第三話 丑満時の集会


麻薬売買グループ事務所襲撃から数時間後。

まだ朝日も登りきらぬうちから、更衣を含む数名のお面衆は、二条院邸の本邸が二階の大広間に集っていた。

上座に組長・二条院瑆を置き、数人の幹部と幹部補佐たち、そして彼らに付き従う構成員らが両脇に揃い、視線を更衣へと向けている。

中には眠たげに目を擦ったり、欠伸を噛み殺す者もいる。この場に立ち会っていない者は、準構成員か怪我人くらいのものだ。

一同を軽く見回し、二条院組長は息子へ一瞥を向けた。


「──では<桐壺>、報告を始めよ」

「はい。先の抜打調査カチコミで入手した資料に目を通していただきますよう……」


更衣は疲れなどおくびにも出さず、粛々と報告を始める。

ここで、麟胆組について仔細を語っておくべきだろう。


麟胆組は、西日本を手中に収める極道組織「蒼薔自治會そうそうじちかい」の傘下にある極道であり、規模としては3次団体にあたる。

組長の二条院瑆は、麟胆組においては組長、自身が所属する2次団体「鴨癸種つきぐさ組」における若頭であり、蒼薔自治會の若頭補佐……という立ち位置にあるわけだ。

麟胆組は、新みらいヶ丘市という地方都市が一角「登輝畑ときば」という土地を主たる縄張りとし、関東圏にもいくつかの事務所を有している。因みに、表向きは意外にも一次産業……農業や酪農、そして和菓子屋が主な生業シノギだ。

また、麟胆組には奇妙な習わしがいくつか存在する。その一つが「源氏名」、つまりはコードネームの有無だ。幹部を始めとする役職持ちや、実績を有し期待される者たちのみが名乗ることを許される、特別な二つ名である。

<桐壺>の名も、まさにその一つ。若頭にのみ名乗ることを許された二つ名だ。

今回の売人潰しも、彼が若頭としての箔をつけるために引き受けた仕事のひとつであった次第だ。


「……つきましては、回収したデータを参照するに、此度出回っている覚醒剤シャブの製造には、玉蟾鏡会ぎょくせんきょうかいなる連中が絡んでいるものと思われます」

「ふむ、玉蟾鏡会ときたか。少しばかり面倒な連中の名が出てきおったな」

「ここ数年出張っては、あちこちでシャブばら撒いてる麻薬カルテルですねえ。しかも確かな筋の話によれば、黒社会の息がかかってる連中だとか」

「中華マフィアの系列だと?なるほど道理で、躾のなってない野良犬のションベンみたいな振り撒き方をするわけだ。節操なしどもめ」

「規模としては然程大きくないが、こうもおおっぴらに喧嘩を売られては見て見ぬふりをするわけにはいかん。うちの嬢どもも既に餌食になっとるんや、駆除は早いほうが良かろう」

「あの辺りは<絵合>殿の管轄でしょうや、駆除はそちらに任せるべきではございませんこと?」

「だがなあ、中島組の縄張りも近い。下手につっついて、連中が中島組と組んだらより面倒なことに……」


にわかにざわつき始める面々。

瑆は暫し沈黙していたが、構成員たちの議論が錯綜しヒートアップし始める頃、厳かな声で「静黙!」と一言発する。

途端、その場で言葉を荒げ議論を交わしていた全員が、一斉に押し黙った。

ふう、と小さく嘆息を漏らすと、瑆は改めて息子の更衣へ視線を向ける。


「玉蟾鏡会は──長年水面下で活動してきた秘匿組織。故に、我々は敵を知らなさすぎる。彼奴等の正確な組織図はおろか、元締めの正体すら未だ知る者は殆ど居らんという話じゃ。

小さき虫にも獅子を殺す毒あり。ゆめゆめ油断するな。<桐壺>、引き続き調査はお前に一任する」

「はっ。承りました、組長」

「必要なら兵隊を連れて行け。ただし、向こうに気取られぬよう立ち回ることだ。

<宿木>と<竹河>にはシャブの成分の解析を依頼しておる。系統が分かれば、おのずと製造元も絞られよう。<絵合>、<紅梅>、<胡蝶>は引き続き、縄張り内の売人たちを見張っておけ、まだ手は出すな。潜らせていた<澪標>が鯛を釣ってくれればよいが」


粛々と指示を出し終えた後、「これにて解散」とやはり静かな声で一言発する。

直後、その場にいた殆どの者は、猫が姿を消すかの如く、音もなく姿を消す。

後に残された者は、若頭の<桐壺>こと更衣、<紅梅>と呼ばれた男──もとい玲泉、痩せぎすな中年の白髪男こと顧問の<賢木>、そして紅梅のやや背後に座する、精悍な顔立ちの若い男<初音>のみとなった。


「それで、連れて行ったは……」 やや触れたくないと言わんばかりの声色で、瑆が漏らす。

「晨明はどうした?ここにはおらんかったが」

「頭部と背面を負傷して治療中です、十二分に休むよう<宿木>から宣告されました。なにせドス持ちの十人近くを相手に立ち回った挙げ句、額の皮をすっぱり切って、バナナの皮を盛大に踏んづけてスッ転んだもんだから……」


桐壺の重苦しい言葉の直後、<初音>と<賢木>が笑いを堪えきれず、「んぐふっ」「んふふっ」と奇声を上げて俯く。

玲泉が冷ややかな(尤も、彼の視線はいつだって極寒の如しだが)視線を向けると、<初音>はしゃんとして背筋をのばし、賢木は扇でさっと顔を隠して、「ん、んんっ」と咳払いをいくつか零して、噎せを誤魔化した。

瑆だけは表情ひとつ変えず、「バナナの皮ときたか。随分お茶目な怪我の理由やな」と声だけは愉快そうに冷やかすも、また重たげな溜息を漏らす。


「やれやれ、厨番だけで満足していればよいものを、組の仕事とあらばすぐに首を突っ込みたがる。桐壺、お前が奴を気に入っているのは承知やがな、あのような木偶の坊にまで、仕事を割り振る必要はあるか?」

「ですが組長、晨明はよく頑張っております。彼はちょいとまあ、確かに運が悪いし、迂闊な所もありますけど、根は良え奴です。

ワシの代わりに、ドス持ち相手に一歩も引かず、ステゴロで全員ノせるだけの力もあります。です!不殺は殺しも高等な技術テク、ワシが求める在り方です。それは組長もよく存じあげておりますでしょうや」

「性根がええことと、仕事の出来る出来んは違うやろ。他のヤクザもんならまだしも、この組において不殺の技など役立たずもええところ。

……もうこの件からは奴は外せ、お前の箔付けの足手まといや。そがな甘っちょろい考えとから、ええ加減卒業したらどうや。更衣」

「そんな……どうしてそう、組長は晨明に意地悪なんすか。目の敵にでもするみたいに扱って。彼だってアガリを出すのに必死なんですよ。狛枝さんの分まで……」

「奴が只の厨番ではなく、組の構成員として扱ってほしいとねだるから、アガリを設定しているまでのこと。只の厨番であればキツめのアガリで金を絞られる事もないというに」

「……もういいです!なんでそう、晨明を嫌うかは知りませんが、ワシはワシなりのやり方でやらせてもらいます。この件を晨明と解決したら、しっかり彼のことも認めてください!ええですね!」


最後には更衣は声を荒げ、がばりと立ち上がる。白い顔を紅に染めながら立ち去ると、ドスドスという荒々しい足音が徐々に下へと消えていき、しまいには下の階から「あいたあ!小指うったあ!」と泣き言が聞こえてくる。

後には静寂が残り、ぼそりと<初音>が「バナナの皮」と漏らして、<賢木>がまた「んぐふっ」と不意打ちを食らって俯いた。

瑆も一瞬だけく、と唇を歪めるも、「やれやれ、我が息子ながら甘やかしすぎたかの」と呟き、玲泉へ一瞥を向ける。


「引き続き、晨明を見張れ。この件には徹底的に関わらせるな、更衣もそろそろ身内贔屓を卒業させてやらにゃならん」

「承知。<初音>、治療が終わるまで見張りを任せる」

「はい。……しかし、出ていこうとしたら、どうやって止めるべきでしょうか。紅梅師のバナナのインパクトに勝てる気がしないのですが」

「笑いをとる勝負ではないぞ、<初音>。腕の骨は折ってやるなよ」


そんな会話を繰り広げていると、とんとん、と床を軽く叩く音が響く。

<賢木>が気配の主に気づいて「お入り」と告げると、物静かそうな大柄な男が、襖を静かに開けて、眉尻を下げて面々に一礼する。先ほどの集会にもいた男で、名を夕霧という。

その大きな手には、白い封筒がひとつ。差出人も、宛名もない。

夕霧の顔色は、暗がりの中でもあまり良いものとはいえなかった。<賢木>と瑆の顔を交互に見やる。


「組長、便りが届いております。『四の家』からです」


刹那、場の空気が変わった。夏だというのに、肌を刺すような冷気が漂う。

<初音>はその緊迫した空気を察し、小声で「『四の家』とは?」と玲泉に尋ねるが、返事はない。先程までくつくつ笑っていた<賢木>ですら、感情を押し殺したような真顔に変わり、封を受け取ると、瑆へ差し出す。

憂鬱げな顔で封を開け、手紙を広げる。意外にも、したためられた手紙は一枚のみ。

ぼそりと瑆が、重たい声で文章を読み上げ始める。


「お久しぶりです、詩龍の名を覚えておいででしょうか。【白い帳】がひとまたたきの目覚めと眠りについて十年。貴方がたが、十二年前の約束を果たす時がきました」


<賢木>の顔色が徐々に青ざめていく。

夕霧もまた、己の左脇腹を摩り、玲泉の眉が僅かに歪む。

約束という言葉に、一瞬言葉を詰まらせ、再び瑆は唸るような言葉で読み上げ続ける。


「白い帳をとこしえに封じるため、再び貴方たちは血を流さねばなりませぬ。ですがそれは我々の本意でもありません。

かつての惨劇を繰り返さぬよう、未然に防ぐため、こちらの者を一人寄越します。

やや難しい子ですが、貴方がたの力になってくださるはず……」


一体なんの話をしているのだろう。

<初音>は手紙の主が淡々と語る不穏な単語の数々に、奇妙な冷や汗がひとつ垂れた。

語る声は瑆のものであるはずなのに、彼を通して、何者かがこちらを見据えるがごとく話しかけてくる。

途中から、<初音>の意識が少し飛んだ。眠気のせいなのか、極度の緊張した空間に居合わせ続けたせいか。気づけば、文章は結びの言葉に差し掛かっていた。


「━━その子の名は、アスナ。過去にも未来にも非る者。白い帳を滅ぼす力」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る