太郎はいいよどむ。が、そこへ蒼木が、
「うちとしては、薫がいいと言うならかまわない」
「え…?」
虎太郎が怪訝な顔を見せる。反対に薫は表情を明るくし。
「ほんと! 良かったぁー。やった、これで断ることないって。遠慮なんていらないんだからさ」
「でも…! いいんですか? 蒼木先輩…」
すると、蒼木はハンドルを握ったまま、ため息を漏らしたあと。
「うちが成功するかどうかは、すべてこいつにかかっている。こいつがいいと言うなら、な。幸い松岡のことは知っている。一緒に住むことに反対はない。松岡は言いたい事があるだろうが…。──詳しいことはあとで話そう」
「…はい」
虎太郎の表情はうち沈んだ。
反対に、薫は嬉しくて仕方ない。一番の難関は蒼木だったからだ。もちろん、説得するつもりではいたが、こうもあっさりと認められれば、嬉しくないはずがない。
「虎太郎さん。とにかく、許可はおりたんで。今日のところは大人しく、俺ん
「って、そんな慌てなくても──」
「いいえ。早ければ早いほど。時間が経てばたつほど、また、逃げ出しそうなんで」
「それは…」
薫は大きく息をつくと。
「蒼木さんと虎太郎さんの間に何があったにせよ、俺には関係ないんで。俺は傍にいて欲しいんです。自分のためにも、虎太郎さんのためにも。ね?」
「うん…」
ファンなら失神ものの極上の笑みを浮かべて見せたが、どうしても、虎太郎の歯切れは悪かった。
その後、自宅マンションに到着する。
虎太郎の荷物は、明日、事務所のバンで取に行くことになった。ついていくのは他のマネージャーだ。
蒼木ひとりで流石に七人は見切れない。蒼木はチーフマネージャで、サブに数人ついているのだ。
「松岡は薫の向かいにある部屋を使ってくれ。あっちのほうがすぐ片づく。薫、いらないものは全部もう片方の部屋に突っ込んでおけ。──とはいっても、そう置いてはいないが…。薫も自分で言いだしたんだ。片付けは全部自分でやれよ」
「わかってるって。ったく、休む間もない…」
ぶつぶつ言いながらも、確かに言いだしたのは薫で。素直に蒼木の指示に従った。
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