第6話 二人だけの秘密

 藤崎さんから「仕事終わりに少しだけ話せない?」と声をかけられたのは、その日の午後だった。

 理由は言わない。

 ただ、「大事な話」とだけ。


 気にならないわけがなかった。

 ――もしかして、佐伯さんのこと?



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 定時を過ぎても、オフィスにはまだ数人の社員が残っていた。

 藤崎さんは「先に行って待ってて」とだけ言い、私をビルの向かいにあるカフェへ向かわせた。


 夕方のカフェは、仕事帰りの客で賑わっていたが、奥の席は落ち着いている。

 席につき、ハーブティーを注文して待っていると、数分後に藤崎さんが現れた。



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 「ごめん、待たせた」

 「いえ」

 藤崎さんは小さく息をつき、しばらく黙ったままだった。

 その沈黙が、かえって私の心拍数を上げる。


 やがて、彼女はテーブルに身を乗り出してきた。

 「……佐伯くんのこと、どう思ってる?」


 唐突な問いに、言葉が詰まった。

 「え……えっと……」

 正直に“気になる”と言えばいいのか、それとも無関心を装うべきなのか。


 「別に答えたくなければいいよ」

 藤崎さんは笑ったが、その笑みの裏に探るような色があった。



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 「彼……前に付き合ってた人がいてね」

 やっぱり、その話だ。

 私は無意識に、カップを握る手に力を込めた。


 「すごく大事にしてたみたい。でも、その人は突然、彼の前からいなくなった。理由も何も言わずに」

 「……いなくなった?」

 「うん。それから彼、誰に対しても距離を取るようになったんだって」


 藤崎さんの声は静かだったが、確かに熱を帯びていた。

 ――まるで、その出来事を間近で見ていたみたいに。



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 「どうして、それを私に?」

 思わず問いかけると、藤崎さんは視線を伏せた。

 「……実は、その元カノ……私の友達だったの」


 瞬間、背中に冷たいものが走った。

 「友達……?」

 「正確には、元友達かな。今はもう連絡も取ってない。けど……彼女から聞いた話が、ちょっとだけ違和感があって」


 藤崎さんは、ゆっくりとこちらを見た。

 「高梨さん……もしかして、彼に避けられてるって感じたことない?」



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 言葉が出なかった。

 感じたことがないどころか、それこそが今の私を苦しめている。

 でも、それを認めることは、彼女の前では負けを認めるようで……。


 「……さあ、どうでしょう」

 私は笑ってごまかした。

 藤崎さんは、その答えに少しだけ口角を上げると、「そっか」とだけ言った。



---


 カフェを出た帰り道、夜風が頬を撫でた。

 藤崎さんと別れた直後、背後から足音が近づく。

 振り向くと――佐伯さんだった。


 「……こんな時間まで何してたんですか」

 低い声。

 怒っている、というより、苛立ちを抑えているような。


 「藤崎さんと、少し話を」

 正直に言うと、彼は眉を寄せた。

 「……あまり彼女と関わらないほうがいいって、言いましたよね」



---


 「それ、どういう意味ですか」

 問い詰める声が、自分でも驚くほど強く響く。

 だが彼はすぐには答えず、代わりに視線を逸らした。


 「……あの人、俺のことを良く思ってない。昔から」

 「昔から?」

 「……それ以上は、今は言えません」


 彼はそう言って、歩き出した。

 その背中を追いかけたい衝動に駆られたが、足が動かなかった。



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 帰宅しても、心のざわめきは収まらない。

 藤崎さんが打ち明けた“友達”の話。

 佐伯さんが避ける理由。

 どちらも、真実の断片でしかない。


 ――でも、私にはもうひとつだけ確信がある。

 それは、佐伯さんを知りたいという気持ちは、もう後戻りできないところまで来ているということ。



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 翌週の金曜日。

 仕事が終わった直後、社内チャットに一通のメッセージが届いた。

 差出人は佐伯さん。

 「少し話したい。今夜、駅前の公園で」


 驚きと同時に、胸の鼓動が早くなる。

 ――二人きりで、話す。

 それは、これまでの距離を一気に変える可能性を秘めていた。



---


 夜の公園は、人影もまばらだった。

 ベンチに座る佐伯さんの隣に腰を下ろすと、彼は静かに口を開いた。


 「……俺、あなたに話しておかないといけないことがある」

 その声は、覚悟を決めた人の声だった。


 次の瞬間、彼の口から出た言葉は――私の予想を大きく裏切るものだった。



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次回予告


第7話『避ける理由の真実』

佐伯が美咲に明かす過去の出来事とは?

そして、藤崎の狙いが少しずつ明らかに――。

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