帰ってきた場所

 のぞみ号が広島駅に滑り込む頃、二人は緊張でほんの少し肩を寄せ合っていた。指定されたシートに座っていたのに、純子は何度も窓の外を見ていた。美子は手のひらを膝の上で合わせたり離したりしていた。

「空、こんなに広かったっけ」

と純子がぽつりと言うと、美子が小さくうなずいた。

「ううん。広いっていうか、薄い……のかも」


 列車は駅に停まってドアが開いた。ホームには、スーツを着た人々、カジュアルな親子連れ、外国人観光客がいた。どこか騒がしくて、けれど皆が当たり前のようにそこにいた。


 その雑踏のなか、ひときわ目立たない黒髪の女性が二人を見つけると、小走りで近づいてきた。

「純子さん、美子さん、ようこそ」

亜美の妹、心海ここみだった。春用のジャケットを着て、手に紙袋を持っていた。ほんの一瞬、純子は顔をこわばらせたが、美子が軽く腕を取ると、何も言わず頷いた。

「遠かった?」

「長かった。なんだか、映画みたいな風景だった」

日帰り強行で夜遅くなったということもあって駅前ロータリーからタクシーに乗り込むと、亜美は運転手に自宅の住所を告げた。その間、純子と美子は静かに外の風景を見ていた。道路の舗装、看板、ガラス張りのビル、古い商店の間に立つコンビニ。あまりにも「現代的」で、逆に現実感がなかった。


 数十分後、車は住宅街の一角に停まった。白い二階建ての一軒家。外壁には小さな蔦が絡み、門のそばには鉢植えのラベンダーが揺れていた。

「ここが、これからあなたたちの家になる場所よ」

玄関をくぐり、靴を脱ぐ。スリッパが二組、新品のまま並べられていた。靴を脱ぐという行為も、まだぎこちない。機械の身体に装着された足は滑らかだが、慣れない「土間」の段差に、純子が一瞬つまずいた。


 リビング。ソファ。テレビ。カーテン越しの柔らかな光。まるでモデルルームのように整った空間が、彼女たちを迎え入れた。

「それから……、あなたたちの部屋も、用意してあるの」

 二階の一室。ベッドが二つ並び、小さな机と、本棚があった。そして、枕はワイヤレス充電器になっていて、横になるだけで後頭部から充電ができるようになっていた。

「使い方は、わかるよね?」

「うん。訓練でやったから」

純子は答えた。


 だが、ベッドに腰かけると、美子がふと鏡の前に立ち止まった。制服のブレザーを、ハンガーにかけたまま手に取る。

「これ、わたしに似合うかな」

「大丈夫だよ」

 純子は言ったが、鏡を見ていた美子の顔は、少しだけ曇っていた。

「高校生って、もっと……こう、あどけない顔してる気がする」

「まあ、あたしたち、設定上は十六だけど、体は……」

「もう大人の顔だよね。見た目も中身も」

彼女たちの身長は一六五cm。成人女性として十分に通用する体格に、完璧に整った肌、癖のない髪。設計上では「周囲と浮かない程度」に調整された容姿だったが、それでも“自然”の中に置かれれば、どこか“整いすぎている”ようにも見えた。

「ま、細かいことは気にしない」

純子が笑って、美子の背中を軽く叩いた。


 その夜、二人は先にダイニングに座って皿に乗っていた「アンドロイド用料理」、シリコーンゴムでコーティングされた電子基板を口の中に入れた。これは料理の味や噛み応えの神経反応をデータ化して取り込み、その電流パターンを発振して口腔内で受信させる回路だった。この時代になると、様々な「料理」が家電量販店で売られていた。

「早速『カレーライス』を買ってきたの。どう?」

「これ、おいしい」と純子が言うと、「そうだね、でもスパイスが少し甘いね」と美子が答えた。


 その後、亜美は人間向けにも、カレーライスを作った。電子レンジが温めを終えた合図に、純子がぎくりとした。

「この音、なんか、やたら冷たく感じる」

「昔の台所は、こんな音しなかった」

「そりゃそうよ」

亜美が笑った。

「でも、今は便利な時代なの。冷凍、レトルト、電子調理。何でもあるのよ」

亜美と心海はそれを美味しそうに食べていた。その一時間ほど後、「私はここまでね」と言って、心海は席を立った。リビングから玄関まで、三人で並んで歩く。靴を履き終えた心海が軽く振り返り、少しだけ声を低くして言った。

「またすぐ会えるから」

彼女がドアの向こうへ消えるまで、純子と美子は無言で見送った。


 食事のあとはテレビを見た。ニュースが流れている。人工気象制御による雲の操作、対話型AIの政治コンサルタント、火星移民計画の立案。

美子が「まるで異世界みたい」とつぶやくと、純子はテレビの映像から目を離さずに言った。「でも、ここが“現実”なんだよね。あたしたちにとっての。でも少しずつ慣れていく。そうやって『今』を生きてくしかないんだよ、たぶん」


 深夜。寝静まった家の中、二人の部屋。ブレザーが椅子の背に掛けられている。ベッドの脇では、ゆっくりと充電ランプが光っている。

「純子」

「なに」

「わたしたち、幸せになれるかな」

「うーん……わかんない。でも、少なくとも今は、悪くないよ」

ほんのわずかに間をおいて、純子は続けた。

「それに、美子がいるし」

そう言って、純子が小さく笑った。その笑顔はぎこちなくも、確かに“彼女自身のもの”に近づきつつあった。そして美子はゆっくり目を閉じた。


 百年の時を経て、二人はようやく「生活」の第一歩を踏み出していた。


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