第14話
夜10時を過ぎ、ビジネスホテルの小さな部屋は、エアコンの低い唸り声だけが支配していた。
薄暗いランプの光の中で、ベッドに仰向けになってスマホを見ていた私の手が、不意に震えた。
着信表示――蓮司。
「……もしもし」
『サキ、今すぐ聞け。あいつと別れたが、逆上してる。リーク元を突き止めたらしい。お前を潰すつもりだ』
「……なにそれ」
『仲間を連れて、お前を探してる。どこにいる?』
「駅前のホテル。部屋にいる」
『……くそ、ロビーで目撃された。もう上がってくるかもしれない。鍵をかけて、絶対に油断するな』
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通話を切った瞬間、胃の奥がきゅっと縮む。
心臓は早鐘のように鳴り、背中には薄い冷たい汗が流れた。
正直、怖い。足も指先も、わずかに震えている。
ドアの向こうから入ってくるであろう気配を思うだけで、喉が乾く。
……でも、どこか冷静な自分もいる。
恐怖と同時に、なぜか妙な確信が胸の奥に根を張っていた。
――勝てる。
どうやって、ではなく、勝つという結果だけが、最初から決まっているような感覚。
これは戦いじゃない、確認作業だ。
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私はベッドを壁に押し付け、足場を作った。
裸足になり、床の冷たさを足裏で感じる。
呼吸を整えながら、両の拳を握る。
右拳を少し前、左拳は顎の高さに。
体の芯に力を集めるように、重心を落とす。
手のひらはじんじんと熱いのに、心臓の鼓動は冷たい氷を打ち付けるみたいだ。
恐怖は消えない。むしろ鮮明になっている。
だが、その恐怖が鋭い刃のように私の神経を研ぎ澄ませていた。
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廊下の奥から、ヒールのコツコツという音が近づいてくる。
その間に混じるスニーカーの重い足音、数人分の呼吸。
そして、あの甲高く耳障りな声――蓮司の元カノ。
「サキちゃ〜ん、逃げてもムダだよ〜」
声は笑っているのに、奥にあるのは殺気だけだ。
私は無言で構えた。
恐怖が心臓を握りしめる感覚と同時に、確信が全身に行き渡っていく。
――必ず、叩き伏せる。
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ドアノブが、ゆっくりと回った。
その安っぽい金属音が、戦いの開始の合図のように響く。
(来い……ここで全部、終わらせる)
これまでにない苛烈な素手の戦いの幕が――今、上がろうとしていた。
廊下の奥から、足音が重く響く。
ヒールのコツコツではない。もっと、地面を踏み抜くような低い衝撃音――重量感。
そして、複数だ。
次第に視界の端で影が膨らみ、ドアのスリット越しに巨大な肩の輪郭が見えた。
女たちだった。
ただの女じゃない。肩から腕にかけて盛り上がる筋肉は、まるで鋼の彫刻。
太腿は一本の丸太のようで、その質量を無駄なく動かすための関節のしなやかさが、一歩ごとに伝わってくる。
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そして異様なのは、ただのパワー型ではないということ。
彼女らの動きには切れがあった。
肩が微かに沈み、わずかなステップで左右に重心をずらす――その速さは、一瞬で射程を詰める格闘家のそれだ。
ただの脳筋じゃない。速度と精密さが合わさった、最悪のバランス。
ドアの前で止まった気配が、薄い鉄板越しに私の皮膚を刺す。
その瞬間、部屋の空気が一段重くなった。
圧倒的な質量と殺気が、壁を透かして押し寄せてくる。
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(……正直、勝てる気がしない。普通なら)
心臓は暴れ、足の指先は冷たい。
けれど――なぜか、喉の奥のさらに奥に、微かな熱がある。
確信だ。
私は立ち向かい、そして必ず倒す。それがどんな相手でも。
裸足の足裏で床を感じ、肩幅に構える。
両拳を握り、顎を引き、視線はドアノブへ。
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安っぽい金属のドアノブが、ゆっくりと回った。
その回転は迷いがなく、滑らか。
……熟練の動きだ。何度もこうして誰かを叩き潰してきた手つき。
やがてドアが開き、橙色のランプの光に照らされた巨躯が現れる。
筋肉とスピード、そして狩人の眼を備えた女たちが、音もなく部屋に侵入してきた。
(……来い。こっちも、全力だ)
超人的な戦闘力を持つ彼女らとの、死力を尽くした戦いが――始まった。
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