第2話 杵の柄で戦ったことはない

 太陽が消えた。


 学校の窓から見えていた陽の傾いた空が一瞬のうちに黒に飲まれ、さっきまでいた教室がまるで何十年という時間が過ぎた廃墟のように朽ちて薄汚れてしまった。金属は錆が浮き、窓やドアや柱の接合部やら隙間という隙間から赤紫黒い肉のようなものがぐつぐつと湧き生まれ出て来る。周囲にいた人間もすべて忽然と消えた。


 明らかな異常。

 人知の枠に収まらない超常現象。


 しかし元勇者のマジルはこの現象の正体を知っていた。


「ダンジョンじゃないですかヤダー!!」


 既存のダンジョンが規格外の急速成長をして学校ごと飲み込まれたか、新規のダンジョンがこの場に偶然生まれたかは分からないが、四方八方が魔力から作られた一時質量で構成されたこの空間は、まぎれもなくダンジョンだった。


 おかえり。きつい・汚い・クソが!の3K職場くん。二度と会いたくなかったよ。

 ブラック企業がせいぜいくすんだホワイトくらいに思える地獄のような光景がマジルの脳裏にフラッシュバックする。


「うぅ……いやだ……病む……」


 マジルはうなだれた。


 この人生ではダンジョンに潜るつもりなんて全くなかったが、まさかダンジョンの方からやってくるなんて夢にも思わなかった。ああ神さま、どうしてこうなるかな。


「いえ、この考え方はダメですね……うん!こっちの日本にはダンジョンがそこかしこにあるんですから、ダンジョンに学校が飲まれることくらいとーぜん“日常”の範囲内ですよ!そうそう、そうです!ふつうに生活しててもダンジョン脱出なんてよくやることですよ!アハハハッ!!」


 死んだ目をして痛々しくもテンションを上げたマジルだったが、ここでふと思い至る。


「あっ、そういえばみんな大丈夫ですかね……?いなくなっちゃいましたけど」


 マジルがダンジョン化に気付いたとき、立っていたのはもうすでにダンジョンと化した無人の教室だった。あの気持ちの悪いサイレンというか、領域を宣言する雄叫びのような声が聞こえる直前、隣の席の猫山も、前の席の森長委員長もまだ席を立つところだった。すぐ近くにいた。


 マジルがダンジョンに飲まれたということは物理的近距離にいた彼女たちだって同様にダンジョンに飲まれたはずだ。


「あ、なんか……異世界あっちで同じようなことがあった気がします」


 だんだん思い出して来た。


 向こうでは村が適性戦略AIこと魔王によって意図的にダンジョン化されることがあった。それに村人ごと巻き込まれたことがある。

 かつての異世界の事例と照らし合わせると、おそらく異空間に飲まれた多数の生徒と教員はダンジョン各地にランダム配置されてしまっているはずだ。


「……まずいな」


 飲まれた人間の約半分は戦闘系ジョブ持ちだろうが、魔物をガンガン倒しているわけではないのでスキルもステータスも育っていないし、残りの半分は戦いとは無縁の非戦闘ジョブである。平地のゴブリンの1匹や2匹ならなんとかするだろうが、死角の多い学校で一度に5匹にも襲われたら対処しきれない可能性が高い。それにダンジョンにはゴブリンより強い魔物だって平気で出る。いきなりのことでパニックになっているかもしれないし、学校にまともな武器や防具はない。


「よし」


 とにかく人を探そう。人との遭遇率でダンジョン規模を推測できるし、集団でいれば生まれたばかりのダンジョンに出現する低級の魔物が相手には身を守れる。それに脱出するにしても出口がどこかまったく分からない。端から順に攻略していくしかないのだ。


 手持ちの装備は防御力ゼロの学校指定の制服と、偶然手に持っていたスクールカバン。入っているのは勉強用具と休み時間に作ったぬいぐるみ。最低限の裁縫セットとぬいぐるみの材料の余り少々。武器になりそうなものは、小さなハサミやボールペンくらいだ。


 マジルは掃除用具ロッカーを開けるとモップを手に取り、ぬいぐるみ職人スキル《裁断》を5重掛けして先端のモフモフした部分を切り離した。手に入ったのは長さ100センチの木製の棒である。昔の経験から槍も棒もそれなりには使えるので、少しブンブン振って具合を確かめた。ただの棒だ。


「あっしまった!学校の備品なのに壊しちゃった……。ま、まあ、緊急事態ということで大目に見てもらいましょう!うん、手頃な武器を確保しました!」


 マッピングは手書きだ。残念ながらぬいぐるみ職人は斥候系スキルを覚えない。物理の授業で使う方眼グラフ用紙に、水に濡れてもにじまないようにシャープペンで書き込む。それに加えて定規もコンパスも3色ボールペンも筆箱に入っていた。


「ふんふ~ん♪うわっ、現代文房具マジ便利。……異世界あっちでほしかったです」


 無人の教室を書き込んで、マジルはガラス窓付きのドアのすぐ近くの壁に背を付けると、そっと廊下の様子を窺った。


 廊下は教室と同様、廃墟となった元の学校の廊下に紫の肉のようなものがぶちゅぶちゅとにじみ出している。廊下の外の窓は黒い。明かりは天井のLED蛍光灯だが光量が10分の1くらいになっていて、ヘタなお化け屋敷のような雰囲気だった。人の姿も魔物の姿もない。


 マジルはドアを静かに引き、隙間から慎重に顔を出した。動く何かの気配はない。上を見るとマジルのいた教室の表札は『98-H』と書かれていた。隣の教室の表札はダンジョン語で『ホルスタイン』、その向こうは漢字で『竜宮寺清隆』と書いてある。誰だよ。

 廊下の突き当りは本来よりもずっと遠くで左右に分かれ、反対側は上り階段に直通していた。


「ふむ……」


 マジルはスニーキングをいったん止め、魔力を励起させて、魔力領域に懐かしのスキルを構成して叩いた。


「《人力探査サーチ》!」


 スキルの内部構造さえ記憶していれば人力で簡単なスキルを構築することは不可能ではない。マジルは勇者時代によく使っていた、本来ぬいぐるみ職人が獲得し得ないはずのスキル《探査》の簡易バージョンを使った。魔力の波を起こしてその跳ね返りや干渉から魔物やヒトの存在、並びに周囲環境をなんとなく感じとるアクティブソナーのようなよくあるアレだ。


 ダンジョンの一部を把握したマジルは驚愕した。


「うわっ、ひっろい!?」


 廊下の突き当りまで150メートル。その分岐の先も長い廊下が続いており、多数の分かれ道が複雑に折り重なって校内の構造はメチャクチャ。敷地面積は何十倍にも膨れ上がっている。もはや学校が学校じゃなくなっていた。


「これは……骨が折れそうです」


 できれば心が折れる前に脱出。少なくとも知り合いか誰かに遭遇したい。

 そんなマジルの心境を知ってか知らずか、いくつかの教室のドアがガラガラと音を立てて開かれ、そこから人影がわらわら出て来た。


 だが残念ながらマジルの友人でもクラスメートでも、ましてやダンジョン生成に巻き込まれたヒトでもなかった。《探査》の魔力に反応して釣れた魔物。日本人が一番なじみのある史上最悪の害獣、ゴブリンである。


 マジルは落ち着いてモップの柄を両手で斜めに構えた。そこでゴブリンの様子がいつもと違っていることに気付く。


「?……え、キミたちなんか、ちがくない?」


 ふつうゴブリンと言えば、体高90センチ、深緑色の薄汚れた肌で汚い腰布をまとい、痩せてガリガリの人型。頭はハゲており大きな鷲鼻ととがった耳を持った下品な笑顔がトレードマークの魔物というイメージだ。実際異世界のゴブリンはそんな感じだった。


 しかし今目の前に現れたのは、頭はハゲており大きな鷲鼻ととがった耳というゴブリンの顔をしているが、体高は1.3メートルはあり体格は筋骨隆々。肌は浅黒く日焼けしており油でテカっていて、腰布ではなく革のブーメランパンツを履いて股間はこれでもかと隆起している。ホブゴブリンとも違う見たことのないゴブリンだ。


 彼らはマジルを見つけると、あの特有の厭らしい笑みではなく、人間のように生えそろった歯をきらりと光らせ、一斉にさわやかな笑顔を見せた。そして頭の後ろで手を組むと、突き出した腰をものすごいスピードでカクカクさせ始める。しかもそのままこちらを目指してぐんぐん進軍してきた。上三日月の眼には狂気の光が宿っている。


「ひぃいい!?生理的にむりぃいいぃいいいっ!」


 マジルは飛び込んできたゴブリンをモップの柄で絡めとってぐるりんと叩き伏せ、躊躇なく肺を思いっきり踏んづけた。ゴブリンの肋骨は人間の半分以下の太さなので構造強度は4分の1以下しかない。そのため体重の軽いマジルの『ヤクザ踏みつけ』でも割と簡単に砕け、呼吸困難に陥れることができる。

 後続のゴブリンたちも同様に危なげなく処理をして、反撃されないように1体1体速やかに喉を踏み砕いていった。するとすぐに彼らはパラパラと粒子になって消え、後には直径1cmほどの妙にギラギラしたオレンジの魔石だけが残った。


「はぁはぁ……!に、日本のゴブリンって、こんなのなんですか……?」


 嫌悪感に震えていると、懐かしい高揚感に包まれる。


 ぱぱぱぱっぱっぱー!……マジルはレベルが上がった!


「ふぅ……。そういえばこっちに来てから魔物と戦ったのははじめてでしたっけ……《情報開示要求リクエスト・プリント・ステータス》。あ、なんかスキルが増えてますね。能力パラメータは……わーい一般人!」


 増えたスキルは《降霊術》。おそらく努力によって出現するスキルではなく、レベルを上げると勝手に覚えるジョブ固有のスキルだ。ぬいぐるみとは全く関係ないスキルで若干困惑した。たしか降霊術はその名の通りシャーマンのスキルだったはずだ。元々マジルが暮らしていた日本で言うところのイタコの口寄せである。


 とりあえず保留。


 それより気になるのはさっきのマッチョゴブリン――マチョブリンたちだ。


「なんかめっちゃボクの下半身見てましたよね……」


 体育会系爽やか男子のような容姿で妙にギラついた視線をマジルに向けていた。ふつうのゴブリンよりも骨太で筋肉が発達しており、膂力は魔力強化なしの成人男性に迫る。しかし殺意はなく、腰を突き上げる動作はまるで生殖行動を想起させ、性器も極端に大きかった。


 ここから導かれるさきほどの魔物の正体は『えろまんがゴブリン』。

 人間を襲って交尾するエロ漫画御用達の架空の魔物・・・・・である。


 ふつうはそんなコミカルな魔物がダンジョンに出てくることはないのだが、ダンジョン産の魔物はダンジョンが魔力質量で作ったレプリカだ。そして昨今日本にはエロ漫画をはじめ『多様化したエロの概念』が溢れている。それをダンジョンが取りこんでしまった可能性はあった。


 ぶっちゃけ、たぶんだが、このダンジョンができるときにそこら辺にあった『ゴブリンが出て来るエロ漫画』でも飲み込んだんじゃないかと思う。


 ダンジョン:『こういうゴブリンもいるのかぁ!じゃあこれを産み出そう』

 ――って感じだ。人類はまたひとつ、要らない概念をダンジョンに与えてしまったに違いない。


「……ってこれ、まじめにヤバめじゃありません?」


 こんな卑猥なゴブリンがうろうろ徘徊するところに、ろくに魔物と戦ったことがない一般人が多数?


 背筋がぞくっとした。


「は、はははははやく探さなくちゃッ!!!猫山さーん!森長いいんちょー!みなさーん!どこですかー!?」


 クラスメートを見つけたときにゴブリンと合体していたら、違う意味で心折れる。


 しかし一般人のステータスとなったマジルでは『おりゃー!』と突撃して力ずくで速攻解決ができない。こんなことならズボラ神のところに全部置いてこないで、なんらかの緊急措置くらい残しておけばよかった、とちょっとだけ過去の自分を呪った。


 はやる気持ちを抑え、慎重な索敵、暗殺のような戦闘、地道なマッピングというスニーキングミッションをこなし、マジルは学校ダンジョンの攻略をじりじりと進めるのだった。




 そうして20分ほどの探索の後、マジルはある教室のドアの前に屈み、中の魔力を探った。すると――


(この教室、人がいる……!魔物……っぽい?なんだか分からんのが2体……囲まれてる!?)


 先ほど使ったアクティブソナーは魔物を引き寄せるので、こちらから波を出さないパッシブソナーで丁寧に探ると、向こうがあまり動かないので詳細は分からないが、中に人と魔物がかなり近距離にいるようだった。


 ちょっと危ないかも知れないと思いつつも、どうか合体してノリノリで腰を振っていないことを願い、マジルは急いでドアを開けて教室に押し入った。


「てーいッ!」


 マヌケな声を上げたのは魔物と思しき適性個体の注意を引きつけるためだ。

 モップの柄を上から下へ構えて魔物たちへ油断なく向ける。


「……え?」


 ――おっぱい。


 教室に突入すると2つのプリンがお出迎えしてくれた。黒板を覆う肉壁には手足がずっぽり埋まった森長委員長。両サイドから白黒の着物姿の女の子に挟まれている。そしてなぜか制服の前を開けてその大きなおっぱいだけをまる出しにし、片方ずつを女の子たちにもみもみちゅっちゅされていた。


 ゴブリンに挟まれてなくて何よりだが目下、別問題が浮上した。

 目じりに涙をためた熱っぽい委員長と目が合う。


「あっ、失礼。お楽しみ中でしたか、出直してきま~す!」

「そ、……そんなわけないでしょ!」

「いえいえ、お気になさらず。邪魔者はとっとと消えますので♪いやー、いいんちょさんがそういう趣味だったとは知りませんでしたよー」

「違います!というかお願いです、助けてください!」


 せっかく気を利かせて出ていこうとしたのに呼び止められてしまった。

 マジルは仕方なく委員長に向き直る。


 真っ赤になってピクピク震える委員長は両手を頭の後ろに固定されて、シャツの前のボタンをすべて開け放たれ、ブラもしていない。そのため本来なら隠しておきたいはずの乳房が丸見えだ。「はいどうぞ♡」と言わんばかりに差し出されたまあるいおっぱいがドン!ドン!と存在を主張する。しかも先端は薄桜色で上品ぶりながらも、乳輪は大きくぽってりと膨らみ、突起部分もしっかりと太くいやらしい。それが両脇の女の子たちの細指によってもにゅもにゅぷにぷにと弄ばれる。とてもエッチだ。


「大変です!委員長さんのおっぱいがエッッッすぎて視線が引き寄せられます!強力なデバフです!!」

「きゃああ!見ないでくださいッ!!!」

「え、じゃあ、目をつぶってお助けします……?それはちょっと難易度高いんですけど」

「うぐっ……み、みみみ見てもいいので、なるたけはやくお願いします!」

「ガン見オッケーですか!?やったー!役得です!なむなむ~」

「なにを言ってるんですかーっ!?手を合わせないでください!!真面目にやってくださーいッ!!!」


 マジルはショートコントで捕らわれの委員長の気を紛らわせながら、両サイドでこちらを同時に振り返った見た目がそっくりの女の子たち見て、内心こっそりと大量の冷や汗をかくのだった。


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