幕間02_虚空の望郷

 アイシャが幼い頃、母はよくアフガニスタンの物語を語ってくれた。

 それは、遥かヒンドゥークシュの山々と、春の小麦畑、石の家と羊、井戸の水の冷たさ――

 家族が揃って祈り、断食明けの夜にはご馳走と笑い声が溢れる、“美しい村”の記憶だった。


 だが、アイシャが中学生になり、自分で歴史を調べ始めたとき、

 その物語の多くが「母の実体験」ではなく、さらに上の世代――祖母や曽祖母の記憶、あるいは、戦争を生き延びた親戚たちの“語り”をつぎはぎしたものだと気づく。


 母は2062年生まれ。

 実際にはソ連侵攻も、タリバーンの登場も“体験”ではない。

 けれど、難民キャンプで聞いた「祖母の昔話」や、

 家族を失った知人たちの涙の理由、

 いつしか“自分の物語”のように語るしかなかった。


 アイシャは、図書館の端末で検索した。

 そこには、母の語る村が空爆で消え、数百万人が難民となり、

 幾度も“祈りの国”が“戦争の国”に引き裂かれていく現実が並んでいた。


 母が「兄が連れていかれた」と語った“兄”は、

 実際には母自身の兄ではなく、

「祖母が嘆いていた親族の誰か」だった。

 それでも母は、

「家族が失われた記憶」を、

 自分の人生の核として語り、アイシャに伝えた。


 母は、「祈りがあれば、どこにいてもアフガンでいられる」と言う。

だが、アイシャにとっては、祈りも伝承も、“現実のアフガン”には届かない。

 彼女の知るアフガンは、

 ニュース記事の断片、ネットに散らばる歴史資料、

「今も戦争が終わらない、帰れない土地」としてしか、実感を持てなかった。


 母は時に、虚構と現実の間で苦笑いする。

「本当のアフガンを、私はもう知らないのよ」と。

「でも、そうやってみんな生きてきたの。信じる物語で自分を繋ぎ止めてきたの」


 アイシャは、母の言葉の奥にある“空白”――

 誰も本当には帰れないふるさと、

 語ることしかできない家族の記憶、

 祈りにすがるしかなかった難民たちの心――

 そのすべてが、自分にも受け継がれていると感じた。


 彼女は詩を書く。

 英語で、ダリー語で、

 母の祈りとネットの歴史記事の間に横たわる“名もなき空白”を、

自分の言葉で埋めようとする。


 わたしの母は

 誰かから聞いた祈りを今も語る

 わたしはその祈りの意味を

 本当は知らない


<でも

 祈りと記憶の裂け目で

 わたしだけの言葉を探したい>


 アイシャは、“嘘”かもしれない物語も、“誰かが信じたかった記憶”も、

 まるごと自分の生きる根っこにしていくしかなかった。

 彼女のアフガンは、「母が語った物語」でも、「ネットの現実」でもない。

“今ここにいる自分”だけが持つ、

“語ること”と“問い直すこと”のあいだに生まれる、

唯一の“ふるさと”だった。

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