『優しいのに、なぜか私だけ避ける彼』 本命になれない恋と、変わり始めた私の物語
恋咲つむぎ
第1話 避けられているのは私だけですか?
朝、エレベーターの扉が開いた瞬間、私は立ちすくんだ。
そこに立っていたのは、営業部の佐伯悠真(さえき ゆうま)さん。背の高いシルエット、きちんと整えられたスーツの襟元。いつも淡々としているけれど、声を聞けば少し低くて柔らかい。
「おはようございます」
小さな勇気を込めて挨拶した。
……が、返事はなかった。
彼はわずかに顎を引いて、目線を私の横へと滑らせる。次の瞬間にはスマホを取り出して、何かを確認するように画面を見つめていた。
エレベーターの中は沈黙。
カーペットの上でヒールの音だけが響く。たった十五秒の上昇が、やけに長く感じられた。
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入社して一年。私にとって、佐伯さんは憧れであり、そして謎の人だ。
誰に対しても礼儀正しく、必要なときにはさりげなくフォローする。会議では落ち着いた口調で意見を述べ、後輩の質問にも丁寧に答える。
――ただし、私以外の人に、だ。
私に対してだけは、まるで透明人間みたいな扱いをする。
廊下ですれ違っても、会釈すらないときもある。話しかけても必要最低限の単語だけ。
けれど、他の女性社員には笑顔を見せ、冗談も交えて話している。
(私、何かした……?)
最初は気のせいだと思おうとした。
人見知りなだけかもしれない。忙しいタイミングばかりで話しかけてしまっているのかもしれない。
でも、そう思うたびに、偶然耳にする彼の楽しそうな声が、胸の奥で小さく刺さるような痛みを生む。
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昼休み。
同僚の真由と社食へ向かう途中、会議室のガラス越しに、佐伯さんが見えた。
向かいに座っているのは、総務の人気者である泉(いずみ)さん。淡い色のワンピースに、柔らかな笑み。二人は何かを見せ合いながら笑っていた。
「いいよねぇ、佐伯さんって。落ち着いてるし、優しそうだし」
真由が軽くため息をつく。
私は笑って相槌を打つしかなかった。
あんな笑顔、私には向けられたことがない。
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午後、印刷室で資料を取りに行ったときのこと。
コピー機が紙詰まりを起こしていた。何度もレバーを引いてみるが、奥の方で紙がくしゃくしゃになっている。
背後から、低く短い声が降ってきた。
「……貸して」
振り向くと、佐伯さんが立っていた。
手を差し出す仕草が無駄なくて、数秒後には詰まりが直っていた。
「あ、ありがとうございます」
私はお礼を言ったが、彼はやはり私を見なかった。
けれど、立ち去る直前、小さく言葉を落とす。
「紙、逆に入れないほうがいい」
それは叱責ではなく、気遣いの響きがあった。
胸の鼓動が一瞬だけ速くなる。
(もしかして……本当は、避けてなんていない?)
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入社初日。
不安でいっぱいの私は、エントランスで社員証のストラップを落とした。
拾ってくれたのは、あの日も佐伯さんだった。
「……落としましたよ」
短い言葉と一緒に渡されたカード。
その時も視線は一瞬しか合わなかったけれど、名札を見て私の名前を小さく口にした。
――あの一瞬で、心が掴まれた。
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私は恋愛が得意ではない。
告白されたことはあるけれど、長続きしない。理由はいつも同じで、「本当に好きなのかわからなかったから」と言われる。
だから、佐伯さんへの気持ちも、ただの憧れだと自分に言い聞かせてきた。
でも、避けられているように感じる日々は、心の奥で「もっと知りたい」という欲を強くしていく。
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そして、ある日。
会社帰り、駅前のカフェで、佐伯さんと泉さんが並んで座っているのを見てしまった。
親しげに笑う二人。泉さんの手元にあるのは、婚活サイトの画面らしきもの。
(やっぱり、私の出る幕なんてない……)
そう思って踵を返しかけた瞬間、視線を感じた。
顔を上げると、佐伯さんと目が合った。
その目は、驚きと、何か言いたげな迷いを含んでいた。
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胸の奥がざわつく。
避けられていると思っていた彼が、今、はっきりと私を見ている。
――どうして?
(続く)
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